第189話:大砂海への再突入と、帝国の焦燥
大河都市バハル・ズラクが、不正な利権の崩壊と港湾インフラの自動化という驚天動地の変革に揺れる中、カイトの四輪駆動車はすでに城門を潜り抜けていた。
背後に連結された高級キャンピングトレーラーが、白亜の街並みを置き去りにして、再び赤茶けた大砂海の世界へと滑らかに滑り込んでいく。
目指すは、回収した軍用通信鏡との等価交換によって弾き出した座標――悪魔族の軍事帝国『バル・ザザード』の本国総司令部である。
「……判定。都市境界線からの離脱を完了。これより、目標座標への最短巡航ルートを設定。外気温度、四十二度。車内環境、二十四度。……問題ない」
カイトは衣服に汚れ一つない漆黒のジャージを纏ったまま、無表情でハンドルを握っていた。
通常の旅であれば、ここからの過酷な砂漠行軍は死の行進に等しい。だが、カイトの後ろに引かれたトレーラーキャビンの中は、現代のエアコンディショナーと空気清浄機が完璧に不備を相殺し、異世界とは思えないほどのオアシスを維持していた。
「カイト様、お外はすっごく暑そうですけど、お家の中はひんやりしていて快適ですね! 冷蔵庫の冷たいお水、カイト様の分も持ってきました!」
連結通路から助手席へと身を滑り込ませたリアが、ジャージの裾を揺らしながら、結露したガラスのボトルをドリンクホルダーへと収めた。
高反発マットレスでの完璧な睡眠を重ねている彼女の肉体は、砂漠の過酷な環境を物ともせず、常に最高出力のコンディションを保っている。
「ふふ、本当にね。あの傲慢な総督を石畳に圧着した後の冷たいジュースは格別だわ。あんな人間の小悪党なんて、カイトの計算式の前にはただの塵でしかなかったけれど……、次の相手は二千の兵を動かした軍事帝国でしょう? 流石に少しは骨のある不備が残っているかしら?」
本革のローソファに深く腰掛けたエルザが、調律杖の先端で優雅にグラスの氷を転がしながら、赤い瞳を妖しく明滅させた。
完全に日差しを遮断されたラグジュアリーな車内空間は、吸血鬼である彼女の魔力を極限まで高め、真祖としての威圧感をいつでも解放できる状態にしていた。
「……個体群の規模が拡大しようとも、構造的な本質は変わらない。利権の囲い込みや軍事的な侵略行為は、すべて世界の均質化を阻害するバグだ。一括して処理を行う」
カイトは冷徹に言い放ち、アクセルを静かに踏み込んだ。
愛車は砂塵を巻き上げながら、地平線の彼方へと突き進んでいく。
――その頃。
カイトたちが向かうバル・ザザード帝国の総司令部では、かつてないほどの張り詰めた空気が漂っていた。
大河都市に潜入させていた隠密工作員からの通信が、不可解な「物証の紛失」を最後に、完全に途絶えたからだ。
さらに、バハル・ズラクの中央騎士団三百が、物理的な破壊を伴わずに一瞬で地面に圧着され、総督府が事実上陥落したという情報が、魔導通信を介して本国へと届いていた。
「……報告します! バハル・ズラクに現れた“漆黒の衣の怪物”は、総督府を完全に無力化した後、こちらの軍用通信鏡を回収……。直後、我が帝国の最高機密である暗号周波数が、何者かによって“物理的に消滅”した模様です!」
「何だと……!? 暗号を解読されたのではなく、機器そのものが世界から消えたというのか!?」
作戦机を囲む将軍たちが、恐怖で顔を歪ませる。
彼らの軍事常識では計り知れない、等価交換という世界の法則そのものを上書きする権能。その本質を理解できない帝国の上層部は、今や完全に未知の恐怖に直面していた。
「総司令官閣下! 奴らの足取りですが……港の自動化クレーンをギルドに委譲した後、四輪駆動の異形の箱馬車を走らせて、真っ直ぐにこの本国へと向かって進軍を開始したとの情報が入っております!」
「……我らを、迎え撃つのではなく、直接『排除』しに来るというのか……」
総司令官の昏い火を宿した瞳が、信じがたい動揺に揺れた。
二千の兵を蒸発させた怪物が、一切のコンディションを落とすことなく、最高級の居住インフラを引き連れて、彼らの喉元へと確実に迫りつつあった。
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