第125話:港の灯火と、小さな客人
夕闇が迫る『嘆きの入り江』。
先ほどまで岩を砕かんばかりに吹き荒れていた重苦しい空気は、もうどこにもなかった。
カイトたちの背後には、ただ穏やかに寄せては返す波の音と、オレンジ色から深い紫へと変わりゆく美しい水平線が広がっている。
カイトは、意識を失った少女を抱きかかえるリアの様子を確認し、静かに頷いた。
彼らが纏う漆黒のジャージは、激しい魔力の行使や岩場での格闘を経た後だというのに、自動洗浄の機能によって新品同様の輝きを保っている。
海辺特有のベタつく潮風や湿気も、ジャージが持つ『環境適応』の力で全て弾き飛ばされ、三人の肌は常にサラリと乾いたままだった。
「……終わったわね。……あの子、本当にもう大丈夫なの?」
エルザが杖を構え直し、周囲に悪い魔力が残っていないかを確認しながら問いかける。
彼女の表情には、慣れない精密な魔法制御による疲労が滲んでいたが、その瞳にはどこか安堵の色が浮かんでいた。
「……ああ。あの子を苦しめていた原因は、あの黒い杭だ。……俺の魔力で直接叩き壊し、無理やり捻じ曲げられていた力の流れを元に戻しておいた。……今はただ、極度の疲れで眠っているだけだ」
カイトは淡々と答えるが、その脳内では先ほど手に入れた情報の整理が続いていた。
あの杭に使われていた、人の身体に無理やり力を流し込む技術。それは、エルザの身体を蝕む「呪い」と、驚くほどよく似た作りをしていた。
今のカイトの魔力では、エルザの呪いを一気に消し去ることはできない。だが、今回の件で「どうすれば外から打ち込まれた悪い力に干渉できるか」という大きなヒントを得たのは間違いなかった。
「……リア、あの子を背負え。……ポート・ルミナスの街へ戻るぞ。……ギルドへの報告と、あの子の保護を優先する」
「はい、カイト様! ……よいしょっと。……わぁ、この子、すごく軽いです。……あんなに重い力を使わされていたなんて、本当にかわいそう……」
リアは、自分よりも一回り小さな少女を背負うと、カイトから与えられた『身体強化』を使い、しっかりとした足取りで歩き出した。
リア自身の脚力とカイトの補助魔法が、不安定な砂浜での移動を支えている。
三人がポート・ルミナスの街へ戻る頃には、夜の帳が完全に下りていた。
門を潜るなり、松明を持った大勢の街の人々や、武装したギルドの職員たちが彼らを待ち構えていた。
「……お、おい! 見ろ! ……あのジャージ姿の三人が戻ってきたぞ!」
「……本当だ! それに、あの子……まさか、入り江の魔女を倒したのか!?」
どよめきが広がる。
カイトたちは無表情のまま人混みをかき分け、まっすぐギルドの建物へと向かった。
受付の前に到着し、リアが背負っていた少女をゆっくりとソファに横たわらせると、ギルドの中は静まり返った。
「……依頼完了だ。……入り江の重力異常は排除した。……この子はただの被害者だ。……適切な手当と、休む場所を用意しろ」
カイトがそう言って、依頼書をカウンターに置く。
受付の女性は、震える手でそれを受け取ると、何度もカイトと少女の顔を見比べた。
「……あ、ありがとうございます……! 調査だけではなく、解決までしてくださるなんて……。……すぐに、街の診療所に連絡します!」
その瞬間、カイトの胸の奥で、かつてないほど大きな「感謝の波動」が響いた。
救われた少女、安全を取り戻した港の漁師たち。彼らが抱いていた「恐怖」という悪い感情が、カイトの魔法によって「感謝」へと等価交換された結果だった。
「……ふぅ。……カイト、なんだか街中が大騒ぎね。……これじゃあ、ゆっくり夕食を食べるのも一苦労だわ」
エルザが、窓の外に集まってくる野次馬たちを見て困ったように笑う。
彼女の呪われた魔力も、今のカイトが放つ穏やかなヒールの光に包まれ、静かに鎮まっていた。
「……とりあえず、予約していた宿へ向かう。騒ぎが大きくなる前に、今日の分の休息を確保する必要があるからな」
カイトはそう言うと、混乱するギルドの職員たちを尻目に、さっさと出口へと向かった。
リアも、少女が保護されたのを見届けてから、慌ててカイトの後を追う。
「カイト様、待ってください! ……でも、本当によかったです。……あの入り江が、また皆さんの遊び場になれるんですね」
「……遊び場になるかどうかは興味ない。……俺はただ、不備を直しただけだ」
そっけない態度のカイトだったが、その足取りはどこか軽い。
宿に到着した三人は、案内された部屋の扉を閉め、ようやく喧騒から解放された。
カイトは等価交換の力を使い、用意されていた簡素な食事に、ほんの少しだけ現代的な「彩り」を加える。それは、激しい戦いを終えたリアとエルザへの、彼なりの労いだった。
街の灯火が、三人の漆黒のジャージを赤く照らし出す。
等価交換の力で、地道に、しかし確実に力を取り戻していくカイト。
彼が生み出したジャージを纏う仲間たちと共に、ポート・ルミナスの夜は、穏やかな祝福の中に包まれていった。
だが、カイトは確信していた。
少女の背中に打ち込まれたあの『黒い杭』は、放っておいて自然にできるようなものではない。
この世界のどこかに、悪意を持って「不備」を作り出し、罪のない人々を道具にする者がいる。
最強の兵器を創り出すための戦いは、まだ始まったばかりだった。
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