第117話:難所の峠と、重力の盾
リスタの街を離れて三日。平坦だった街道は終わりを告げ、一行の目の前には「断風の峠」と呼ばれる急峻な山道が立ちはだかっていた。
海辺の地方、ポート・ルミナスへ向かうためには、この標高の高い峠を越えるのが最短ルートだ。
空気が薄くなり、気温も急激に下がっていく。だが、カイトたちが纏う漆黒のジャージは、新しく追加された『環境適応・微』の機能により、常に衣服内を二十五度に保っていた。
「……助かります、カイト様。さっきから風が冷たくなってきましたが、身体が全く強張りません」
リアが軽やかな足取りで、岩場の続く坂道を登っていく。
彼女の役割は先行索敵。狼獣人の鋭い感覚に加え、カイトの『身体強化』が常時発動している今の彼女は、まるで重力を無視しているかのような跳躍で、次々と難所を越えていった。
「……効率を優先した結果だ。体温維持に余計なエネルギーを割くのは、リソースの無駄だからな。……エルザ、遅れているぞ。杖の補助を使え」
「……言われなくても分かってるわよ。……はぁ、吸血鬼がこんな真っ昼間に登山なんて、前代未聞だわ……」
エルザは毒づきながらも、杖の先端から微弱な魔力を放出し、その反動を利用して自身の身体を押し上げていた。
カイトの指導により、彼女は「破壊」だけでなく、こうした「微細な出力管理」を呪いの痛みに耐えながら学びつつある。
その時、先行していたリアが急停止し、低く身を構えた。
「――止まってください! 上方から、複数の落下音……魔物です!」
直後、切り立った崖の上から、岩の体組織を持つ大猿の魔物『ロック・コング』が三頭、咆哮を上げながら飛び降りてきた。
その巨体は一つで数百キログラム。まともに衝突すれば、ジャージの耐性があっても衝撃までは殺しきれない。
「……判定、排除対象。……リア、回避に専念しろ。エルザは背後を固めろ」
「了解!」
カイトは動じず、頭上に右手をかざした。
「……事象干渉――『グラビティ・ドーム』」
カイトを中心に、半径数メートルの空間に超重力場が展開された。
落下してきた一頭のロック・コングがその領域に触れた瞬間、猛烈な下方向への圧力がかかり、まるで不可視の巨大な拳に叩かれたかのように地面へと叩きつけられた。
ズゥゥゥン!!
重厚な音が響き、魔物の巨体が岩盤にめり込む。
「……今だ。リア、右の一頭を場外へ。エルザ、左を焼却しろ」
「はいっ!」
身体強化の光を纏ったリアが、重力で動きの鈍った右側の個体に接近する。彼女は正面から戦うのではなく、魔物の懐に飛び込むと、その巨体を利用して鮮やかに回し蹴りを叩き込んだ。
ジャージの脚力強化と彼女のバネが合わさり、魔物はバランスを崩して崖下へと転落していく。
「……残りの一頭、逃がさないわよ! ……杖よ、暴れる魔力を導きなさい!」
エルザが杖を突き出す。
彼女の呪われた回路から溢れ出る魔力を、カイトがグラビティの制御を緩めることで一点に収束させた。
放たれた深紅の魔力弾が、地面に組み伏せられていたロック・コングの眉間を正確に貫き、その巨体を砂へと変えた。
戦闘は数秒で終了した。
「……ふぅ。……カイト、今の重力。使い方が以前より狡猾になったんじゃない?」
「……計算通りの運用だ。……感謝ポイントを『範囲維持』に振り分けた。……これで、お前の魔法の命中精度は理論上、九八%まで担保される」
カイトは無表情のまま、リアのジャージに付いた僅かな砂を眺める。自動洗浄機能が働き、黒い生地はすぐに元の美しさを取り戻した。
「ありがとうございます、カイト様。……回避する隙間を、魔法で作ってくださって……すごく戦いやすかったです」
リアが尻尾を嬉しそうに揺らす。
彼女は気づいていた。カイトの魔法は、ただ敵を倒すためだけにあるのではない。自分たちが一番「動きやすい環境」を整えるために放たれているのだということに。
「……休憩は五分だ。……ポケットの食料で、消費した分のカロリーを補填しろ。……峠の頂上まであと一〇〇〇メートル。そこを越えれば、海が見えるはずだ」
三人はジャージのポケットから、自動精製された温かなパンを取り出した。
神に制限された男が、僅かな魔法と英知を組み合わせて道を切り拓く。
断風の峠の寒風を切り裂き、ブルームーンの黒い影は、青き海岸地方を目指してさらに高くへと登り続けた。
最後まで読んでいただきありがとうございます!
もしこの「ジャージ管理者の等価交換ファンタジー」を面白いと思ってくださったら、ぜひ評価の「星」やブックマークで応援していただけると、カイトの魔力と作者のモチベーションがリペアされます!
よろしくお願いいたします。




