第110話:霧の湿原と『詰まり』の正体
リスタの街から北へ数刻。
かつては街道の一部として機能していたはずの場所は、視界を数メートル先まで遮る濃密な白霧に飲み込まれていた。
湿った空気が、漆黒のジャージの表面に細かな水滴を作る。
だが、カイトの『事象復元』によって防水と撥水の機能を強化された布地は、内部の温度と湿度を完璧に一定に保っていた。
「……カイト様、三メートル前方から魔力の密度が急上昇しています。……空気中に漂う魔力が、まるで泥のように重く、呼吸を阻害しようとしています」
リアが鼻先をぴくつかせ、不快そうに顔をしかめた。
獣人としての鋭い感覚は、この霧が単なる自然現象ではなく、行き場を失った魔力が飽和し、物理的な質量を持ち始めていることを敏感に察知していた。
「……計算通りだ。……エリザ、お前の蓄魔石のシャッターを全開にしろ。……吸えるだけ吸い込んで構わん。……これはお前にとって、飲み放題のドリンクバーのようなものだ」
「……例えが相変わらず安っぽいわね。……でも、確かに。……この霧、私の喉を焼くような不純な力だけれど、今の杖なら……あら、面白いほど吸い込まれていくわ」
エリザが杖を構えると、周囲の霧が渦を巻き、青いラインの走る杖へと吸い寄せられていく。
彼女の蓄魔石は、溢れるエネルギーを次々と純粋な魔力へと変換し、予備のバッテリーを急速に充填していった。
「……霧が晴れてきた。……だが、これが目的ではない。……リア、この『詰まり』の根源を探せ。……周囲の魔力を引き寄せ、停滞させている中心核があるはずだ」
カイトは魔導銃『等価の天秤』のシリンダーを軽く回した。
真銀の芯を得た銃は、周囲の異常な魔力反応に共鳴し、その指先に僅かな痺れを伝えてくる。
「……北北東へ二〇〇メートル。……一番『鼻につく』場所があります。……そこだけ、魔力の流れが不自然に渦を巻いて、地面へ吸い込まれています」
「……案内しろ」
三人は視界が僅かに開けた湿原を、迷いなく進んでいく。
やがて現れたのは、湿原の中央にぽっかりと口を開けた、不気味な底なし沼だった。
その中央には、長年の魔力蓄積によって変異した巨大な植物――『魔喰らいの睡蓮』が、周囲の霧を吐き出しながら鎮座していた。
「……物理攻撃を透過する原生生物、か。……正体はあれだな。……植物が魔力を吸い込みすぎて、実体と幻影の境界が曖昧になっているだけだ」
カイトは銃を水平に構えた。
通常の弾丸であれば、幻影を通り抜けて泥に沈むだけだ。
だが、今のカイトが放つのは、物理的な弾丸ではない。
「……エリザ、杖に溜まった魔力を半分、俺の銃に回せ。……回路を接続しろ」
「……欲張りね。……いいわ、最高の『お裾分け』をあげる。……闇の供給!」
エリザの杖から放たれた紫の魔力が、カイトの銃へと吸い込まれる。
真銀の芯が眩い光を放ち、銃口に圧倒的なエネルギーが収束していった。
「……事象復元――『正常な密度の空間』への定義上書き。……射線上の不純物を排除し、大地の呼吸をリセットしろ」
カイトの指が引き金を引き絞る。
放たれたのは、轟音ではなく、空間を切り裂くような静かな閃光だった。
その一撃は、睡蓮の花弁を貫くのではなく、その存在を支えていた『異常な魔力集中』そのものを、強制的に解体した。
――バキィィィィィン!!
鏡が割れるような音と共に、湿原を覆っていた重苦しい霧が、一気に霧散していく。
核を失った睡蓮は、ただの枯れ草となって沼へと沈み、淀んでいた空気は本来の清涼さを取り戻した。
「……判定、成功。……周囲の魔力密度が規定値まで低下。……街道の通行を妨げる要因は完全に排除されました」
リアが冷静に周囲をスキャンし、安堵の報告を上げる。
「……ふぅ。……なんだか、溜まっていたものを一気に吐き出した気分だわ。……ねえ、カイト。これで銀貨一五枚なら、案外割に合う仕事だったんじゃない?」
エリザが満足げに杖を回す。
カイトは無言で銃の熱を確認し、ホルスターに収めた。
「……一五枚以上の収穫だ。……これでこの銃の『出力安定性』が証明された。……次は、この力をより大規模なリソースの再配置に使うぞ」
霧が晴れた湿原に、久しぶりの日光が降り注ぐ。
不揃いな三人の影は、新たな実績をその手に携え、再びリスタの街へと歩み出した。
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