47.初恋の顛末1
目を覚ましたとき、エレノアはまたいつもと違う寝室にいた。
やわらかな色合いに整えられていたエレノアの寝室とは違い、こちらはずっと落ち着いた装飾だ。何よりベッドが広い。
ああ、そうか。これはエレノアの部屋の寝室ではない。先日のルヴィンの部屋とも違う。夫婦のための寝室だ。
エレノアはゆっくりと体を起こした。先日倒れた時よりもずっと気分はマシだった。
寝間着に着替えさせられているが、腕にはルヴィンから贈られたブレスレットがはめらたままだ。
これのおかげで、魔力酔いが緩和されているのが分かる。
「殿下、お目覚めですか!」
メイザー夫人が目敏く気づいたようだった。夫人は他に控えていた侍女に何やら命じて、駆け寄ってくる。
他に人の姿がないのを確認して、エレノアは尋ねた。
「私はどのくらい眠っていた?」
「半日ほどです」
部屋の中は薄暗い。分厚いカーテンが閉められているせいだけではないだろう。
もう夜になってしまった。
「結婚式の披露パーティーは、どうなった」
「本日は取りやめとなり、明日改めてとのことです」
魔獣のせいではないだろう。
被害はさほど大きくなかったはずだ。帝都の街の一部分の被害のために、これだけの来賓を集めて取りやめるとは思えない。
延期となったのは、アデライン皇女が倒れたせいだ。
ここで倒れてしまったのは、さすがにまずかったか。エレノアは顔をしかめた。
「お加減がよろしくないのですか? 医師を呼んで参ります。魔獣に襲われた影響はないようだとのことでしたが」
「いい、ただの魔力酔いだ」
メイザー夫人は、心配そうにエレノアを見た。
皇宮でエレノア達を出迎えたときはすさまじい目でエレノアを見ていたものの、さすがに、不調の折に責めるような非道ではない。
そもそもエレノアが強靱なことを知っていても、こうやって心配してくれるメイザー夫人は得がたい人だと思う。
「ルヴィン殿は」
「いま、カトリーヌが……」
メイザー夫人が言いさしたところだった。扉の外から、足音が響いてくる。
「アデライン殿」
慌ただしくルヴィンが部屋に入ってくる。
結婚式用のきらびやかな服から、すっかりくつろいだ服装に変わっていた。
「起きておられてよろしいのですか?」
彼がベッドの横の椅子に腰掛けると、メイザー夫人達はそそくさと部屋を去って行った。
薄明かりが灯されただけの部屋で、ルヴィンはひどく憂えて見えた。しかしオーラソードのこと、アデラインのことをどう思っているのか計りかねる。
エレノアはいつかと同じように、そっと言った。
「たびたびご心配をおかけして申し訳ありません」
「そのようなことはありません。これまでも、今日のことも、こちらの不手際です。ずっとご不快な思いとご苦労をおかけして、謝らなければならないのはこちらです」
先日の襲撃の件に加えて、確かに不手際はすべてヴォルネス側にある。ルヴィンはきっと皇后のことも含めているだろう。
今回の魔獣の件はまさに、病弱な皇女に負荷を与える問題ではあった。
だが、エレノアが倒れた本当の理由は、ルヴィンのせいではない。魔力酔いについては、浄化の道具を用意してくれていた。
すべては、帝都に魔獣を放った何者かのせいだ。
「あなたの企みでないのであれば、あなたが謝ることではありませんわ」
エレノアは、静かにルヴィンに告げた。
「確かに、私の企みではありませんが。……企みと言えば気にかかっていたのですが」
ルヴィンは苦笑する。
「聖杯の件を、うかがっても良いでしょうか」
まあ、そうくるだろう。
どう言いつくろっても、他の参列者が神秘だと誤魔化されてくれようとも、ルヴィンは無理だろう。
「先日リュシエル大神官から、何か問題が起こるかもしれないと伺っていたので、血統証明が行われる前に聖杯を手にしたかったのです。儀礼用の聖杯が壊れたのは、リュシエル大神官が何かしてくださったのでしょう」
まさか握りつぶしたとは言えない。
聖地の神官のことは、帝国からは不可侵領域だ。どうせリュシエルに確認することなどできないから、彼に押しつけることにした。
「そうですか。アデライン殿の機転に助けられました」
ルヴィンの笑みは変わらず暗い。彼はいつかのように、エレノアの手を取ったりせず、椅子から動こうとしない。
結婚式を終え、初恋の思い人と結ばれた男とはとても思えない。
昼間の帝都での事が影を落としているに違いなかった。
「私が恐ろしくはありませんか」
彼は自嘲気味につぶやいた。
「お聞きになりませんでしたか。不吉な皇太子と呼ばれているのです。この目のせいで」
そんなわけがない。しかし即時に否定するのも、とりつくろう嘘のようで、エレノアは詰まってしまった。
リュシエルも、白髪と赤に近い目のせいで捨てられた子供だ。赤い目を恐れる人々がいるのも事実だ。その結果、排除しようと強硬な手段に出る者もいる。
だがあまりにも馬鹿馬鹿しいことだ。
エレノアにとって、そんなものただの色でしかない。高貴とされる紫の瞳ですら。
生まれもったものは、その人の責任ではない。ルヴィンが言っていた通りのことでしかない。
「あなたが不吉であれば、教皇聖下が、あなたを尊重するはずがありません」
エレノアの言葉に、ルヴィンは小さく微笑んだ。その表情を見て、エレノアは間違えたのに気づく。
彼が欲しいのは客観的な意見ではない。アデラインが、ルヴィンをどう思うかだ。
赤い目など恐ろしくもない。
それはエレノアの中の揺るぎない事実であって、だからこそ誤った。自分自身の思いでなく、誰もが納得するであろう意見を口にしてしまった。
「ルヴィン殿……」
「アデライン、とお呼びして良いでしょうか」
言い募ろうとしたエレノアをさえぎり、ルヴィンは言った。エレノアは面食らって、言うべき言葉を無くした。ただうなずく。
「ええ、もちろん。近しい者は、アディと呼びます」
アディ、とルヴィンは口の中でつぶやいた。それから取り繕ったように、端正な顔に薄く笑みをたたえる。
「私のことも、どうかルヴィンと呼んでください」
これはよろしくない。良くない流れだ。一線を引こうとしている。
「ルヴィン……、あの」
「あなたも、あなたの事情がおありでしょう。どうかこのような夫でも、我慢していただかなければなりません。ですが、ご不調の折に無理を強いたくないのです」
結婚式の後、本来ならば初夜となるはずだった。
この流れは良くない。
――いや、家と己の立場を背負う貴族の男子であれば、ましてや皇太子であれば、ことの重要性をわかっているはずだ。
「ですが……」
どうにか、そういう方向へ持っていかねばならない。ならないのだが……。強引に押し倒す訳にもいかない。アデラインはそんなことをしない。




