45.帝都襲撃とソードマスター1
エレノア達がいるのは、無防備に見えるオープンな馬車だが、魔法でガチガチに防御されている。皇太子夫婦の乗るものなのだ、当然だ。
しかしそんなこと、すべての者が理解しているわけではない。ましてや、この状況。
――しかし、あまりにも意図的な放言だ。
ルヴィンが固まっている。何よりも彼をえぐる傷なのだと分かる。その間近で、不穏なつぶやきが広がっていく。
「皇太子が魔獣を呼び寄せたんだ!」
「赤い目の魔獣の皇太子が……!」
おかしい。
魔獣が弾かれたのは確かだが、皇太子の乗る馬車を襲おうとして、ルヴィンが迎撃したととれなくもない。
なのに、まるで魔獣の出現すらルヴィンの仕業のように、ざわめきが広がっていく。
何か混ざっている。民の思考を誘導しようとする誰かが。扇動する者のせいで、動揺が伝搬していく。
そのうちかつての、魔獣の皇子だなどという演劇が、意識に上がる者もあるだろう。
「ルヴィン殿、気にしてはいけません」
エレノアは言いながらも、まったく意味の無い発言だと分かっていた。いまそんなことを言ったところで、彼の耳に届くわけがない。
逆にルヴィンはエレノアの肩を支えたまま、焦れた様子で言った。
「オグラスは早く手を打たねば被害が広がる。アデライン殿、ここを離れないでください。馬車にいれば安全です」
「しかし今は……!」
止めようとした。その瞬間に小さな魔方陣がルヴィンの足下に現れる。それと同時にその姿がかき消えた。
肩に触れていた手と、間近にあった体温が消える。ふわりと空気が動いて、いなくなった人の隙間を埋めた。
民の間にどよめきが起きた。絶望のこもった悲鳴のような声があがる。
「逃げたの……!?」
そうだ、ここでルヴィンが姿を消せば、逃げたように見える。民衆に潜んだ何者かに追撃の隙を与える。ルヴィンが冷静ならば、この場を離れたりしなかっただろう。
オグラスに手を打たなければならないのは確かだが、駆けつけず部下に指示を出すべきだった。
ルヴィンの火力が全力で使えれば、こんな魔獣どうということはないのだろうが、ここは障害が多すぎる。間近で的確に攻撃すべきというのは分かるのだが。
また別の場所で、不穏な気配が弾けた。オグラスが現れたのとは反対側、慌てて目をやると、黒煙が見える。
揺らめく黒煙は染みのように広がり、こちらへ向かってくる。得体の知れない闇に追われ、人々がまた逃げ出してくる。
「デヴォル……!」
よりによって、魔力を食う魔獣だ。どんどん大きくなり、人々を飲み込んでいく。路地を出て、これも人を掻き出すように大通りへと現れた。こちらへ向かってくる。
エレノアは、心底腹が立っていた。
毒を吐くオグラスも、魔力を食らうデヴォルも、この場の襲撃を狙い据えた魔獣だ。知と魔法の街である帝都を混乱におとしいれるためのものだ。
どういう企みなのか、もはやどうでもいい。
企てた者からしてみれば、魔獣が誰を襲おうが、どうでもいいのだろう。ルヴィンを殺すどころか、傷つけることができなくても。
彼が不吉な生き物だと、彼のせいでこの事態が起きたのだと印象づけることができる。廃位させるのに、命を奪う必要はない。
下劣でムカっ腹が立つ。
エレノアはドレスの裾をからげ、馬車の上で立ち上がった。
「殿下、いけません」
クリフォードが慌てて馬をくり、駆けてくる。それも人の群れにもみくちゃになっていたが。
エレノアはクリフォードを見下ろした。
「見過ごせというのか」
教会での宣誓も済んだ。もはや我慢することがあるだろうか。
皇宮で駆け引きをして、命を狙い合うなら勝手にすれば良い。しかし政権争いに民を巻き添えにするとは。
権力者の勝手な動向に振り回され、無為に命をむしり取られるのを見るのは、我慢がならない。
「そういうわけではありません。今ここで動いては、すべて無駄になります」
「だがあれを倒す手段は限られる。ルヴィン殿には無理だ。騎士団は当てにならない」
「道中、ご自分がおっしゃったことをお忘れにならないで下さい。宣誓が終わっただけです」
宣誓をしただけ、とは不遜な発言だが、事実だった。
神への誓いは、誓約でお互いを縛ると同時、大勢の前でのお披露目だ。
しかし古からの慣例に従うならば、その後が必要だ。大昔では、ふたりが寝台に入るまで親類が見守ったという、結婚という誓約。さすがにそのような慣習など撤廃されて久しいが。
白い結婚では意味がない。いつでも離縁できる。
「今それを持ち出すか?」
苛立つが、クリフォードの言うとおりだ。まだ正体を疑われるわけにはいかない。エレノアは舌打ち一つ、逃げ惑い、押し合いながら馬車の周りにひしめく民衆を見る。
敵の狙いは分からないが。
もしエレノアなら、ルヴィンがこの場を離れた今、民衆が押し寄せ、身動きできない皇女を狙う。
ルヴィンを追い詰められる上、政略結婚をつぶせるなら上々だ。
そもそも最初からアデライン皇女を狙っている可能性も否定はできない。これも皇后の仕業だと決めつけられない以上、再度戦線を開きたい者の企みかもしれない。
思った時、間近の路地で闇が弾けた。すでにもう、これ以上の喧噪は耳に入らないくらいだったのに、悲鳴がそれを上塗りした。
馬車のすぐ側で黒煙が立ち上る。濃い闇の中、赤い目がいくつも見える。魔力食いのデヴォルが、そこにも現れた。
馬車を守る結界も、この魔獣が食らうだろう。
騎士団はちりぢりで、無防備になった馬車の妻を守るべきルヴィンもいない。いるのは、護衛騎士ただ一人。クリフォードも優れた剣気の使い手ではあるが。
やはりな、と。エレノアは苦々しく笑う。
「クリフォード卿」
エレノアは低く抑えた声をだした。
「こうなったらソードマスターになってもらう他ないようだ」




