41.置いてきたもの2
「本当に、メイザー夫人には感謝しているの。他国にまで付き添ってくださるなんて、すばらしい忠義です。殿下は離宮で過ごしていらして、あまり社交界には慣れていらっしゃらないから、心配だったのよ。夫人がそばで支えてくれていると思えば、わたくしも安心だわ。あなたの手腕で、殿下の不安も払拭してさしあげてね」
普段戦地を駆け回っているせいで社交界の常識も知らず、不穏である故、無骨者は再教育してやってくれ。ということだろう。
「全力を尽くします」
ほどほどにしてほしい。エレノアが内心げんなりしたところで、母は再びエレノアに向き直った。
「殿下。この叔母のように、円満な夫婦関係を築いてくださいませ。ご多幸をお祈りしております」
この母のように……夫の手綱を握りしめろということだろうか。
確かにそれができれば、少なくとも両帝国間で再び戦線が開かれることは……なくならないかもしれないが、可能性は低くなるだろう。彼が無事に皇帝になったとて、皇帝の一存だけですべてが決まるわけではないが。
しかしグレイヴス公爵家の場合、恐らく結婚前から、父が何よりも母を最優先している大前提がある。
「ご助言感謝いたします」
エレノアは苦笑を隠すように、礼をした。
母が去った後、再び来訪者がある。皇太子宮の騎士が、声高らかに宮の主の到着を告げた。
開かれた扉の向こうに、エレノアを迎えに来たルヴィンが姿を見せる。しかしルヴィンは扉の前で立ち止まり、息を飲んだ。
ルヴィンがしばらくかたまっているので、エレノアは少し不安になってきた。母の及第点には達したようだったが、結局母も身内の贔屓だっただろうか。
思ったところで、ルヴィンは面映ゆい表情をして、照れたように微笑みながら部屋に入る。
「まるで女神エオディアのようで、感嘆いたしました」
どうやらおかしくはないようだ。
ルヴィンは、エレノアとは正反対の衣装を纏っていた。黒い衣装に銀糸の刺繍を施されたものだ。
先程ルヴィンはエレノアのことを、太陽と武の女神エオディアのようだと評したが、ルヴィンは、月の女神で夜を纏うカルス神を思わせた。
二人の衣装は正反対で、結婚式の装いとしては対になっているとは言えない。まるで調和していないようにも思えるが、それぞれの国を体現していると思えば、政略結婚らしくはあるだろう。
「参りましょう」
ルヴィンはエスコートの手を差し伸べてくる。エレノアは大人しくその腕に掴まって歩き出す。こうやって並んで歩くのも、だいぶ慣れてしまったものだ。
侍女達も、廊下に居並ぶ騎士達も、立礼して二人を見送った。部屋を出たところで、騎士達が後ろに従ってくる。
ルヴィンはめずらしく緊張しているようだった。いつもの微笑みをうかべているが、動きが硬いように思う。
自分で分かっているのか、気持ちをほぐそうとするかのように、少し砕けた様子で話しかけてきた。
「先程グレイヴス公爵夫人がいらしていたとうかがいましたが、貴方の従兄弟は来ていないようですね」
よりによってその話か。エレノアは慎重に答えた。
「いとこ……エレノアのことでしょうか?」
「ああ、いえ。エリック公子です。あなたも会いたかったのでは」
来られるわけがない。ここにいるんだから。言い淀んだエレノアに、ルヴィンは微笑んだ。
「エレノア嬢もあまりお体の強い方ではないようですから、長旅はおつらいのでしょうね。お会いできず残念です」
エリックの妹であるとされるエレノアの、病弱設定についても知っているようだ。
ちなみに今のエレノアは、本物のアデラインだ。こちらも来られるわけがない。
黙ってしまったエレノアをどう思ったか、ルヴィンは続けた。
「エリック公子とは、戦線ではなく、会って話してみたかった。彼は常に冷静で、必要以上の戦闘を避けようとしていました。そのおかげで先の戦乱も、横槍があるとき以外は大きな衝突が起こらずにすみました。互いに、軍は国同士ではなく、魔獣に向けられるべきものだと思っていたように感じていました。話せば案外気があうように思っていたのです」
「そうでしたか」
面と向かってそう言われると、エレノア自身もそれは残念に思った。
魔道士として優秀で、冷静沈着で、時に冷酷なこの皇太子の火力には悩まされたものだが。――ここまでの道中、彼が思いのほか短気で過激であるというのも、分かったのだが。
エレノア自身もルヴィンのことを、先程彼が語ったような人であるように思っていたからだ。
いつも必要以上の戦闘を避けようとしていた。エリック公子として、彼と語り合ってみたかった。
「エリックは戦を終えたら領地に戻って休養したいと申しておりました。自身の影響力も意識しておりましょうし」
自身が軍隊のような戦力を持つソードマスターが他国へ足を踏み入れることは、無駄な警戒を生む。
「なるほど、さすが賢明だ」
話している間に、皇太子宮を出て、皇宮の正面に出てきた。
大聖堂へ移動するため、屋根のないオープンな馬車が用意されている。
金銀でふんだんに装飾され、四頭の白馬が引く豪奢な馬車は、結婚式の後に帝都でのお披露目パレードを行うためにも使われるものだ。
ルヴィンに手を支えられ、馬車に乗り込む。しかしルヴィンは自分が乗り込んでも、馬車の中でエレノアの手を離さなかった。
疑問に思ったエレノアに、ルヴィンは微笑んだ。どこに隠し持っていたのか、そっとエレノアの腕にブレスレットをはめる。
同時に、清浄な気が体を包み込んだ。体にのしかかるようだった魔力がやわらぎ、息がしやすくなる。
「神聖力のこめられた浄化の石です。どうか、いつでも身につけていてください」
赤い石のはまったブレスレットだ。繊細な金糸枝を模してからまりあうような、シンプルでいて趣向の凝らされた上品なものだった。
今日の装いからは多少浮いてしまうが、拒否する理由にはならなかった。
「お越しになることが決まったときから用意させていたのですが、思いのほか時間がかかってしまいました。少しでも御身の役に立てば良いのですが」
ルヴィンは、エレノアの不調を「魔力酔いではないか」とすぐに言い当てた。
そうなることを予想して、エレノアの――アデラインのために、浄化の道具を用意しておいてくれたのか。
「感謝いたします」
エレノアは心から言っていた。
リュシエルに浄化してもらってから、かなり楽になってはいたが、効果は長く続かないものだ。
こういったものに頼らずにすむよう、体を慣らしていかねばならないが、急場をしのがねばならない今はとても助かる。
夫となる相手からのはじめてのプレゼントだと気づいたのは、馬車が走り出してからだった。




