39.大神官の注進
エレノアはため息交じりに頬杖をつき、リュシエルを見る。
作法をかなぐり捨て、嬉々として茶菓子をつまむ姿は、神官らしくない。少年期から抜け出たばかりの年頃だから、仕方ないと言えばそうかもしれないが。しかし浮世離れした異容と美貌のせいで、ずっと年上に見える。
彼はその白髪と、赤に近い瞳のせいで、捨てられた子供だった。そして残念ながら、子供を北部に捨てたり、神聖力や魔力のある子供を人買いに売りつけるということは、ままあることだった。
リュシエルは魔獣討伐の折、魔獣ウェーブに囲まれて死にかけていたところを、エレノアが助けた子供のうちひとりだ。
生まれ持った神聖力が強く、自分で長い間しのいできたようだったが、北の厳しい環境にさらされ、子供だけでは限度があった。
グレイヴス公爵家の口利きで神殿に見習いとして入り、その後大神官までのし上がったのは本人の才覚だ。それと、魔獣に囲まれても諦めない強さと、執念深さの。
それに彼から普通の生活を奪った容貌も、神官になってしまえば、神秘性があるとかで武器になるようだった。
「どうして、こんなおもしろいことしているのを教えてくれないんですか」
「急な勅命だったから仕方がないだろう。そのうちには報せをやる予定だった」
「本当ですか? こうしてバッタリ会わなければ、機密だからって教えてくれなかったんじゃないですか?」
リュシエルはソファの背もたれに身を投げ出した。大きくため息をつく。それから、さっきまでの浮ついた様子を捨て、低く落とした声でつぶやいた。
「もう公子は魔獣の討伐には来ないと言うことですか?」
しょんぼりとした声に、エレノアは少しばかりためらった。
「……まあ、そうなるだろうな」
「もうインセクレムにも来てくれないんですか?」
「それはまあ、そうなるかもしれないな。アデライン皇女は体が弱いし」
「でも! 聖地巡礼はされますよね。ご結婚の後に! 天鎖の儀にはルヴィン殿もこられるし、一緒に来ますよね!」
「まあ、もしかしたら、そういうこともあるかもしれないが。天鎖の儀は無理じゃないか」
やたらとエレノアの周囲をひっかきまわそうとするのは厄介だが、懐かれているのは分かっているし、悪い気がしないのも事実だ。
子供の頃のように頭をなでてやることはできないが。
リュシエルは急に立ち上がった。
「そうか、俺が時々巡礼に出ればいいんだ。ついでにここに寄ればいいんだ」
「巡礼はいいが、そんなことばかりしていては、教会内でのし上がれないぞ。偉くなるんじゃなかったのか」
「俺を馬鹿にする奴らを踏みつけたいから昇進しただけなんで。大神官になれたらけっこう充分なんで」
まったくもって神官らしくない。
カティア達が見たらたいそうショックを受けるだろうが、若くして大神官になったこの男は、とりつくろうのが得意だ。
もし侍女達が急に現れても、すぐさま慈愛の微笑みをうかべて、楚々とした態度をとるに違いない。
「そんな偉い俺だから知っていることを教えて差し上げます」
リュシエルは座り直し、いたずらな顔で言った。
「インセクレムより聖杯を持ってきているのです」
「結婚式を行うのだから、聖杯を持ってくるのは当然だろう」
皇族の結婚式は、聖地インセクレムより派遣された神官が執り行う。そして聖地よりもたらされた聖杯に注がれた聖水を一口ずつ飲み、誓いの言葉を述べる。
「分かっていませんね。聖杯は誓いを交わすためだけのものではありません。皇族の血統証明を行うために使われることもあるのです」
「どういうつもりだ?」
「皇后陛下の提唱だそうですよ。このたびは、両帝国の皇家同士の、類を見ない結婚です。それを神の前に証明し、強固なものとするために、結婚式で血統証明をおこなうのはどうかと」
なるほど、もっともらしい言い分だ。それに結婚式で儀礼的に執り行うのは、自然ではあるし、誓いの証明としては悪くない考えではある。
「私を疑っているわけではないよな」
まさか、これまでの襲撃犯の口封じに失敗して、生き残りがいたのだろうか。それとも目撃者か。
しかし血統証明で身代わりを暴露しようとしたところで、無駄なこと。
エレノアは血筋から言えば濃く皇家の血筋を引いており、血統証明で不利な結果が出る可能性は低い。皇后に言ったように、金髪と紫の目が、エレノアの血統を証明している。
むしろ血統証明をしてくれたほうがいいくらいだ。万が一にもエレノアの正体を疑われるようなことをしでかしてしまったときに、身の証しになる。
「皇后の目的はあくまでルヴィン殿でしょうね」
「しかし、ルヴィン殿が皇族であることは、今更確認するまでもないことだろう。皇太子として、北の魔獣を祓う儀式を何度もやっているじゃないか」
「天鎖の儀のことなど、余人はあずかり知らぬところですからね。誰がどれだけの犠牲を払って守ってくれているのかも」
見えないところで行われる正道に人は気付かない。見えないのだから仕方がないが、それがあるという事実すら歪めがちだ。
「感謝されたくてやっているわけではないからな。ルヴィン殿もそうかは分からないが」
国を守るのは皇族であり騎士である者の勤めだ。剣技を磨くという目的があり、エレノアも自ら進んでやっていることだ。押しつけがましい善意は持ち合わせていない。
しかしあまりにも都合がいい方にばかり流れる民衆――特に貴族たちには腹が立つことも多い。
「お前はルヴィン殿を疑っているのか?」
「そんな訳がないでしょう。ルヴィン殿下の強い魔力は、ヴォルネス皇家のお血筋ゆえでしょうし。何より殿下は聖剣をお持ちです。教会としては否定する要素がありません。だから教会も同意しているんです。まあ、個人的に気に入らない人は居るかも知れないですけど」
その発言は、自分が個人的に気に入らないと言っているかのようだが、今は置いておく。
「それなら血統証明など、正当性を証明するだけじゃないか。何か細工するつもりか」
真っ当にやれば、正しい血統だと証明されて終わるだけだ。皇后がそんなことをわざわざ進言するとは思えない。
「まあ、そうでしょうね。特にルヴィン殿の外見ですから。聖杯の血統証明の結果が出てしまえば、どのように荒唐無稽なことですら皆信じますからね。前皇后がどれだけ清廉潔白な人であろうと、輿入れ前の恋人の子だとか、身近な騎士をひきこんだとか、後でどうとでも言えるのです」
たとえ何か細工されたところで、エレノアの場合は疑いをはねのけることができる。逆に――ルヴィンにはそれができない。身代わりのエレノアより、彼の方が正統であるのに。
血統を疑うような演劇があったという話だ。少しでも疑問があればすぐに人々はそれを思い出すだろう。
「どう結果を偽証するつもりだ」
「簡単なことです。聖杯を偽物にすればいいんですから」
それは簡単なことだろうか。
聖杯は当然ながら貴重な聖物だ。厳重に保管され、位の高い神官しか扱うことはできない。
「私が浄化という名目で殿下のご機嫌伺いに参ったのと同じように、サイモン大神官は皇后陛下のご機嫌伺いに行っているのです。しかもサイモン殿は、教皇聖下から聖杯の管理をまかされておられるのですよ」
リュシエルは得意げに言った。確かに先程、教皇とリュシエルの他に、もう一人神官がいた。
「そんなあからさまなことがあるか?」
リュシエルは両手を胸に当てて、もっともらしく応える。
「しかし我々は神官ですので、俗世に関わりはもたないものです。サイモン殿も同様のはずですので、疑うようなことは何一つありません。この後、アデライン殿下の元へも訪れることがあれば、さらに不自然なことはありません。皇宮の皆様へ順にご挨拶へうかがっているだけですので」
エレノアは額に手を当てた。小細工のやり方はエレノアの得意とするところではないが、リュシエルの言う通りだろう。




