34.黎雪《れいせつ》と絶花2
「叔母様は大変にお厳しい方でいらっしゃるから。公爵閣下は幾度も求婚を断られたそうですけれど。先の皇后陛下は、そのような方ではなかったのでしょう? 肖像画はとてもお優しそうだったわ」
グレイヴス公爵夫妻の話は、イゾルデの社交界では有名である。カティアは、ウフフと笑いながら、そうでしたわね、と楽しげに言った。
「こちらの皇帝陛下は、たいへんお厳しい辺境伯閣下に、娘に皇后は務まらないと断られたそうですわ。皇帝陛下が幾度も訪れて口説き落とされたのだとか。前皇后陛下も、皇帝陛下の情熱に心を動かされ、陛下を支えたいと辺境伯閣下を説得して、ようやくご結婚の運びとなったそうです」
「辺境伯は反対なさっていたのね」
「北部の独立性を保つためと、中央の権力争いに巻き込まれることを嫌われたのだとか。ですが皇帝陛下は、北部と皇家の間をとりもつことで、魔獣ウェーブへの備えを強固に出来ると説得なさったのだそうです」
果たして現実そのようになったかどうか。
他国のことゆえ、エレノアも踏み込んで知っているわけではないが、そのような結果にはなっていないはずだ。
前皇后を失った北部辺境は以前にも増して独自の戦力を保持し、中央の政権には関わらない。
だからこそ、大きな後ろ盾を持つはずのルヴィンは命を狙われるような状況であったはずだ。
「皇帝陛下と前皇后陛下の恋物語は、庶民の間で一時流行の演劇にもなったそうですわ。魔獣が登場したり、辺境伯が障害となったり、それはそれは盛り上がる演劇だったそうです」
辺境伯は常に魔獣討伐へ意識を向けているとは言え、堅固な武力を保持するもの。
皇室からすれば煙たい存在ではある。対立性のある両家が結ばれたことは、庶民にも格好の話の種だったに違いない。
そんな背景があるのなら、ルヴィンは待望の皇太子だったはずだが。前皇后は亡くなり、彼は命を脅かされて育った。
「見てみたいわね」
「いまは現皇后陛下にはばかって、話にもあがらないそうですが」
まあ、そうだろう。こんな話、皇太子宮の中でなければできない。
「皇后陛下からすれば、ご不快かもしれないわね」
「それに一時期は、別の演目が出没自在に上演されていたようで、恋物語はまるでなかったことのようにされてしまって」
「別の演目?」
エレノアの相づちに、慌ててもう一人の侍女リーシャがカティアを小突く。
「おやめなさいよ」
「あ、えっと……」
カティアは少し躊躇う様子を見せた。明らかに顔には「しまった」と書かれている。
エレノアが耳を傾けるので、調子に乗って話しすぎてしまったようだ。
「前皇后陛下が亡くなった後に上演されたものですわ。皇太子殿下を貶める内容です」
横から別の少女が口を挟んだ。
ルヴィンがエレノアのためにつけたヴォルネスの侍女だ。皇后に呼び出されたとき、ルヴィンに伝えに行ったのも彼女だ。
イゾルデの若い侍女二人が気まずそうに顔を見合わせる。
「カトリーヌ、勝手にくちばしを入れて。殿下をご不安にさせるようなことをお耳に入れる必要はありません」
相手がヴォルネスの者であろうとメイザー夫人は厳しく言った。エレノアは微笑みながらメイザー夫人を止める。
「良いのよ、遠慮しないで。こちらの国やルヴィン殿下のこと、なんでも知りたいわ」
少しでも情報収集がしたい。エレノアの意図を悟ってか、メイザー夫人はそれ以上言わなかった。
カトリーヌは青灰色の瞳をきつくして言う。
「ルヴィン殿下の赤い目が、魔獣を呼び寄せるものだとか、魔獣の子であるとかいう、揶揄するような演劇が公演されるようになったのだとか。前皇后陛下を貶め、ルヴィン殿下の正当性を疑うような内容だったようです。もちろん皇族を侮辱するものとして、上演した者は罰せられたようですが、誰がどのようにはじめたのかは分からないままなのです」
「……それは、ひどい話ね」
それに、卑劣だ。
民意が盛り上がって前皇后を肯定していたのなら、逆にそれを利用してルヴィンを貶めようということだろう。
「皇帝陛下は、セリーナ様をそれは大事におもっていらっしゃいましたから、皇后陛下にとってはおもしろくないことなのですわ」
カトリーヌははっきりと言った。あまりに危険な発言だった。誰もが思っていても、口にはしない。不敬罪に問われてもおかしくない。
それに、現皇后の手であることを誰もが疑わないような状況だが、万が一にもそうでない可能性はある。
現皇后を貶めたい者もいるかも知れない。
「皇帝陛下は今もセリーナ様を思っておいでのはずですもの」
それは、意外な発言だった。
ルヴィンの危うい立場など、皇帝も分かっているはずだ。皇帝の庇護があれば随分と状況は違うはずなのに、そうは見えない。謁見したときも、淡々と接していた。
「確か……病で亡くなったのだとか」
「セリーナ様は、辺境の自由な環境で過ごしてこられた方でしたので、皇宮になじめず、大変ご苦労なさいました。ルヴィン殿下がアデライン殿下のことをとても気になさっておいでなのも、衰弱なさったお母上のことが思い出されるのかもしれません」
カトリーヌは随分と詳しい。もしかしたら辺境と関わりのある家柄なのかもしれない。
なるほど、と、エレノアは内心頷いた。
クリフォードの言うように、初恋の君だとか何だとか言うよりも腑に落ちる。
子供の頃助けてくれた、優しい少女を慕うのは確かに不自然ではない。しかし彼の態度はそれだけではない気がしていた。
隙のない端整な微笑みと、軍を指揮する隙のない鎧の下に、たくさんの傷を抱えた少年が隠れている。
ルヴィンがどれだけ気を砕いてくれても、寸暇を縫って、皇后の呼び出しがある。
こちらは紛れもなく暇なのだろう。エレノアは決めつけている。
「また倒れたのですって?」
皇后宮に呼びつけておいて、悠然とソファに座ったまま、皇后はエレノアを見遣った。
実際には倒れていないのだが。
結婚式が終わるまで、身代わりの発覚の恐れを少しでも遠ざけたかったので、倒れたことにしていた。
イゾルデの貴族たちと関わりを持ちたくなかったのと、皇后が何かにつけて難癖つけてくるのが面倒だったのもある。
しかし結婚式の手順や作法で話さねばならないことがあると言われれば、さすがに出向かない訳にはいかない。
エレノアに必要なものはイゾルデで用意して、結婚式の前に運び込まれるはずだ。今慌てて出来ることは、慣れない国の作法を気にすることくらいだ。
「ご心配おかけして申し訳ありません。皆様のお心添えを賜り、無事に回復いたしました」
とりあえず、か弱げにうつむいて応える。
エレノアはすでに皇后の部屋の配置も、人員の配備も、騎士達の様子や概ねの力量も把握していた。皇后宮全体も、主に通る場所は同様だ。
深窓の皇女がそんなこと見ているとは思っていないかもしれないが、もう少し危機管理をした方が良いと思う。




