33.黎雪《れいせつ》と絶花1
部屋を出るなり、ルヴィンはイラだった様子で自分の髪をぐしゃぐしゃとかきまわした。
部屋の外で控えていたメイザー夫人はもどかしいだろうが、両手を前に組んで大人しく黙っている。クリフォードに至っては、室内のやりとりを察しているのか、気にしている様子もない。内心面白がってはいるだろう。
ルヴィンは大きく溜息をつき、それから慌ててエレノアに言った。
「失礼いたしました。粗暴な態度をとりまして」
「気にしておりませんわ」
ルヴィンはエレノアの――体の弱い女性の歩調にあわせて、ゆっくり歩き出す。皇后宮を出て皇宮の庭園にさしかかると、ようやく重い口を開いた。
「申し訳ありません。皇后のことは予測していたのですが、私が戦後報告に出向いた隙を狙ったようです。侍女が報せにきてすぐに参ったのですが、大事はありませんでしたか」
端から見れば、エレノアはただ礼をしていただけだ。強要されたわけでもない。
勝手な行動を取れば無教養を嘲笑されるか、叱責されるかという状況だったが、エレノアからすれば大した問題でもない。
イゾルデ皇家がなめられる結果になるかもしれないが、そんなことで傷がつくような体面など持っていない。
やはり、「今は倒れない」で正解だったようだ。ルヴィンが過敏反応した可能性が高い。結婚式の前に事を荒立てたくない。
よりによって皇太子宮で命を狙われた直後だ、エレノアが思うよりもずっとルヴィンは苦慮しているようだった。
エレノアは彼をなだめるように、なるべく穏やかに応える。
「何の問題もございませんわ」
「身内の恥をさらすようで、早急にご忠告さしあげなかったことを後悔しています。皇后と私は多少難しい関係にあって」
「気にしていませんわ。よくあることですもの」
さらりと応えると、ルヴィンは驚いた様子でエレノアを見て、苦笑した。
箱入りの皇女の発言としては不穏だっただろうか。しかし家門内でのごたごたや後継争いなど珍しいことでもない。ましてや皇帝の跡継ぎ問題である。
ここに来るまで幾度も襲撃をうけたことを考えても、平穏な国内だとエレノアが思っているなどと、ルヴィンも甘く考えていたわけがないだろう。
「頼もしいですね。少し安心いたしました。アデライン殿にはずっとご不快な思いをさせてしまい、本当に心苦しく思っています」
「お気になさらないで。これでも、皇帝の娘ですわ。政略結婚も、それに付随する問題も、ずっと前から覚悟がございます」
きっとアデラインならこう言うだろう。思いながらエレノアは微笑んだ。
「……そうですね」
ルヴィンは曖昧に応える。
皇帝の子としての共感か、それとも、己の不甲斐なさを悔やんでいるのか。
ルヴィン殿が守って下さると信じている、とでも付け加えた方が喜んだだろうか。エレノアは何事も自分で対処してきたせいで、思いつくのが遅かった。
彼はエレノアの部屋まで送ってくれると、すぐに執務に戻って行った。
しかし、ルヴィンはもしかして暇なのだろうか。
そんなわけはないのだが、疑いたくなるほど、ルヴィンはたびたびエレノアの部屋を訪れた。
戦後の処理に加えて、結婚式の準備もあるはずだ。
さすがに皇太子の結婚式、しかも皇族同士であるため、いくら停戦のための政略結婚とは言え結婚式の準備には時間がかかる。
周辺国からの来賓があるのも通例で、それを省略しては権威にかかかるし、国交の問題にもなる。
本来ならばエレノアもやるべきことがあるはずなのだが、自国ではないため、制限されていた。
――いや、分かっている。暇だから来ているわけではない。
ここは皇太子宮だし、ルヴィンが側に居ることが一番の牽制にはなる。しかしそのためだけとは思えないほど、特に何を話すでもなく、のんびりと過ごして去って行く。
先程も、テラスでお茶を飲み、とりとめなくアデラインの好む茶や花の話をしてから、帰って行ったところだった。
「ルヴィン殿下は、本当にアデライン殿下を大事に思っていらっしゃいますわね」
茶器を片付けて、ウフフ、と笑いながら侍女のカティアが言う。
「皇帝陛下も前皇后陛下を、それはそれは大切になさっておいでだったそうですわ。こうしてよくお二人で過ごされたのだとか」
カティアはとても人懐こい少女だ。いつの間にかヴォルネスの侍女達と仲良くなったようだった。
自然と人に溶け込み、噂話や世評を聞き込んできてくれるのは、得がたい能力だ。
「まあ、素敵なお話ね。殿下の母君は北部辺境伯の令嬢だったとか」
エレノアは無邪気に喜んでみせた。カティアはエレノアが食いついたのが嬉しかったのか、うきうきと話し続ける。
「皇帝陛下が皇太子でいらした頃、辺境伯の元に領地視察へ訪れた際に、前皇后陛下にお会いになったそうですわ。前皇后陛下は、それは美しく聡明な方でいらしたようです。肖像画のお姿もお美しいですが、実際にはもっとお美しい方だったに違いありませんわ。ルヴィン殿下も、たいそうお美しい殿方ですものね。」
ヴォルネス帝国の北部を守るスカーディス辺境伯。
イゾルデの北部も同様だが、北部の辺境は厳しい寒さと魔獣の脅威にさらされている。その地を守るスカーディス辺境伯は、非常に厳格な人柄であるという噂を聞く。
かつての魔獣ウェーブでの共同戦線の折り、ルヴィンがまぎれ込んできた部隊の責任者が北部辺境伯の子息だったはずだ。
「ルヴィン殿下の母君は北部辺境伯のお血筋ということですし、いかめしい方を想像しておりましたけれど、とんでもございませんでしたわ」
「こら、カティア。不敬ですよ」
たしなめるメイザー夫人に、人なつこいカティアは、ウフフ、とまた笑って誤魔化した。
「イゾルデの北部貴族は険しい人が多いというわね。殿下はお優しい方ではあるけれど、見目を気にしたことはなかったわ」
エレノアは話を促すように、カティアに言う。メイザー夫人が大仰に溜息をつくが、気にしない。
ルヴィンは端整な顔立ちだとは思っていたが、どちらかというと優男という印象で、それ以上ではなかった。
「まあ、そのような気のないお言葉。人には好みというものがありますけれど、ルヴィン殿下は誰が見てもお美しい方ですわ。殿下はご自分を見慣れていらっしゃるから、評価が厳しくていらっしゃるのですわ」
「……そうかしら」
そもそも社交界に顔を出さないエレノアは容姿を評されたことはあまりなく、あったとして、公爵令嬢への忖度だ。
そうでなければ、婿入りを狙う輩のリップサービスだ。アデラインを思い起こせば、美しい女性であったことは確かだが。
「叔母君は、『麗峰の絶花』でいらっしゃいますもの。美しいものに慣れていらっしゃるのだわ」
この場合の「叔母」は、エレノアの実母のことだろう。
かつては皇帝の妹で皇女であったエレノアの母は、その身分と勁烈でありながら冷徹な性格と、美しい所作、洗練された立ち居振る舞い、教養に彩られた舌鋒、何よりもその美貌で、かつて社交界に君臨していたらしかった。
しかもああ見えて剣もそれなりの腕前だ。
『麗峰の絶花』というのはその頃からの二つ名で、要するに『超絶ものすごく高嶺の花』ということだ。
そのあだ名をもじって『凍峰の審花』などとも呼ばれているのを知っている。凍てつく峰から審判を下す花、ということ。
下手に近寄るとめちゃくちゃ恐い、ということだ。
その母に惚れ込んでいる父は、母以外をおろそかにしがちだが、母がうなずけばなんでもやる人でもあった。
イゾルデの槍であり盾である公爵家を操る母は、ある意味イゾルデの影の皇帝であるとも言えるかもしれない。




