29.天恩の歪《ひず》み2
――いや、馬車では大方「フリ」だったのだが。
なのだが、防御のためとはいえ魔力に覆われた馬車はあまり居心地が良いとは言えず、周辺を探知する意識もどこかでブツリと途切れがちではあった。
魔獣に気付くのが遅れたのもそのせいだ。しかし、本調子ではなかったが、崩れるほどでもなかった。
「なぜイゾルデの者だからと……」
「以前、イゾルデと共同で北部山脈へ魔獣討伐に向かった頃のお話しをしたかと思いますが……その際、出会った少年がそのように言っておりましたので。イゾルデは武の国である故、濃い魔力の渦に酔うことがあると」
その少年とは、魔獣討伐の軍にまぎれ込んだ子供の頃のエレノアのことだろう。
――言われてみれば、そのような言い訳をした気がする。
魔獣は北部山脈の魔力の歪みから発生する。当然、濃い魔力の渦にあてられ、今よりも魔力耐性のないエレノアは苦しめられた。
魔獣討伐の折りには神殿で祝福を受け、神殿騎士や神官も随行するから、浄化を受けられるのだが、あまり頻繁ではおかしい。
体質のことを知られるわけにいかず「イゾルデの者は」と主語を大きく話した気がする。それはそれで、まるで国の弱点を話したようになってしまったが、事実ではないので問題はないはずだ。
むしろイゾルデの者は魔力耐性が強いことが多い。鈍いという意味でもあるが。
ルヴィンも、もう大人で知識もあるのだから、少年の話したことが事実でないことは知っていそうなのだが。
「そうでしたか」
エレノアは慎重に応える。
侍女達やクリフォードが平然としているのをどう思っているのだろうか。イゾルデにだって魔法使いはいるし、魔道具を活用したものは日々使われている。
アデラインは特に体が弱いから影響をうけていると思ってくれているのだろうか。アデラインが過ごしていた温室は、魔法で常に居心地が良く温度が保たれ、皇女を外界から守っていた。それを忘れてくれていればいいのだが。
「お気遣いを感謝します。早くこちらに慣れることができれば良いのですが」
重ねて言ったエレノアは、否定も肯定もしなかった。勘違いしてくれているなら、それにこしたことはない。
それをどう受け取ったのか、ルヴィンはエレノアの布団をかけ直し、穏やかに言った。
「あまり長く話していては疲れてしまいますね。今日はこちらでお休み下さい。あなたに過ごしていただく部屋は、急ぎ用意させていますので、どうぞご安心下さい」
一応大規模に部屋を破壊しないよう気を遣ったつもりだったが、寝室で暗殺者が死んだし、血の跡などが残っているものを片付けねばならないだろう。
しかしエレノアは、それが惜しく思えた。最初にあの部屋に入ったときの印象を失うのは、残念だった。
暖かな日差しが入り、優しい風が通り、華やかすぎない庭園に面した部屋。テラスはとても居心地が良く、この魔力で息苦しい帝国においても、安らかだった。
アデライン皇女の過ごした温室に似たあの場所が、ルヴィンが特別にアデラインのために選んだ部屋であることがよく分かる。戦場から差配したにしては、とても心遣いが行き届いていた。
「いいえ、最初に用意して下さった部屋で構いません」
なんとなく、無碍にするのは躊躇われた。再度用意される部屋がどこであれ、あの不思議な暖かさを感じることはないだろう。
「しかしすでに賊の侵入を許した場所ですので」
ルヴィンは困惑したようだった。襲撃事件のあった場所で心安らかに過ごせないだろうというのは、当然の配慮だ。再び侵入される恐れもある。
「どのように侵入したのか、分かったのですか?」
「庭園を警備していた騎士を眠らせ、壁を登ってきたようでした。夜は外から窓を操作できないようにしておりましたが、何らかの魔道具を使ったのではないかと」
ルヴィンの回答は曖昧だが、随分と単純な侵入経路だ。しかも、詳細が分からないのは、エレノアが生け捕らず口封じをし、消し炭にしてしまったからに違いない。彼らのせいではない。
「それでは、同じ侵入経路を使うことはないでしょう。かえって安全なのではないでしょうか。……それとも、部屋の修繕に手間がかかってご迷惑でしょうか?」
「そのようなことはありませんが……」
ルヴィンは煮え切らない。
人が死んだばかりの不吉な場所に戻りたいなどと平然と言うのは、深層の皇女としておかしかっただろうか。むしろ不安がって部屋を変えてくれと願うものではないか。
思ったが、もはや今更だった。エレノアは微妙な表情をしているルヴィンに、正直に言った。
「ルヴィン殿が、わたくしのために用意して下さった部屋ですもの。お心遣いを無にしたくありませんわ。とても居心地が良く気に入っておりました」
ルヴィンは戸惑い、そして困った顔で笑った。少し嬉しそうでもあった。
「承知しました。しかし部屋を清掃する必要がありますので、しばらくこちらでお休み下さい。この部屋は安全です」
「……あなたは」
エレノアがベッドを占領しては、どこで休むのか。まさかルヴィンが寝ずに警護につくつもりか。純粋にそう尋ねたつもりだったが、ルヴィンは別の意味に受け取ったようだった。淑女の寝室に居座るつもりかと。
「私は執務室で休みます。いつものことですので、どうぞご心配なさらないでください」
いつまでも慣れない相手が間近にいては、不安がらせると思ったのだろう。
ルヴィンは立ち上がり、エレノアの手を取った。手袋をしてエスコートを受けていたときと違い、直に触れるルヴィンの手はあたたかく、硬い。剣士の手だ。エレノアの手も同じようなものだろう。
思わず手を引いたエレノアに、ルヴィンは微苦笑する。エレノアは慌てて言い訳をした。
「国では温室で過ごすことが多く、花の手入れをよくしておりました。荒れた手でお恥ずかしいですわ」
「とても熱心に励まれていたのですね。長く何かを握ってきた跡があるように思えます」
手荒れなどではない。手に胼胝がある、と言っている。
そんなことを令嬢に堂々と言うとは、不躾にもほどがあると思ったが。まさか、何か気づいているのか。庭師でもないのに、剪定のハサミでそこまでなるとは考えにくい。
「外に出ることがほとんどなかったので、手紙を書くことが多くて」
ペンだこだと言い張った。そんな令嬢は聞いたことがないし、剣とペンではたこのできる場所が違う。
「そうなのですね。いつか私にも書いていただけたら嬉しいです」
ルヴィンは表情を変えず、親しげに返した。そして、からになった手を唇に当て、貴婦人の手にキスをする動作をした。
「今度こそ、しっかりお守りいたします」
なんだか気まずいし、居心地が悪い。言い訳の下手さに気恥ずかしくもなる。
「……お心遣い、感謝いたします」
エレノアは、ただただ、アデラインらしくと念じながら微笑む。
ルヴィンは、医者を呼んで参りますと言って去った後、戻ってこなかった。




