第5話 赤い果実と約束の星
スライムとの戦いを終え、美羽は肩で息をしながら、膝に抱えたリンゴを強く握りしめていた。
庭や床にはまだ緑色の粘液がこびりついている。だが、ただ一つ、手の中の果実だけが、凛とした赤を失わずに輝いていた。
何故スライムのようなモンスターが何故突如現れたのか。何故電化製品から発せられる光や火が弱点であったのか。今はそんなのどうでもよかった。
ただ、震える指先でリンゴを掴む。かじるとひんやりとした表面と、口に広がる甘酸っぱさ。
それは、恐怖に押し潰されそうな心を、わずかに支えてくれる小さな勝利の証だった。
今はただ、その余韻に浸っていたい
「まってなにこれ!?」
ふと、宙に柔らかな光が生まれる。
星屑のような粒子が舞い、透きとおる文字が浮かび上がる。
[レベルアップ!]
美羽は思わず息を呑んだ。リンゴの赤に負けないほどの光が部屋を満たす。
光の正体は探すまでもなかった。
気づけば目の前に、透明な板のようなものが宙に浮かんでいた。
それはただの板ではない。
「なにこれ超!!きれい!!!!」
まるで新作のゲームを初めて目にした子どものように、美羽の瞳は澄みきった光で輝いていた。
目の前に浮かぶのは、水晶を幾重にも削り磨き上げたかのような透明な板。
その内部では光が何度も反射し、角度を変えるたびに虹色のきらめきが走る。
まるで夜空の星屑を閉じ込めた巨大なクリスタルの表面に、ただひとつ――文字が浮かんでいた。
[ステータス]
呼吸をするたびに、その板は微かに波打つように揺れる。
触れれば砕けそうで、けれど決して壊れない――そんな不思議な存在感を放っていた。
美羽はごくりと唾を飲み込み、恐る恐る指先を伸ばした。
クリスタルの表面に触れた瞬間、冷たさが皮膚を走り、同時に柔らかな光の波紋が広がっていく。
内部に刻まれていた光の文字が、ひとつ、またひとつと浮かび上がった。
[ステータス]
名前:美羽
性別 : 女
年齢:17歳
性別:女
レベル:2
職業:冒険者
HP:60/60
MP:30/30
物理攻撃力:4
魔法攻撃力:0
防御力:6
魔法防御:0
回避率:3
能力:回避反射
スキル:なし
装備:私服
さらに、その下には淡い金色の文がゆらめいていた。
[奇跡]
星を消費することでスキルや能力を取得したり、奇跡を起こすことができる。
また、星を10,000個消費することで「帰還」コマンド使用可能。
獲得星:1個
「……獲得星」
美羽は震える指で「奇跡」の項目をなぞる。
すると、クリスタルの中から一粒の光がふわりと解き放たれ、掌の上に舞い降りた。
それは小指の先ほどの、小さな星。
青白く脈打つたび、クリスタルの破片のように七色の光を散らす。
ひんやり冷たいのに、不思議と胸の奥は温かくなる。
美羽は両手で包み込み、そっと胸に抱き寄せた。
わずか一粒―けれど確かに“ここにある”。
胸の奥がかすかに震える。だがすぐに文字が突きつける。
必要数、一万。
「……たった一個で、残り9,000以上……」
思わず苦笑が漏れる。気が遠くなる数字。
けれどゼロではない。道は閉ざされていなかった。
横を見ると、悠翔は腕を組み、少し寂しげに俯いている。どうやら、戦ったのに星もステータスも何も表示されず、ぽかんとしているようだ。
美羽はふっと口角を上げ、にやりと煽る。
「あれれー??あんた必死になって製氷皿投げまくってたじゃん!!それなのにレベルアップも星もないんだ〜!!」
美羽の脳裏には嫌でも義兄と認めたくない、必死の形相で製氷皿をぶん投げている悠翔の顔があった。
悠翔は顔を上げ、美羽の目前で揺らいでいる文字の羅列を眺めていた。
「こんなものが……現実に……ステータスってまさにゲームの世界のキャラクターじゃないか」
「……スライムもいたんだよ。もう今更驚けないよ でも星を胸に引き寄せた時感覚でわかったの。わたしはこの星を集めるのが”使命”なんだって」
美羽の瞳は遠くを見つめ、膝の上のリンゴも手のひらの星も、ほんの少しだけ光を放っていた。
その声は静かで、それでいて確固たる決意を帯びていた。
「使命だと?」
「うん」
美羽はあっさりと返事をする。
小さく肩を震わせる仕草に、どこか寂しさが滲んでいた。
風が窓からカーテンを揺らし、二人の間にわずかな静寂が流れる。
「ステータスの下にあった”奇跡”の項目…きっと今得られた星を必死こいて集めるのがこの異世界に来た目的なんだよ」
その言葉に悠翔は目を伏せ、何も言えずに黙っている。
美羽の肩越しに漂う光が、彼女の小さな決意を静かに映し出した。
「ねえ」
声にわずかな強さが戻る。美羽は星を握った手を少し握り直し、覚悟を固めるように胸元に近づけた。
「あんたのことをお兄ちゃんって呼ぶことも認めることも今後一生ないけれど」
その言葉には抗いと決意が入り混じっている。
悠翔は息を呑み、肩をすくめる。返す言葉が見つからないようだ。
「……だけどあんたの応戦が助かったのは事実だから」
美羽はちらりと横目で悠翔を見る。わずかに微笑みを浮かべ、感謝を示す。
その微かな光景が、ぎこちないけれど少しだけ柔らかい空気を二人の間に落とした。
「ありがとう」
その声は短く、でも空気に溶けるように、光の糸となって悠翔の胸にそっと触れた。




