第108話「いたちごっこ」
『いろはにほへと ちりぬるを——
ちりぬるを わかよたれそ——
わかよたれそ つねならむ——』
それは、もはや「魔法」という概念を超えた、ただの暴力的な「処理」だった。
超演算力を持つ”電殻”・アンチ*イータフォースにとって、複数の高度な魔法を同時に構築し放つ多重詠唱など、並列処理作業の一種に過ぎず、その特性がそれを四天王最強たらしめる。
その場の全員が、攻撃に転じる余裕など一ミリもなく、防御に徹することしか出来なかった。
「こいつ、マジでヤバい……ッ!」
「これは流石に厳しいね……」
「うっ……!」
カノンは巨大化し、黒騎士姿となって三人を庇うようにうずくまる。
その巨大な暗黒の鎧の周りを、アークの黄緑色の結界と、ポラリスの血の防壁による合体魔法で覆い、四方八方から降り注ぐ雷撃の雨を何とか押しのけるのが精一杯だった。
絶え間なく続く強力な雷の直撃。
凄まじい電磁波の影響で、防御壁の内側でさえ空気がバチバチと焼け焦げている。今すぐ全員の身が内側から崩壊してもおかしくないほどの、致死量のプレッシャー。
鼓動が異常なほど早まり、息が乱れ、耳をつんざくような落雷の音や機械音声すらも、酸欠のせいで段々と遠のいていくようだった。
「もう……限界……キツイ……っ!」
カノンの鎧にヒビが入り始めた、その時。
チャラン。
澄んだ鈴の音が、雷鳴を切り裂いて響いた。
「お稲荷の 穂月に揺れる 九尾の火——」
静かな、けれど不思議な力を持った声だった。
「——言霊術・癒やし陽炎」
「えっ……スズナちゃん……!?」
カノンが目を見開く。
声の主は、いつもは大人しく何かしらを口に放り込んでいる亜人の少女、スズナだった。
だが、今の彼女は違う。彼女の背後で、九つの尻尾がまるで実体を持った炎のようにゆらゆらと揺らめき、頭の狐の耳がピンと鋭く尖っている。
妖狐の、覚醒だった。
「スズナさん戻って! ……そこから先はっ!」
「大丈夫だから」
危険を察知したアークの制止を聞かず、スズナはカノンたちを覆っていた半球状の防御壁から、ゆっくりと外へ歩み出た。
そして。
ボンっ!!
スズナが紡いだ言霊が形を成し、台座の上の銀色の立方体が、突如として爆発的な炎に包まれた。
先ほどまでの絶望的な雷撃の雨が、嘘のようにピタリと止む。
「わお」
ポラリスは額に浮かんだ冷や汗を拭い、注意深く、燃え盛る炎の方へと近づいた。
『異常検知—内容:発火 緊急事態発生—内容:外部の損傷確認』
炎の中から、無機質な音声が流れる。
立方体の表面を走る回路が、エラーを示すように赤く激しく点滅していた。
『至急—プログラムに則り、寄生段階へと移行—確認』
『周囲探知—該当寄生可能個体:アーク・ベルトード』
「……はい?」
名指しされたアークが、間の抜けた声を上げる。
「寄生って……アーク、防御へ!」
「分かりました!」
ポラリスの叫びに応え、アークは即座に自身の周囲に何重もの強固な魔法防御壁を展開した。
『異常検知—内容:寄生対象が魔法防御壁を展開』
『対処選定—結果:早急に寄生』
『緊急魔力充填—完了 対象心理操作—許容化:成功』
「……」
その言葉が響いた直後。
アークの張った何重もの強固な障壁が、内側からパリンと呆気なく解除された。
「アーク!?」
『寄生開始』
炎に包まれたままの銀色の立方体が、台座から弾丸のように射出され、何の抵抗も示さなくなったアークの脳天めがけて一直線に飛び込んだ。
ドチュンッ!
という嫌な音と共に、立方体はスライムであるアークの身体に深く沈み込んでいく。
(身体が……動きません。いや、動かさなくても……いいんでしょうか)
アークの意識は、恐怖よりも奇妙な安堵感に包まれていた。
システムによる強制的な心理操作。自分が寄生されることを「許容」させられたまま、アークのライムグリーンの瞳から光が消えた。




