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第100話「"霊這堂"」

 深い闇と瘴気に包まれたフロアで、ネロの首元にかけられた銀色のネックレスが、脈打つように僅かに光を放った。


「兄様は、長い話はお嫌いでしたね」


 ネロは小首を傾げ、狂気を孕んだ笑みを浮かべる。


「だが、ネロ。私はお前の話をもっと聞いておくべきだった」


 ケレンは聖剣を強く握り締め、苦渋に満ちた声で答えた。かつて守れなかった家族への後悔が、その声音に滲んでいる。


「……ふふ」


 ネロは目を細め、まるで祈りを捧げるように両手を胸の前で組んだ。

 そして、その愛らしい唇から、おぞましくも美しい詠唱が紡ぎ出される。


「その鼓動。火の海に沈まん威光。虚ろとなりて、諦め、微睡み、怖れ、嫉り、戒めろ。亡霊の声は罰と言わしめ、鎖からは逃げられぬ。六卿よ、背教徒と堕ちた我らを許したまへ——」


 空間が、ぐにゃりと歪み始めた。


「——”霊這堂(れいはいどう)”」


「来る……!」


 ミリアが鋭く叫び、身構える。


 突如として、周囲の景色が完全に反転した。物理的な法則が置き去りにされ、彼らは隔離された。

 ネロ・ゾーティアの魔力が支配する『絶対領域』へと。


 一瞬、耳鳴りがするほどの静寂が訪れる。互いの声と、荒い息遣い以外の「音」が世界から消失していた。


「なんだここは……教会か?」


 ケレンが周囲を見渡し、目を見開く。


「まるで、聖都の大聖堂のようです……」


 部下の一人が、震える声で呟いた。


「確かに……酷似している」


 だが、そこは決して神聖な祈りの場などではなかった。

 高くそびえる石造りの柱には無数のヒビが走り、その裂け目からは赤黒い炎がチロチロと漏れ出している。ステンドグラスは全てどす黒く塗り潰され、床には血のように赤い絨毯が敷かれていた。


「神よ、我らに罰を……っ!」


 ネロは祭壇に安置された巨大な女神像に向かって跪き、自身の胸に左手を当て、前に右手を差し出した。

 その刹那、無機質なはずの石造りの女神像から、頭の中に直接響くような『声』が発せられた。


『虚構たる私の、天罰を受け取りなさい』


 カッ! と女神像の双眸が眩い光を放ち、天井から無数の雷がケレンたち全員に向かって降り注いだ。


「がぁっ!?」

「くそっ……!」


 ミリアたちが聖剣の加護で雷撃を弾き飛ばそうとするが、直撃を免れてもなお、身体から急速に力が抜け落ちていく。


「何だこれは……まるで、魔力が吸い取られ……ッ!」


 膝をつきかけたケレンを見下ろし、ネロは口元を扇で隠すようにして笑った。


「兄様、御名答」


 ネロは立ち上がり、ゆっくりと振り返る。

 その紫苑の瞳の奥に、清白の『×』の字を不気味に光らせ、色白の頬を三日月のように吊り上げて微笑んだ。


「せいぜい頑張ってください」


 ネロが指を鳴らした、その時だ。


「う、うわああああっ!?」


 背後から悲鳴が上がり、ケレンとミリアが振り返る。

 聖騎士団の隊員の一人が、床の影から這い出してきた『真っ黒な人影』に足首を掴まれ、引きずり込まれそうになっていた。


「なんだこいつら!? 離せっ!」

「助けてくれぇ……痛い、痛い……っ」


 一つではない。大聖堂のあちこちから、黒い泥のような人影が次々と這い出してくる。彼らはみな、怨嗟の声を上げながら、生者である聖騎士たちへと群がっていった。


「これが、この私が”霊這堂”たる所以」


 ネロは両手を広げ、悍ましい亡霊たちの合唱を指揮するように高らかに宣言した。


「さあ、己が殺生()と向き合いなさい。貴方たちがその手で奪ってきた命の重みを、ここで精算していただきましょう」


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