第99話「号砲」
空は分厚い暗雲に覆われ、魔王城から立ち上る瘴気が周囲の大気をドス黒く淀ませていた。
ついに、人類と魔王軍の最終決戦の幕が切って落とされる。
連合軍の最前線、巨大な天幕が張られた本陣で、司令塔を任されたジルは虚空に展開した白いインターフェースを高速で操作していた。
「スキル『数学者』、座標表示」
魔王城内部の複雑な魔力場を、数式というメスで切り裂いていく。
「……見つけたぞ。最上階層に魔王。そして、中層部に『アンチ*イータフォース』と……もう一体、四天王ネロ・ゾーティアの座標を特定した」
ジルの的確な情報共有に、各部隊の通信機が慌ただしく応答する。
陣形の最前列では、開戦式が執り行われていた。
帝国と聖教国の高位魔導士たちが一斉に杖を掲げ、澄んだ声で詠唱を響かせる。
「——慈愛なる理の女神イデアよ。我らが剣に加護を、我らが盾に聖なる光を!」
女神イデアへの賛美の言葉と共に、黄金色のバフ魔法が何千という聖騎士たちの身体を包み込んだ。士気が最高潮に達したその時、陣形の先頭に一人の少年が進み出た。
異界の勇者、アズマ=ヒツキだ。
「よっしゃ、俺の出番だな。……スキル『銃司』、アサルトライフル生成!」
ヒツキの手に、重厚な機関小銃が顕現する。彼が狙うのは、遥か上空、魔王城のてっぺんに誇らしげに掲げられている禍々しい赤黒の旗だ。
だが、いくらスキルの銃とはいえ、ここからの距離では弾丸の推進力が足りず、重力と風の抵抗で届くはずがない。
(当たるわけがないだろうに。物理法則を舐めるな)
ジルが空中に指を走らせ、射線の軌道を数式で定義する。
「っと……食らえっ!」
ダダダダッ! と放たれた光の弾丸。
それは通常ならすぐに失速するはずだったが、ジルの『ベクトライザー』によって空気抵抗を完全にゼロにされ、さらにベクトルを城の頂点へと強制的に向けられた。
弾丸は流星のような軌跡を描き、はるか上空の赤黒い旗を見事に撃ち抜き、粉砕した。
「おおおおぉぉッ!!」
敵の象徴が折れたことで、連合軍から地鳴りのような歓声が上がる。それを合図に、全軍が一斉に魔王城へと進軍を開始した。
◇◆◇
部隊を見送った後、本陣には司令塔のジル、皇帝アウレウス、第三皇女デミトア、勇者の付き人ユー、そしてギルド代表代理のクウが待機していた。エドは寝坊したようだ。
「……はぁ。情けない話ですよね」
クウがため息をつきながら、手元の羊皮紙を丸めた。
「冒険者ギルドは全国に緊急募集をかけたのですが、今回の超重大クエストを受けてくれる冒険者は、結局一人も居なかったんです。皆、魔王城と聞いて尻込みしてしまって」
「無理もないだろう。これは国家と人類の存亡をかけた戦いだ。金で動く者たちには荷が重い」
皇帝アウレウスが腕を組んで頷く。
一方、デミトアは少し離れた場所で魔王城を見上げ、不安げに手を組んでいた。
「……ポラリスさん、アークさん、スズナさん……それに、カノンさん。四人とも、無事だといいのですが」
彼女たち四人は、別動隊として既に城の内部へと潜入している。デミトアにとって、彼らは種族の壁を越えた大切な友人たちだ。
「心配ない」
ジルはインターフェースから目を離さず、淡々と、しかし確かな信頼を込めて言った。
「あいつらなら大丈夫だ。なんたって、俺の生徒だからな」
その言葉に、デミトアは張り詰めていた肩の力をスッと抜き、嬉しそうに微笑んだ。
「そうですね……心強いです。とっても」
◇◆◇
同時刻。魔王城中層部。 ジルから指示された座標に従い、聖騎士団団長ケレン・ゾーティア、副隊長ミリアの率いる精鋭・ゾーティア隊は、ある階層へと突入していた。
そのフロアに足を踏み入れた瞬間、ミリアが「くっ……」と顔を顰めた。
なんとも形容し難い、異様でおぞましい魔力が空間に漂い、空気を粘つかせている。息をするだけで肺が腐り落ちそうな、濃密な死の気配。
そのフロアの奥から、コツ、コツ、と足音が響いた。
「あら。これはこれは。ケレン兄様ではありませんか」
深い闇の中から姿を現したのは、四天王の一角、ネロ・ゾーティアだった。
ケレンは表情を消し、静かに聖剣を抜き放つ。
「ああ、ネロ。私はお前の兄として——引導を渡しにきた」
「ふふふ、あはははは!」
明るく無邪気な声音。
だが、その裏側に、世界の底を破るような悍ましいノイズの混じった重低音が二重に重なっていた。
その”音”は、もはや人の発するものではなかった。




