第93話「地球」
日本・縁賀町
海沿いの町を見て、ジルは即座にここが異世界だと分かった。
『灰河高校』と書かれた標識も、彼はそれが文字だとも思えない。
「……それで、ヒツキってのは誰だ?」
よくよく考えてみると、彼は外見も何もわからないまま、こちらの世界へ渡ってきてしまった。
「昨日は雨だったみたいだな」
湿った空気と地面が、先程の城内と違いすぎて違和感を覚える。
グロリア王国のように地面はアスファルトで舗装されており、やはり歩き慣れない。
通行人を見ても、獣人や魔族などは見当たらない。
混血などもおらず、人間ばかりだ。
それも、黒髪の。
「ねえねえ、そこのお兄さん。それってコスプレ? めっちゃ完成度高えじゃん」
ふと、一人の男が話しかけてきた。
「こす……ぷれ?」
(もしかして……この世界には人間しか居ない? 見られるのはマズいか)
確かに、人間しか居ない異世界に、狼の獣人が現れたなんて噂になったら、どうなるか分かったもんじゃない。
世界が違う、ということは根本的、世俗的なルールが異なるかもしれないということだ。
ジルはマルチサークルで速度を上げると、その人間から逃げるようにして、真っ直ぐ走った。
「あっ、おい! 逃げることないだろ……!」
住宅地を少し進むと、大きな下り坂が見えた。
左上から右下へ、とても長い下り坂だ。
「よくこんな急な土地に家を建てるな。やはり異世界なのか」
それと同時に彼が、比例定数が0以下の一次関数を思い浮かべたのは、言うまでもないだろう。
すると、坂を下っていく珍妙な乗り物が見えた。
後ろには、カノンに瓜二つの少女が乗っていた。
そして、運転している黒髪の少年。
何より、移動スピードが尋常じゃない。
「あんなスピードで激突でもしたら……」
ジルは『数学者』スキルで、2人の移動し続ける座標を計算と同時並行で捉えた。
「ちょっ、アズキの頭の上ヤバい! なんか光ってる!?」
「はあ?」
アズキ。そう聞いて、疑いが確信へと変わった。
「ごめん。もしかしたら……ヤバいかも」
「え?何。分かんない! いきなりそんなヘンな事言われたって!」
「……っ!」
「ちゃんと……向こうの世界に飛ばす……!」
少年が、何かを叫ぶ。
それは絶望感への足掻きだったかもしれない。
はたまた、誰かへの愛の言葉だったのだろうか。
「『数学者』、座標・フラッテーション」
焦り。それは、計算の不完全性を著しく上昇させる。
「何で……ヒツキ!」
加速し続ける乗り物。
恐怖で、少女の頬には涙が伝う。
「加速度合の、計算ミス……!」
常日頃、暗算で済ませる焼きが回った。
カノン似の少女だけが取り残され、坂の先にある川へ、落下しようとしていた。
「もう一度……」
(待て……転送していいのか?)
不意に、ある疑問が生まれた。
(この少女を向こうに飛ばしたとして、もし因果律が狂うなら……?)
「良い判断です」
隣から聞こえた声に、思わず振り向く。
女神イデアだ。
「イデア……!」
「彼女を見過ごしてください」
「何を言ってる? それじゃ、あの少女は……!」
「冷静になってください。鶴見 夏音がこのまま装置に現れれば、あちらのカノン・サウクは奈落へ行ってしまいます」
「奈落……?」
「今はそれで納得してください。私が彼女を転生させますから、貴方はお戻りなさい」
「おい!」
ジルの視界が、真っ白になる。
イデアが最後、どんな表情をしていたのか。それだけは、見る事ができなかった。
カノン——。
◇◆◇
フェルウェード帝国・帝都メランズ。
召喚装置のすぐ横で、ジルは目を覚ました。
「……っ。カノンは?」
目線を送った先では、疲労で曇った目をしたカノンが、その場にしゃがみ込むように気絶していた。
ノアが気絶しているだけと告げると、ひどく安心して、ふっと胸を撫で下ろした。
「おい貴様! 勇者様の召喚はどうなったのだ!」
「理系がしゃしゃり出おって、もしこれで失敗したら、どう責任を取るつもりだ!」
「……」
召喚は、実のところ成功していた。
ジルの尽力によって。
突如、装置の上に人影が現れ、眩しいくらいの光を放つ。
そして、先ほどの少年が現れる。
もちろん、ジルはそんな事を気にも留めず、カノンの方へ向かった。




