第90話「揺らげ」
時は少し遡り、4月下旬の早朝。
住民の避難がとうに終わり、ゴーストタウンと化した央都の静けさの真ん中で、ジルはいやに晴れ渡る明け方の空を見つめていた。
視界の端に固定しているカウントダウンの数字が、無慈悲に時を刻んでいる。
予測通りであれば、大地震発生まで残り——。
「7、6、5……」
ジルは小さく呟きながら、白衣のポケットに両手を突っ込んだ。今日は珍しく、研究室で着るような白衣を羽織っている。
2。
1。
0。
(1、2、3……)
ジルが頭の中で秒数を数え始めた直後。
足元から、ゴゴゴゴ……という大地の底から湧き上がるような重厚音が放たれ出した。
「距離分の遅れがあるから、震源は半径85km以内か」
ジルはスキルのインターフェースを展開し、空間に無数のデータウィンドウを表示させながら解析を続ける。
そしてすぐさま、第二波——本震が届いた。
ドォンッ!!
骨の髄まで響くような、凶悪で巨大な揺れ。
周囲のビル群から、ガラスや照明の類が落下する間も無く、強烈な振動の波によって一斉に粉砕されていく。
付近の老朽化した建物が倒壊した衝撃で、濛々と砂埃が巻き上がり、ジルの白衣を激しい空気の波が滑り抜けた。
「……震央が1.65km先の例の断層地点なら、一つおかしい事があるな」
初期微動の遅れと、実際の震央の距離。計算式に当てはめると、決定的な矛盾が生じる。
ジルは舞い散るガラス片の雨を薄い結界で弾きながら、目を細めた。
——一方、その頃。
魔導国の一部である地方都市、郷申では。
「ちょっと……っ!? 何これ、震度4とか5くらいあるでしょ……!」
地上に居たカノンは、突然の激しい揺れに驚き、悲鳴を上げて地面に座り込んでいた。
彼女の隣では、ポラリスが巨大な黒い羽を広げ、スズナをお姫様抱っこするように抱え上げて優雅にホバリングしている。
「うーん、結構揺れてるみたいだね。カノンも飛ぶ?」
「あたしは羽生えてないから無理!」
ポラリスの腕の中で、スズナは耳をピンと立てて周囲の様子を窺っていた。
「……城塞崩落の勢い」
スズナがボソリと呟く。茜色で統一された着物の半幅帯に吊られた鈴が、揺れのせいでうまく響かず、カラカラと乾いた音を立てていた。
ポラリスがふと、央都のある方角へと吸い寄せられるように視線を送る。
「さて……来るみたいだね。もっと凄いのが」
——同時刻。ノアの別荘にて。
「ノア様。こんな時にも書類整理の手を止めないのは、少し病的かと」
「そうですか? 揺れ始めてもペンは握れますから」
部屋の中で、涼しい顔で執務机に向かうノアを見て、アークは呆れたように憂う。
いくら耐震設備がしっかりしているとはいえ、流石に気が抜け過ぎなのではないか、と。
その時、突如としてアークの頭の中で、プチッ、と何かが弾けるような嫌な音が鳴った。
「……たった今、分身の圧死を確認しました」
「そうですか。例の地震が発生したようですね」
予め、調査のために古代のラボ地点に一体配置していたアークの分身が死亡した。それも、何かに押し潰されるような『圧死』で。
それはつまり——。
「ラボが地殻変動によって埋もれた、と考えられますね」
「そんな事があり得るんですか? あの強固な古代遺跡が」
「さぁ……ですが、そうとしか」
直後から、ノアの机に置かれた通信魔道具が狂ったように鳴り始めた。
『こちら第三部隊! 央都南区画にて大規模な地割れが発生!』
『避難所の一部に被害! 至急回復魔法の使い手を!』
次々と飛び込んでくる被害報告に、ノアはついにペンを置き、立ち上がった。
——そして、数分後。 魔導国全域を襲った揺れが、ようやくゆっくりと収束していった。
央都の砂埃の中で、ジルは空中に浮かぶインターフェースを再び操作した。
終わったはずのカウントダウンのタイマーが、不気味にリセットされ、新たな数字を刻み始めている。
「……次は、半年と少し先の11月か」
ジルはあごに手を当て、思考を巡らせる。
4月、そして11月。
今回の地震の規模、波の伝わり方、そしてこの規則的な周期。
等差数列とも、見事に辻褄が合う。
「自然現象じゃない。やはり……意図的に引き起こされた地震か」
誰が、何の目的で大地を揺らしているのか。
ジルの灰の瞳に、冷たい理性の光が宿った。




