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お嬢様はじめました  作者: 加藤有楽
3/3

第3話

「まぁ、とりあえずお茶飲んで」

「はぁ……」

 思わず頭を抱えてしまった私に、この屋敷のメイド長だという狛江さんは大して気にした様子もなく、新しく淹れてくれた紅茶をすすめてきた。断る理由もない上に、新しく淹れてもらった紅茶の香りは確かに魅力的だったので、おとなしく口をつける。そんな私の様子を満足気に眺めながら、狛江さんは、やっちーと仁井くんあんな状態だからねー、と笑う。

「あたしの方で解説するね。おじょーさまの感じからして良く分かってないっぽいけど……。こういう家って主人の家族ぞれぞれに、専任の使用人ってのがいるのよ。もちろん家の使用人だから仕事はいろいろあるんだけれど、その専任の人に関係する仕事をメインに扱うわけ。イメージ的には芸能マネージャーみたいな? 旅館の部屋担当の仲居さんみたいな? ああいう人がそれぞれ個人につくわけ。言ってること分かる?」

「はぁ……」

 私のうすらぼんやりとした返事に、ぶっちゃけピンとこないよねー、と狛江さんは笑ったが、確かにピンとこない。いや、イメージは出来るのだ。多分、私がバーチャルな世界で見てきたメイドさんのイメージというのは、主人専任の仲居さんそのものである。だがしかし、私はただの居候であってメイドさんたちの雇い主でもないし、居候ということは客でもないし、要介護な高齢者でもなければ、深刻な症状の病人でもない。至って健康そのもののただの居候の私には、通常の生活でメイドさんの手を借りるようなことなど何もないのだが。

「ちなみに、個人付きのメイドっていうのは何から何までやるから。洗濯からベッドメイクから身支度の手伝いから食事の給仕から何から何まで」

 そう狛江さんに言われて、私はいよいよ困ってしまった。それはメイドさんたちが雇い主の方々にすることではないのだろうか。私はただの居候だし、そもそもそんなメイドさんが来てくれても困る。お願いすることなど何もない。

 困り切った私は、狛江さんを見上げて素直に己の考えを口にした。

「あの、私はただの居候なので、そこまでしていただかなくても結構ですし。あの……」

 言葉を続けるうちにだんだんと声が小さくなってきてしまったのは、狛江さんの様子の変化があったからである。小柄な体をめいっぱい膨らませた狛江さんは、手にしていたティーポットを置くと、鼻息も荒く腕を組んだ。

「ハルヨシおじょーさま。よく分かってないみたいねぇ……」

 やれやれと首を振る狛江さんを、私はティーカップを抱えたまま怯えて見上げるしかない。狛江さんは私よりやや背の高いくらいの小柄な女性なのだが、その体以上の存在感がある人だ。激怒している時の姉を見上げるような気分になる。

「冬子奥様の妹ってことは、ハルヨシおじょーさまは義理とはいえ菅原の家の関係者でもあるのよ。少なくとも、今のご当主はおじょーさまを家族の一員として扱うようにと言ってるわけ。実質、おじょーさまはただの居候だけれども、雇い主がそう言っている以上、菅原の屋敷の使用人一同は、ハルヨシおじょーさまを菅原の家のお嬢様として扱うわ。そこは心得ておくように」

「いや、あの、でも……」

 なんとか反論をしようと口を開いた私の肩にポンと手を置いた狛江さんは、すっと私の耳に顔を近づけると、ぼそりとこう呟いた。

「ちなみに、抵抗しても無駄だからね。洗濯も食事の用意も給仕も何もかもさせて頂きます。……その仕事、ころしてでもうばいとる」

「!?」

 狛江さんのドスのきいた声に、思わず抱え込んでいたティーカップを握りしめそうになるが、すんでのところで慌ててカップをソーサーに戻した。こんな華奢で高そうなティーカップ、ヘタをしたら壊してしまうかもしれない。

 狛江さんの言葉とティーカップの安否に目を白黒させていると、当の狛江さんは、けけけ、とまたいらずらっぽく笑いながら、私の肩から手を離した。

「まぁ、ころしてでもうばいとる、は冗談だけれど、あたしたちの仕事させてもらえないのは困るのよ。結局責任者のあたしの落ち度になるしね!?」

 クワッと一瞬怖い顔を浮かべた狛江さんに、思わず姿勢を正してかくかくと頷いてしまう。ただでさえ大きすぎる存在感なのに、あの悪鬼のような表情を浮かべられたら、こちらとしては全面降伏しかない。全体的に小柄で可愛い系の見た目なのに、あの一瞬の表情は恐ろしいものだった。いっそ白昼夢とでも言ってもらったほうが安心できるレベルである。

「この家に居候する以上は、この件に関しては仕方のない事だと諦めなさい」

「はぁ……」

 大きすぎる存在感の上、先ほどの首から上を挿げ替えたのかという程の豹変っぷりを見せた狛江さんに、私は完全にビビってしまい、とりあえず頷いておくことにした。迫り来る長いものには遠慮なく巻かれるというのが、私の処世術である。それに合わせて、巻かれた長いものの隙を見て行動する、というのも私の処世術だ。狛江さんは無理でも、担当になるというメイドさんを説得することは出来るかもしれない。今後についてこっそりと考えを巡らせている私の横で、またティーカップに紅茶を注いだ狛江さんは、まぁ、そんなわけで、と口を開いた。

「普通、女性にはメイドがつくものなんだけれど、今回ハルヨシおじょーさまにはメイドの代わりに仁井くんがつくことになったからね」

「はぁ…………ハァ!?」

 考える事に集中していた私は流すように気の抜けた返事を一度してしまったのだが、狛江さんの言葉の内容をよくよく考えてみて、思わず声を上げた。

「メイドさんの代わりにって、代わりってことですか?」

「そうそう。本来ならばメイドがやる仕事を仁井くんが一手に引き受けるから。仁井くん、どんな仕事も正確にそつなくこなすよー。処理も早いし」

 狛江さんはしれっとそう言ったが、そういう問題ではない。一応、私も花も恥じらう女子高生の端くれではあるわけで。成人男性に洗濯やらベッドメイクやらをしていただくのは非常に抵抗があるわけで。身支度の手伝いなんて、正直ソッコー110番の事態であるわけで。

 青くなった私を見て、狛江さんはまた、けけけ、といういたずらっぽい笑い声を上げた。私の考えたことはちゃんと分かっているらしい。

「鈍いわねー、ハルヨシおじょーさま。仁井くん、さっきからそれで怒り狂ってるのに」

 けけけ、と笑いながら狛江さんが顔を向けた先には、未だに正座をした八千草さんと滔々とお説教を続ける仁井さんがいた。すっかりBGMと化してしまい、うっかり存在を忘れそうになっていたが、八千草さんや狛江さんと違って、仁井さんは信頼できる人なのかもしれない。謎の信頼感が私の中で生まれた瞬間であった。



「じゃあそういうわけで。とりあえず荷物は預かるからね」

「あ、はい」

 狛江さんにそう言われ、私が足元の荷物を取ろうとふかふかのソファから腰を浮かしかけたところで、目の前数センチに狛江さんの人差し指の腹が突きつけられた。

「荷物を持つのはあたしの仕事」

 人差し指の腹に代わって、ニマーと口は笑っているものの、目が全く笑っていない狛江さんの顔が目前に迫り、私は浮かしかけた腰をふかふかのソファに戻した。自分が座っている横で、小柄な狛江さんが大きな荷物を抱えるのを見ていると申し訳ない気持ちでいっぱいになるのだが、こんな状況でこの先やっていけるのだろうか。正直不安しかない。

 それと同時に、未だにお説教が続いている仁井さんと八千草さんについても多少心配になってきた。謎の信頼感が生まれた仁井さんだったが、色んな意味で大丈夫なのだろうかこの人たちは。私が思わず二人をじっと眺めていると、部屋から出ていこうとした狛江さんが思い出したようにこちらを振り返った。

「やっちー、それじゃあたしおじょーさまの部屋に荷物持って行くからー。仁井くんとしっぽりするのも程々にねー」

 お説教中にもかかわらず、お構いなしに八千草さんに声をかけた狛江さんの胆力にビビっていたが、更にビビったのは八千草さんの反応である。

「ええー、わたしだってしっぽりするなら若い女の子の方が良いに決まってるのに、メイド長ずるいー」

「あはは。セクハラで訴えてあたしが勝つよやっちー」

「いやん、やっちーそれはやめて欲しいなー」

 思いっきりお説教をされている真っ最中だというのに、八千草さんは至って普通に狛江さんに返事をした上に普通に会話を続けているのである。今まで滔々とお説教を続けていた仁井さんは、当然押し黙る形になった。えええ、何この微妙な空気。

「それじゃあ今回は見逃してあげるわ。じゃあ、あとよろしく」

 そう言って、狛江さんはこの微妙な空気漂う応接室から私の荷物を持ってあっさりと姿を消した。残されたのは、この微妙な空気に居心地が悪いどことではない私と、狛江さんが姿を消した扉に向かってぶーぶー言っている八千草さん、それに不気味に押し黙ったままの仁井さんの三人。出来ることならば、私も今すぐそこの窓をかち割ってでもこの微妙な空気漂う空間から脱出したいのだが、あのしっかりした窓は、私の体当たりでも壊せるだろうか……。



「では、わたしも仕事に戻りますかー」

 完全なる現実逃避に走っていた私は、八千草さんのその声で我に返った。思わず八千草さんの方を見れば、よっこらせ、と声をかけながら立ち上がったところだった。息抜きに一服し終えてからさて仕事に戻ろう、みたいな体で八千草さんは立ち上がったが、たった今まで八千草さんは仁井さんのお説教の真っ最中であったし、そもそもそのお説教が終わったとも思えない。そして八千草さんの目の前に立ちはだかっていた仁井さんは押し黙ったままだ。

 しかし、そんなことを全く気にもしていないのか、八千草さんはてきぱきとかつ美しい所作で身だしなみを整える。私がおろおろと八千草さんと仁井さんを見比べている間に、八千草さんは見た目完璧な『執事』そのものになっていた。

「じゃ、仁井くんあとシクヨロー。春佳お嬢様は、観月荘にご案内してね」

 そう仁井さんに声をかけたあと、私の方に向き直った八千草さんは、ばいちゃ、と古い挨拶をしながらあっという間に応接室からいなくなった。あれだけスピーディーな撤退だったというのに、全く物音をたてなかったのは正直凄いと思う。凄いと思うが、この状況は一体どうすればいいのだろうか。未だに不気味に押し黙ったままの仁井さんが怖すぎる。

 しかし、いくら怖すぎるとはいえ、永遠にこのままというわけにもいかない。私は恐る恐る仁井さんに視線を向けた。仁井さんは、暫く両手の拳を握りしめたまま俯いて無言だったが、物凄く言いたいことのありそうな長い長い溜息をひとつつくと、打って変わってしゃんとした動作で顔を上げた。きりりとしたイケメン顔は若干やつれていたように見えるが、やつれたイケメンというのも結果的にイケメンなんだな、というよく分からない感想を私は抱いた。

「改めましてご挨拶申し上げます。家扶の仁井と申します」

 そして顔を上げた仁井さんは、ぴしりと先ほどと同様の綺麗なお辞儀とともに挨拶をしてくれたので、ぼんやりとイケメンのご尊顔を鑑賞していた私も、慌てて立ち上がって挨拶を返す。

「し、四万春佳です! お世話になっております、冬子の妹です!」

「……はい、先ほど存じ上げました」

 慌ててした挨拶には、仁井さんの暗いトーンの返事があった。その返事を聞いてから、私は完全にいらんことを言ってしまったことに気づいた。あれこれやっちゃった系……? と自問した時にはもう遅い。今度は慌てて謝る羽目になる。

「いやあの、弟じゃなくてすみません……」

 いたたまれない気分で謝れば、仁井さんはとんでもない、と微笑を浮かべて首を横に振った。

「春佳お嬢様にはご迷惑をお掛けいたしまして、誠に申し訳ございません。八千草のことは重々承知していたのに、にきちんと確認を取らなかったこちらが悪いのです。ええ、確認を怠った私のミスですとも。ええ、ええ……」

 遠くを見つめ、己に言い聞かせるように頷く仁井さんを見ていたら、なんだか鼻の奥がつーんとした。遠くを見つめるイケメンも絵になるが、その遠くを見つめている仁井さんの目には、きっと過去にあったであろう八千草さん関連のあれやこれが走馬灯のように映っているのだろう。そしてその内容が、胸にそっと秘めておきたい大切な思い出……みたいな泣けるいい話ではないことも、なんとなく分かる。ああ、なんだか視界がぼやけてきたよお姉ちゃん……。

 私が思わず鼻水をすすると、その音で仁井さんは過去の呪縛から解き放たれたのか、軽く頭を振るとてきぱきと動き始めた。再起動したロボットのようである。私に改めて向き直り、また綺麗なお辞儀をしてみせた。

「重ね重ね失礼をしたしました。それでは、お部屋にご案内いたします。当初は本邸にお部屋をご用意したのですが、男性の方を想定した調度になっておりますので、別の部屋にご案内致します」

 仁井さんに促され、私はようやくこのふっかふかのソファから立ち上がる。このソファ、確かに座り心地は良かったのだが、生粋の庶民である私にはふっかふか過ぎたようで、正直背筋が痛い。小さく伸びをしている間に、仁井さんは応接室のドアを開けてくれた。

「別邸になりますので、少し距離がありますが……」

 仁井さんに促され、応接室から出た私の目の前に、この屋敷に入った瞬間に圧倒された、学校のような長くて広い廊下が広がる。まぁ、学校の廊下はこんなにピカピカしていないし、ふっかふかの赤い絨毯も敷いていないし、なんだか高そうな絵も壷も生花も飾ってはいなかったが。その廊下を、この応接室から右手に行けば、先ほど屋敷に足を踏み入れたと同時に圧倒されまくった立派なエントランスホールがあったのだが、仁井さんが指し示したのは逆の方向だった。

「おそらく、そちらは八千草が女性の方向けに準備を整えていると思われますので、ご安心ください」

 ご安心ください、と口にした仁井さんだったが、直後にやりきれないため息を付いたのが分かった。仁井さんの言い方とこれまでの出来事から察するに、仁井さんが八千草さんから嘘の指示を与えられてしなくてもいい仕事をしている間に、八千草さんは隠れて自ら本来の仕事をしていたということだろうか。どう考えても、仁井さんの仕事は完全に無駄なわけで、一体全体何がしたいんだろうかあの人……。確かにそれで来客(この場合は私だが)が困ることは全く無いが、仁井さんの心情を考えるとまたしても視界がぼやけてくる勢いである。

 ぱたん、と心なしか力なく応接室のドアを閉めた仁井さんの、文句のつけようもないイケメンな横顔をまじまじと見ながら、この人苦労してるんだなぁ……という微妙かつ若干申し訳ないような同情心が私の中で爆誕した。まだロクに会話もしていない間柄だというのに。


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