第9話 返事の意味
朝。
ながとはスマホを握ったまま、ベッドに座っていた。
昨夜、さくらから届いたメッセージ。
『今日はもう寝ます。おやすみなさい』
何度も読み返している。
「……普通、嫌いな奴には送らんよな」
ながとは笑った。
昨日、けんじに言われた。
連絡するな。
会いに行くな。
さくらから連絡が来るまで待て。
それを守った。
すると、さくらから連絡が来た。
だから――
「やっぱ、俺のこと気になってるんやろ」
そう結論づけた。
実際には、さくらにとっては単なる挨拶だった。
それ以上の意味はない。
しかし、ながとはその違いを理解できなかった。
*
午前十時。
ながとはパチンコ店の前にいた。
財布には千円札が数枚。
入ろうとして――
やめた。
「今日はやめとこ」
珍しいことだった。
理由はパチンコへの興味がなくなったからではない。
さくらに会うための金を残しておきたかった。
そう考えた。
スマホを見る。
まだ連絡はない。
「……昼くらいに送るか」
そして昼になった。
『今日何してる?』
送信。
既読。
返信。
『仕事です』
「また仕事か」
『頑張ってな』
送る。
すぐに、
『ありがとうございます』
と返ってきた。
ながとは満足そうに笑った。
「ほら」
自分でも何が「ほら」なのか分からない。
ただ、返信が来る。
それだけで、自分とさくらの間には特別な関係があるように感じてしまう。
*
その頃、会社では。
「さくら、今日帰り一緒に帰ろうか?」
あやが声をかけた。
「え?」
「駅まで」
「……いいの?」
「もちろん」
さくらは小さく頷いた。
「ありがとう」
あやは、さくらの顔を見る。
「まだ怖い?」
「うん」
「今日も連絡来た?」
「来た」
「何て?」
「普通のことだけ」
さくらはスマホを見せた。
『今日何してる?』
『仕事です』
『頑張ってな』
『ありがとうございます』
あやは画面を見た。
「これだけ?」
「うん」
「……これだけなら、余計に断りづらいね」
「そうなの」
さくらは苦笑した。
それが一番苦しかった。
怒鳴られているわけではない。
露骨な脅迫をされているわけでもない。
普通の言葉で話しかけてくる。
だからこそ、
「嫌です」
と言う理由を、自分で説明できない気がしてしまう。
でも――
怖い。
その感覚だけは消えなかった。
*
定時。
さくらは会社を出た。
あやと並んで歩く。
駅までの道。
さくらは何度も後ろを振り返った。
「いないよ」
あやが言う。
「うん……」
「一人で帰るの、怖い?」
「最近ちょっと……」
「じゃあしばらく一緒に帰ろ」
「ごめんね」
「謝らなくていいって」
駅に着く。
改札を通る。
さくらはようやく少し安心した。
そのとき、スマホが鳴った。
ながと。
さくらは画面を見た。
出ない。
着信が止まる。
数秒後、また鳴る。
「……」
あやを見る。
「出なくていいよ」
さくらは首を横に振った。
「でも……」
「いいから」
さくらは電話を切った。
すぐにメッセージが来る。
『何で電話出んの?』
さくらの指が止まる。
『仕事終わったんやろ?』
さらに来る。
『ちょっと会おうや』
さくらは返信しなかった。
すると、
『怒ってる?』
『俺、何かした?』
『返事して』
通知が続く。
さくらはスマホの電源を切った。
「……怖い」
小さく呟いた。
あやが肩を抱いた。
「大丈夫」
でも、さくら自身は分かっていた。
このままでは、いつまでも大丈夫ではいられない。
*
その夜。
ながとは自宅でスマホを見つめていた。
既読がつかない。
「なんでや」
電話。
出ない。
もう一度。
出ない。
「……」
イライラする。
スマホをテーブルに置く。
立ち上がる。
座る。
またスマホを見る。
そして、あることを思いついた。
「明日、飯行こうって誘えばええか」
メッセージを打つ。
『明日、仕事終わったら飯行こう』
送信。
返信はない。
「……寝たんかな」
そう言いながら、ながとは納得できなかった。
そして――
『俺、さくらと付き合いたいから』
送った。
既読はつかなかった。
ながとはスマホを握りしめた。
「好きって言ってるだけやん」
その言葉には、苛立ちが混ざっていた。
自分は本気なのに。
自分はこれだけ思っているのに。
なぜ、相手は同じ気持ちになってくれないのか。
それが理解できなかった。
*
翌朝。
さくらは会社へ向かう前に、母親へ電話をした。
「もしもし」
『どうしたの?』
「……なんでもない」
『何かあった?』
「ううん」
本当のことを言おうとして――
やめた。
心配をかけたくなかった。
電話を切ったあと、さくらは深呼吸した。
そして、スマホの連絡先を開いた。
ながとの名前を見る。
指が止まる。
削除しようか。
ブロックしようか。
何度も迷う。
でも――
お金を借りている。
それが最後まで引っかかった。
「……返してから」
さくらは呟いた。
まず15,000円を返す。
それなら、もう何も言われない。
そう思いたかった。
*
その日の夕方。
ながとから電話が来た。
「もしもし」
『今日、飯行こうや』
「今日は無理です」
『また?』
「はい」
『何で?』
「予定があるので」
『誰と?』
さくらは黙った。
嘘だった。
予定なんてない。
でも、
「友達と……」
そう答えた。
『女?』
「……はい」
『男もおるん?』
「いません」
『ほんま?』
「はい」
ながとの声が低くなった。
『俺、さくらのこと好きやって言ってるやん』
「……」
『なのに、なんで他の奴と遊ぶん?』
「友達です」
『俺よりそっちが大事なん?』
さくらは答えられなかった。
ながとの声が続く。
『俺と付き合ったら、そんなことせんでええやろ』
さくらの胸が苦しくなった。
まだ付き合っていない。
なのに、もう行動を制限されているように感じた。
「……今日は切りますね」
『待って』
さくらは電話を切った。
手が震えていた。
そして初めて――
自分から、ながとの番号を着信拒否にした。
だが、その直後。
スマホに別の通知が出た。
メッセージ。
『なんで電話切るん?』
さくらは画面を見つめた。
着信拒否をしても、メッセージまでは止まらない。
さらに、
『俺、何も悪いことしてへんやろ』
『好きやから言ってるだけや』
『さくらなら分かってくれると思ってた』
涙が出た。
さくらはスマホを伏せた。
そして、その夜。
友達のあやに電話をした。
「……あや」
「どうしたの?」
「私……もう、ながとさんと関わりたくない」
初めて、はっきり言った。
あやは静かに答えた。
「うん」
「でも、お金……」
「返そう」
「15,000円」
「私、一緒に行くよ」
「……本当に?」
「うん。一人で会わなくていい」
さくらは泣きながら頷いた。
*
一方。
ながとは、自分の部屋でスマホを見ていた。
返信がない。
電話にも出ない。
それでも、怒りより先に浮かんだのは――
「……明日、会いに行けばええ」
だった。
けんじに止められた。
会社にも行くなと言われた。
それでも、ながとは自分の気持ちを止められなかった。
「話せば分かる」
そう信じていた。
自分の「好き」を伝えれば。
自分がどれだけ本気なのか見せれば。
きっと、さくらも分かってくれる。
それが――
ながとの最後の大きな勘違いだった。




