第4話 変な女
それから三日。
ながとは、いつもより頻繁にスマホを見ていた。
理由は自分でも分かっている。
さくらから連絡が来ないか。
それだけだった。
「……何やってんねん、俺」
昼休み。
バイト先の休憩室で、ながとはスマホを眺めていた。
画面には、さくらとのメッセージ。
最後のやり取りは昨日の夜。
たった数行。
それだけなのに、何度も読み返してしまう。
「ながと」
声をかけられて顔を上げる。
たけしだった。
「何見てんねん?」
「別に」
「女?」
「……まあな」
たけしが覗き込もうとする。
ながとはスマホを伏せた。
「見んなや」
「なんやねん。お前、最近ほんま変わったな」
「どこが?」
「スマホばっかり見てるやん」
「普通やろ」
「前は競馬のオッズしか見てなかったやん」
「うるさい」
たけしは笑った。
「その子、そんなにええんか?」
ながとは少し考えた。
「……分からん」
「分からん?」
「まだ何回かしか会ってへんし」
「じゃあ、何で気になるん?」
「知らん」
ながとはスマホをもう一度見る。
通知はない。
「ただ……」
「ただ?」
「なんか、あの子と話してると落ち着く」
たけしの顔から笑いが消えた。
「お前、ほんまに惚れたんちゃうか?」
「知らんって」
「じゃあ、もう金借りるなよ」
「……」
「それ目的やと思われるぞ」
「違うわ」
「なら返せよ」
「返すって」
ながとは目を逸らした。
まだ返していない。
一万円。
そして五千円。
合計一万五千円。
正直、今すぐ返せる金はない。
給料日までまだ時間がある。
ながとは自分の財布を見る。
「……給料入ったら返す」
たけしは何も言わなかった。
* * *
その日の夕方。
さくらは会社を出た。
「お疲れさまでした」
「お疲れ」
会社員になってまだそれほど経っていない。
大学を卒業し、地元を離れて一人暮らしを始めた。
慣れない仕事。
慣れない街。
慣れない生活。
それでも、少しずつ慣れてきていた。
駅へ向かう途中。
スマホが震える。
ながとからだった。
『仕事終わった?』
さくらは立ち止まった。
返信するか迷う。
しばらく画面を見る。
そして、
『はい。今終わりました』
と送った。
すぐに返事。
『飯食った?』
『まだです』
『何食うん?』
『まだ決めてないです』
『じゃあ一緒に食う?』
さくらの指が止まった。
「……」
断ればいい。
そう思った。
でも――。
頭の片隅に、借りたお金のことが浮かんだ。
一万五千円。
まだ返ってきていない。
強く断ったら、機嫌を悪くされるかもしれない。
そう考えると、怖かった。
『今日はちょっと……』
そこまで入力する。
しかし、送信できない。
消す。
もう一度入力する。
『分かりました』
送信。
送ってから、さくらは小さくため息をついた。
「……何してるんだろ」
* * *
待ち合わせ場所。
ながとは先に来ていた。
さくらを見つけると、手を上げた。
「おう」
「こんばんは」
「腹減ったやろ?」
「はい」
二人で歩く。
ながとは妙に機嫌がいい。
「何食いたい?」
「何でも大丈夫です」
「じゃあ、俺が決めるわ」
「はい」
入ったのは、駅近くの定食屋だった。
ながとは唐揚げ定食。
さくらは焼き魚定食。
「ながとさん、よく食べますね」
「俺、これくらい普通やぞ」
「そうなんですね」
「そっちは少ないな」
「いつもこれくらいです」
「もっと食わな太るぞ」
「ながとさんに言われたくないです」
「……」
一瞬、ながとは固まった。
さくらが慌てる。
「あ、ごめんなさい」
「いや……」
ながとは自分の腹を見る。
確かに出ている。
「まあ、俺も太ってるけどな」
そう言って笑った。
さくらも笑った。
「でも、ながとさんって大きいですよね」
「昔からや」
「学生の頃、何かスポーツしてたんですか?」
「してへん」
「え?」
「帰宅部」
「意外です」
「何が?」
「運動してそうに見えます」
「体だけや」
ながとは笑った。
さくらも笑った。
その瞬間。
ながとは胸の奥が少しだけ熱くなるのを感じた。
「……やっぱ可愛いな」
心の中で呟く。
声には出さなかった。
* * *
食事を終える。
店を出る。
「今日はありがとうございました」
「別にええよ」
「ごちそうさまでした」
「また行こうや」
「……はい」
さくらは曖昧に笑った。
ながとは、その笑顔を見て、
「次も会える」
と思った。
だが、さくらは違った。
帰り道。
さくらは一人になってからスマホを見る。
ながとからメッセージが届いていた。
『今日は楽しかったわ』
さくらはしばらく画面を見つめる。
『私もありがとうございました』
送信。
スマホをバッグに入れる。
そして、歩きながら考える。
「……私は、別に好きじゃない」
それは分かっている。
嫌いというわけでもない。
ただ、恋愛感情はない。
なのに――。
お金を借りている。
だから、強く拒絶できない。
そのことが、さくらを苦しめていた。
* * *
その夜。
ながとはベッドの上でスマホを眺めていた。
今日撮った写真を見返す。
さくらと一緒に撮った写真はない。
それでも、今日の会話を思い出す。
「スポーツしてたんですか?」
「帰宅部」
「意外です」
何でもない会話。
それなのに嬉しい。
ながとは自分の腹を見る。
「……痩せた方がええかな」
立ち上がる。
鏡を見る。
腹。
太い腕。
丸くなった顔。
「……昔はもっと痩せてたんやけどな」
学生時代の写真を探す。
見つけた。
高校時代。
まだ十代だった頃の自分。
今より細い。
髪型も派手。
友達と肩を組んで笑っている。
「……若かったな」
ながとは写真を閉じた。
そして、もう一度スマホを見る。
さくらとのメッセージ。
「次、どこ連れて行こかな」
そんなことを考えている自分に気づく。
以前なら、考えていたのはパチンコのことだけだった。
明日どの台を打つか。
どの店へ行くか。
競馬の予想。
金をどう作るか。
それが今は違う。
さくらのことを考えている。
「……俺、ほんまに好きなんかな」
ながとは呟いた。
答えは出なかった。
ただ――。
もう一度、さくらに会いたかった。
* * *
同じ頃。
さくらも自分の部屋でスマホを見ていた。
ながとからメッセージが来る。
『おやすみ』
さくらは少し迷った。
そして、
『おやすみなさい』
と返した。
スマホを置く。
「……また来るのかな」
さくらの頭に、一つの不安が浮かんだ。
――お金。
まだ返ってきていない。
そして、さくらは知らなかった。
ながとの財布には、もうほとんど金が残っていないことを。
翌日。
ながとはまた、さくらに連絡する。
今度は――。
恋のためではなく、金のために。




