第20話 会社の男
春になった。
桜が咲き始めた頃。
さくらの会社では、新年度の人事異動があった。
そこで、さくらは一人の男と仕事をすることになった。
名前は――
亮介。
同じ年齢。
細身で、清潔感がある。
髪は短く整えられていて、服装も派手ではない。
仕事が早く、説明も分かりやすい。
そして何より。
人との距離感が上手かった。
「さくらさん、これって午前中まででしたよね?」
「はい」
「じゃあ、こっち僕がやります。さくらさんはこっちお願いします」
「ありがとうございます」
「いえいえ」
それだけだった。
特別なことは何もない。
ただの同僚。
けれど――
さくらにとっては、久しぶりに安心して話せる男性だった。
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ある日の昼休み。
あやが聞いた。
「最近、会社どう?」
「普通だよ」
「仕事忙しい?」
「ちょっとね」
さくらは少しだけ笑った。
「でも、亮介さんが結構助けてくれる」
「へえ」
「あの人、仕事できるんだよ」
「もしかして好き?」
「えっ?」
さくらの顔が赤くなる。
「違うよ」
「まだ何も言ってないけど」
「……もう」
二人で笑った。
その笑顔を見ながら、あやは思った。
最近のさくらは、
少しずつ元に戻っている。
ながとのことで怯えていた頃とは違う。
男性と話すことすら怖くなっていたさくらが、
普通に誰かの話をして笑っている。
それだけで、あやは安心した。
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一方。
ながとは、たけしと話していた。
「最近な、さくらの会社に男がおるらしいねん」
「なんで知ってんねん」
「ひろきが聞いたらしい」
「またかよ……」
けんじが眉をひそめた。
ながとは気にせず続ける。
「同い年らしい」
「へえ」
「細いらしい」
その瞬間。
ながとの顔が変わった。
「……細い?」
「らしいで」
たけしが笑う。
「お前、昔から細い男嫌いやったもんな」
「別に嫌いやない」
「でも、さくらちゃんの好きなタイプって――」
「細マッチョ」
ながとが先に言った。
その言葉を口にした瞬間、
胸の奥がざわついた。
以前、さくらから聞いた言葉。
好きな男性のタイプ。
細マッチョ。
自分とは正反対。
ながとは最近、痩せていた。
けれど、まだ大きな身体だった。
鏡を見る。
腹を見る。
そして、
「……俺も痩せたらいける」
そう思った。
しかし今回は、
別の感情が生まれていた。
――取られる。
まだ付き合っていない。
まだ何も始まっていない。
それなのに。
「俺の女を取られる」
そんな感覚だった。
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「ながと」
けんじが言った。
「まだ『俺の女』ちゃうぞ」
「分かってるって」
「ほんまに分かってるか?」
「付き合ってへんのは分かってる」
「じゃあ、なんで『取られる』みたいな顔してんねん」
ながとは黙った。
しばらくして、
「……俺の方が好きやから」
と言った。
けんじはため息をついた。
「好きな量で、相手が決まるんちゃうぞ」
「俺は本気や」
「本気なら、相手の気持ちを見ろ」
「見てる」
「見てない」
「見てるって」
「さくらちゃんが怖がってることを見てへん」
その言葉に、
ながとは苛立った。
「なんで俺ばっかり悪者やねん」
「悪者になりたいんか?」
「ちゃう」
「なら、やめろ」
「……」
「お前が好きなのは分かった。でも、さくらちゃんには選ぶ権利がある」
ながとは答えなかった。
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数日後。
会社帰りのさくらは、亮介と駅まで歩いていた。
「さくらさん」
「はい?」
「この前の資料、ありがとうございました」
「いえ」
「助かりました」
「こちらこそ」
駅に着く。
亮介が笑った。
「じゃあ、また明日」
「はい。また明日」
それだけだった。
亮介はそのまま電車に乗った。
さくらも別のホームへ向かった。
何も起きていない。
それなのに――
少し離れた場所から、その光景を見ている男がいた。
ながとだった。
たまたまではない。
さくらが帰る時間を知っていた。
だから来た。
そして見てしまった。
さくらが、
男性と笑っているところを。
「……誰や」
ながとは呟いた。
スマートフォンを握る手に力が入る。
「あいつ……」
胸の中で、
何かが壊れる音がした。
それは失恋の音ではなかった。
まだ始まってすらいない恋を、
誰かに奪われると思い込んだ男の、
嫉妬の音だった。
そして、ながとは初めて思った。
――俺の方が、あいつより好きや。
この考えが、
次の悲劇を呼ぶことになる。




