第18話 俺の女
「俺の女やから」
ながとは、そう言った。
相手は、たけしだった。
いつものパチンコ屋の近くにあるファミレス。
昼間から集まった男たちは、ドリンクバーを飲みながら、ながとの話を聞いていた。
「さくらちゃん、まだ俺のこと好きになってへんだけや」
「いや、それは……」
けんじが口を挟もうとする。
しかし、ながとは止まらなかった。
「俺が痩せたんも、仕事ちゃんとするようになったんも、あの子のためや」
「でも、さくらちゃんは――」
「分かってるって」
ながとは笑った。
「今は俺のこと好きちゃうんやろ?」
その言い方には、妙な自信があった。
まるで、
「今は」
という言葉の後ろに、
「そのうち好きになる」
という答えが決まっているかのようだった。
「だから待つねん」
たけしが頷く。
「そうやって焦らんかったら、いけるって」
「やろ?」
ながとは嬉しそうに笑った。
けんじだけが黙っていた。
そして、小さく言った。
「……お前、まだ分かってへんな」
「何が?」
「さくらちゃんは、お前を待たせてるんちゃう」
「……」
「お前から離れようとしてるんや」
ながとの顔から笑みが消えた。
「違うやろ」
「何が違うねん」
「だって、俺が変わったら……」
「変わったからって、好きになるとは限らん」
「……」
「そこを分かれって言ってんねん」
ながとはテーブルの上の水を一口飲んだ。
そして、低い声で言った。
「俺は、あの子のこと好きや」
「だから?」
「好きなもんは、好きや」
「それは分かってる」
「ほんならええやん」
けんじは何も言わなかった。
その会話を聞いていたまさひこが、ぽつりと言った。
「ながと」
「ん?」
「お前さ」
少し間を置いてから続ける。
「さくらちゃんと付き合ってるん?」
「……まだや」
「じゃあ、なんで『俺の女』なん?」
ながとは答えなかった。
答えられなかった。
自分の中では、もう半分くらい付き合っている。
そう思っていたからだ。
まだ現実には何も始まっていない。
それでも、
自分が好きになった。
自分が努力した。
自分が待っている。
だったら、いつか自分のものになる。
そんな順番になっていた。
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その日の夜。
さくらは、あやの家にいた。
「また聞いたんだけど……」
あやが言った。
「何を?」
「ながとさん、さくらのこと『俺の女』って言ってるらしい」
さくらの手が止まった。
「……私、付き合ってないよ」
「うん」
「告白されて、断ったよ」
「うん」
「連絡しないでくださいって言ったよね」
「うん」
「お金も返したよね」
「返した」
さくらは俯いた。
「なのに……なんで?」
あやには答えられなかった。
さくらのスマートフォンが震える。
知らない番号だった。
一瞬、身体が固まった。
「出なくていいよ」
あやが言う。
さくらは画面を見つめた。
電話は切れた。
しかし、数秒後。
また鳴った。
今度は留守番電話に切り替わった。
二人とも黙っていた。
しばらくして、通知が一件入る。
――留守番電話があります。
さくらは再生しなかった。
怖かった。
声を聞いてしまったら、またあの頃に戻ってしまいそうだった。
「……私、何か悪いことしたのかな」
「してないよ」
あやは即答した。
「じゃあ、なんでこんなことになるの?」
「さくらは悪くない」
あやは、さくらの手を握った。
「好きじゃない人を好きになれないのは、悪いことじゃないよ」
さくらの目に涙が浮かんだ。
「……怖い」
その一言だけだった。
---
翌日。
ながとは、プレゼントを買った。
高価なものではない。
小さなアクセサリーだった。
「これくらいなら、重くないやろ」
店員にそう言って、自分で納得する。
高すぎない。
派手すぎない。
迷惑にならない。
そう思っていた。
そして、メッセージを打つ。
――久しぶり。
――渡したいものがある。
送信。
既読はつかなかった。
それでも、ながとはスマートフォンを何度も確認した。
「今度会ったら渡そう」
そして、鏡を見る。
少し痩せた自分。
以前より整えた髪。
新しく買った服。
「俺、変わったやろ」
誰もいない部屋で呟く。
「さくらも、見たら分かるって」
そのときだった。
スマートフォンが鳴った。
さくらからではなかった。
ひろきだった。
『さくらちゃんの友達から聞いたけど、本人かなり怖がってるらしい』
ながとは眉をひそめた。
「またか……」
返信する。
『俺、何もしてへんやん』
すぐに返事が来る。
『そういうとこやぞ』
「……は?」
ながとは画面を見つめた。
意味が分からなかった。
自分は努力している。
借りた金も返した。
仕事もしている。
痩せた。
ギャンブルも減らした。
プレゼントだって、喜ばせたいだけだ。
それなのに。
なぜ自分が悪者になるのか。
ながとはスマートフォンを置いた。
そして、テーブルの上にあるアクセサリーを見る。
「……俺の女になるんやろ」
小さく呟いた。
その言葉は、
誰かに聞かせるためではなかった。
自分自身に言い聞かせるためのものだった。
まだ何も始まっていない恋を、
終わらせないために。
そして――
自分の中だけで完成してしまった恋を、
現実にしようとしていた。
その頃、さくらは友達に言っていた。
「もう、私からは何もしない」
「うん」
「何も言わない」
「うん」
「ただ……」
さくらは震える声で続けた。
「もう、私のところに来ないでほしい」
二人の願いは、
同じ方向を向いていなかった。




