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冬の楓  作者: mamio


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20/21

第20話 「一年」

1


初秋。

相変わらず、俺たちはお互いの部屋を行き来していた。

週末になると、その日の予定に合わせて、どっちの部屋で寝るかを決める。


特に用事がない日は、楓が俺の部屋に来ることが多い。

こっちのほうが広いからだ。


逆に、映画を観に行くとか、百貨店に寄りたいとか、電車で出かける予定があるときは楓の部屋のほうが都合がいい。

駅に近い。

そういうのは、だいたい効率で決めていた。


今回は特に予定もなくて、一昨日の金曜から楓は俺の部屋にいる。

今日は日曜だ。


朝、窓を開けると、空気がずいぶん冷たくなっていた。

楓と出会ったのも、こんな季節だった。

もうすぐ一年になる。


キッチンから、パンの焼ける匂いがした。

俺はコーヒーを淹れようと思って、そっちに戻った。



食パンをかじりながら、楓がこっちを見る。

たぶん、今日の予定を聞くつもりなんだろう。

特に何もなくても、一応は聞いてくる。


「今日、どうする?」


ほらな、と思う。


「なんかしたいことあんの?」


「特にない」


「じゃあ、映画でも観る?」


「うん」


いつも、この程度で決まってしまう。



朝食を済ませて、俺はもう一度コーヒーを淹れた。


マグカップをふたつ持って、ローテーブルに置く。

楓はキッチンのほうで、がさがさと何かを探していた。


たぶん、お菓子でも探している。

昨日スーパーで、甘いもの売り場の前にしばらくいたのを思い出す。

欲しいなら買えばいいと言っても、太るだの、しまう場所がないだの言って、結局なかなか決めない。

楓がああして迷うのは、たぶん甘いものくらいだ。

なのに大事なことになると、妙に答えが早い。


動画配信サービスのホーム画面を開く。

しばらくして戻ってきた楓が選んだ映画を、俺は黙って一緒に見た。


一年前、飛行機の中で俺が見ていた映画を、楓はもう見ていた。

感想はまるで合わなかった。

でも、あのとき話したのがきっかけだった。

そして今回も、やっぱり感想は合わない。


見終わると、楓はあからさまに不満そうな顔をした。


「なんでさ、あの主人公、真実を言わなかったんだろ。言うべきでしょ」


「言わないほうがよかっただろ」


「どうして?」


「知ったら、相手が選ばないといけなくなる」


「でも、知らないまま決められるの、嫌じゃない?」


「知らないほうが幸せなことだってある」


「それを決めるのは本人でしょ」


エンドロールが終わっても楓は、途中のシーンについてあれこれ言っていた。


意見は、やっぱり一致しない。

楓は俺に合わせてうなずいたりしない。

聞けば自分の考えを返してくるし、俺が何か言えば、ちゃんと楓の言葉で返ってくる。

そういうところが、ずっと変わらない。


楓がふいに言った。


「最初に会ったときも、映画の感想、合わなかったよね」

「覚えてる?」


「覚えてるよ」


「もう、一年だね」


「まだ」

「もうすぐ一年、だろ」


「細かい」


楓は呆れたみたいにそう言って、マグカップに口をつけた。


一年前は、映画の感想が合わないだけの他人だった。

今は、意見が噛み合わないまま、同じ部屋で同じ時間を過ごしている。

それでも一緒にいるんだから、不思議なもんだと思う。


もう一本映画を見終えるころには、昼を過ぎていた。

楓は両手を上に伸ばして、大きく背伸びをする。


「お腹空いた」


「何食べる?」


「外、行く?」


「行くか」



うちから駅までは、歩いて十分くらい。

日曜の午後、俺たちは手をつないで、あてもなくぶらぶら歩いた。


駅前をうろついて、ハンバーガーを頬張って、本屋に寄る。

そのあとスーパーで夕飯の買い物もした。


特別なことは、何もない。

でも、そういういつもの日曜を、楓とふたりで過ごすのは悪くなかった。



2


夕食を食べ終えたあと、楓が壁の時計を見た。

何気ない顔をしているくせに、そういうときだけ少し現実に引き戻されたみたいな目をする。


「そろそろ帰る」


少し面倒そうな言い方だった。

けれど、それもいつものことだ。

帰りたくないわけじゃなくて、帰る支度がただ面倒なだけなのか、本当は帰りたくないのか、そのへんはいまだによくわからない。


「明日早いの?」


「朝から会議」


会議か、と思う。

寝不足で行くのはしんどいだろうし、月曜の朝の電車だって楽じゃない。

そう考えれば、今日のうちに帰るほうが楓にとってはいいはずだった。


楓は立ち上がって、持ってきたバッグに化粧品やブラシをしまい始める。

毎回持ち帰るものだけを、慣れた手つきでバッグにしまっていく。

歯ブラシと部屋着は置いたままだった。

次に来るつもりでいる証拠みたいで、そういうのをいちいち口にするほどでもない。


俺も立ち上がって、椅子の背に掛けてあった上着を取る。


「送る」


楓が手を止めてこっちを見た。


「駅まで?」


「うん」


楓は何も言わなかった。

断るほどでもなくて、素直にうなずくには照れる。

そんなふうに見えた。


「じゃあ、お願い」


そう言って、またバッグの中を整え始める。

俺はそのあいだ、テーブルの上のマグカップを重ねて流しに運んだ。

部屋の中には、夕食の匂いがまだ残っている。

ついさっきまで当たり前みたいに一緒にいたのに、帰る支度が始まると、部屋が広く感じるから不思議だった。



もう二十時だった。


駅までの道を歩きながら、俺は楓に聞いた。


「来週の金曜は?」


「うち来る?」


「行く」

「土曜は?」


「こっちでもいいよ」


「日曜は帰る?」


「月曜は仕事だし、帰る」


「そっか」


そこで会話はいったん途切れた。

夜の空気は昼よりだいぶ冷えていて、並んで歩く足音だけが静かに続く。


次に会うのは金曜。

出張とか、実家で何かあるとか、そういうよほどのことがない限り、金曜から日曜までは一緒に過ごす。

いつからか、それが当たり前になっていた。


どっちの部屋に行くかも、今ので決まった。

日曜の夜になれば、それぞれ自分の部屋に帰る。

それだけのことを確認しただけなのに、来週の予定が見えると、落ち着く。


別に、何か困っているわけじゃない。

俺たちは、お互いちゃんとひとりで暮らしていける大人だ。

仕事もあるし、生活もある。

たぶん、こういうのを安定してるって言うんだと思う。


面倒だと思うことが、まったくないわけじゃない。

着替えを持って移動するとか、明日のことを考えて帰る時間を気にするとか、そういう細かい手間はある。

けれど、それを嫌だと思ったことはなかった。


駅まで歩くこの道も、電車に乗る時間も、どっちかの部屋で過ごす夜も、隣に楓がいるならそれなりに楽しい。

特別なことがなくても、次の金曜を自然に約束して、日曜にはそれぞれの家へ帰る。

そういう繰り返しが、今の俺たちにはちょうどよかった。



3


改札の前で、つないでいた手を離した。


楓が自動改札のほうへ向きかけたところで、俺は声をかける。


「じゃあ、金曜」


楓は一瞬だけ足を止めて、振り返った。


「うん」


それだけ言って、スマートフォンを改札機にかざし、そのまま中へ入っていく。


その背中を見送りながら、一年前のことを思い出していた。


初めて東京で食事をした日も、こうして改札で別れた。

あの日、初めてLINEを交換した。

電車に乗ってすぐ、俺はメッセージを送った。


〈次は割り勘で〉


楓からの返事は、意外だったのを覚えている。


〈次があるんですか?〉


ないと思われてたのかと、そんなことを考えながら返した。


〈ないんですか?〉


返事はすぐだった。


〈あります〉


あのやり取りをしたときは、こんなふうになるなんて思っていなかった。


今はもう、次があることを疑っていない。

来週も、その次も、たぶん三年後も。

楓は俺のそばにいる。

そう思えるくらいには、当たり前になっていた。


それなのに、毎週こうして別々の家に帰って、次に会う日を確認している。


困っているわけじゃない。

不満があるわけでもない。

ひとりで暮らすことに不自由はないし、楓と行き来する今の形だって、ちゃんとうまく回っている。


それでも、楓を見送ったあと、ひとりで部屋に戻る道はいつも少し長く感じた。

楓が帰ったあとの部屋は静かで、雨の日なんかは、このまま帰さなくてもいいのにと思うこともあった。

今夜からまた金曜まで待つ。

そういうことを、これからもずっと繰り返す必要はないんじゃないかと、ふと思った。


一緒に住みたいだけなのかと考えて、それだけではないと思う。


たぶん、もっと単純だった。

三年後も一緒にいると自然に思える楓と、その先もずっと一緒にいたい。

言葉にすると、それだけだ。


理屈っぽく考えていたわりに、答えは拍子抜けするくらい簡単だった。


楓は、ホームへ上がる階段の手前まで来ている。

見慣れた後ろ姿だった。


人の流れに紛れて見えなくなる前に。

階段に足をかけてしまう前に。

今、言わないといけない気がした。


「楓」


少しだけ声を張る。


楓が立ち止まって、振り返った。


「なに?」


俺は一度だけ息を吸った。


「結婚しない?」


「する」




冬の楓 第20話 「一年」 おわり



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