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冬の楓  作者: mamio


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16/21

第16話 「わかってる」

1


年末の仕事納めの今日、午前中は急ぎのメールを返した。

午後は掃除といっても、自分の机まわりを片づけるくらいだった。


いらない書類をまとめながら、私は何度もコピー機のそばのシュレッダーを窺っていた。

空いたと思えば、また誰かが来る。

機密文書用の回収ボックスに入れるほどのものでもないから、部内のシュレッダーが空くのを待つしかなかった。


もう最後でいいかと思って時計を見る。

十七時だった。

年末の挨拶もだいたい終わっていて、定時まではあと三十分。


十七時十五分になって、やっと紙を入れた。

何枚かまとめて吸い込まれていくのを見てから、私はデスクに戻った。


置いてあったスマートフォンの画面が光る。

冬吾だった。


織田冬吾

〈終わった?〉


〈今、終わった〉


すぐに、また通知が来る。


織田冬吾

〈飯どうする?〉


〈食べる〉


前みたいに、来週はいつ空いてる、と予定を探るやり取りは、もうずいぶん上のほうに流れていた。

検索でもしなければ、たぶんすぐには出てこない。

会うかどうかを確かめる必要は、もうない。

今は、会ったあとに何を食べるかを話している。


なんだか、不思議な気はするけれど自然にこうなったのだから、これでいい。


定時になるのを待って、私は会社を出た。

仕事納めの夕方らしく、社内はもうどこか落ち着いていて、廊下ですれ違う人たちの足取りも、いつもより軽く見えた。

冬至が過ぎたばかりで、外はもうすっかり暗い。


駅までの道に出た途端、冷たい空気が頬に触れた。

マフラーを少し引き上げながら、私は足早に待ち合わせの駅へ向かった。


改札の前には、冬吾がもう立っていた。

人の流れの中でも、探すまでもなく見つかる。


「おまたせ」


声をかけると、冬吾は私を見て表情をゆるめた。


「俺も、今着いたとこ」


たぶん少し前からいたんだろうと思ったけれど、そこはそのまま受け取ることにした。


「何食べる?」


そう言いながら、私は冬吾の手を取った。

冷えていた指先が触れる。

冬吾は何も言わず、そのままつないだ手ごと自分のコートのポケットに入れた。


「外寒いし、駅の構内でいい?」


「いいんじゃない?」


「ちょっと飲む? 一杯だけ」


「飲む」


短いやり取りだけで、十分だった。

何を食べるかも、どこに入るかも、そんなに時間をかけて決めなくていいのが、今の私たちらしかった。


構内を並んで歩いていると、明るい暖簾が目に入った。

天ぷら専門店だった。

揚げた油の匂いが、寒さで鈍っていた感覚を急に引き戻す。


「あれ食べたい」


指さすと、冬吾はそちらを見て、短く返した。


「ん」


それだけで話は済んで、私たちはそのまま店に入った。

店先の冷えた空気が背中から離れて、あたたかい匂いに包まれた。



席に着いてメニューを開いたけれど、考えるまでもなかった。

おすすめとして書かれていた、季節の天ぷらが十種、順番に出てくるというコースにする。

冬吾も同じものを頼んで、あとは先にビールだけお願いした。


ほどなくして運ばれてきたジョッキを持ち上げる。

お互いに目を合わせて、軽くぶつけた。


「お疲れ様」


「お疲れ」


ひと口飲む。

冷えたビールが喉を通っていって、今日が終わった気がした。

私はふぅっと息をついて、それから思い出したように口を開いた。


「そういえばさ、坂上くんと話した」


冬吾がジョッキを持ったまま、こちらを見る。


「ああ、どうだった」


「うん。終わった」


短く答えると、冬吾はそれ以上聞かずにうなずいた。


「そうか」


そのまま、もうひと口ビールを飲む。

ごくりと喉が動いて、冬吾はジョッキをテーブルに置いた。


「こっちも片桐さんと話した」


「うん」


それだけ返して、私は少し黙った。

片桐さんとどんな話をしたのか、気にならないわけではない。

でも、それはきっと片桐さんが冬吾に伝えたかった言葉で、私が横から形を確かめるものではない気がした。


聞こうと思えば聞けた。

冬吾も、隠すつもりはない。

それでも、あえて聞かなくていいと思えた。


大事なのは、冬吾が自分の中でそこに区切りをつけたことだ。

私が知っておくべきことは、もう十分にここにある。


そのとき、最初の天ぷらが運ばれてきた。

揚げたての衣から、ふわりと湯気が立つ。


冬吾が、湯気の立つ皿から視線を上げて言った。


「坂上くんとは、これからも仕事で会う?」


「同じ会社だしね。でも、ふたりで飲んだりはないよ」


そう答えると、冬吾は短くうなずいた。


「そっか」


その返事を聞いて、私も同じように聞いた。


「片桐さんとは?」


冬吾は間を置かずに答えた。


「ないね。仕事で見かけることがあるかもしれないくらい」


それだけだった。

余計な言葉はつかなかったし、私もそれ以上は聞かなかった。

確認したかったことは、お互い同じで、答えもそれで足りた。



2


店を出て、また改札の前まで戻ると、冬吾がコートのポケットからスマートフォンを取り出しながら言った。


「今日、どっちにする?」


聞かれて、私は明日の予定を頭の中で確かめた。

朝のうちに片づけたいことがいくつかある。

明日の朝を考えれば、自分の家のほうが都合がよかった。


「うちでいいんじゃない? 駅近いし」


「明日は?」


「冬吾、掃除するって言ってたでしょ」


「楓もだろ」


「じゃあ、明日は別で」


「わかった」


それで話は済んだ。


もうここ数週間、週末に相談することといえば、どちらの家で寝るか、そのくらいだった。

東京駅近くの、あのバーで坂上くんに偶然会った日から。

ずっとこんな感じだった。


電車に乗って、私の家の最寄り駅で降りた。


うちから駅までは、歩いて五分もかからない。

一階にコンビニも入っていて、便利ではある。

そのぶん部屋はあまり広くないけれど、ひとりで暮らすには十分だった。


玄関を開けると、すぐにキッチンがある。

それでも不動産屋は、ちゃんとシステムキッチンですと言っていた。

コンロが三口あるからなのか、シンクが広めだからなのか、そのへんはいまだによくわからない。


奥の部屋は八畳くらいで、置いてあるのはベッドとこたつくらいだ。

テレビも一応ある。

見たい番組があるわけではなくて、朝はだいたい時計代わりに点けている。


部屋に上がる前に、一階のコンビニに寄った。


アイスケースの前で、どれにするか決めかねていると、隣で冬吾がふと思い出したように言った。


「俺の歯ブラシ、まだある?」


「そりゃ、あるよ」


「よかった。捨てられてなくて」


その言い方に、私は顔を上げた。


「もう来ないつもりだった?」


「いや、来るつもり」


あっさり返されて、私はまたケースの中に目を戻した。


「冬吾のところの私の歯ブラシは?」


「そりゃ、あるだろ」


「ん」


私はもう一度、並んだアイスを見た。

でもやっぱり決めきれない。


「アイス、どれにするか迷う」


「欲しいの全部買えばいい。どうせ食うのに」


「そういうこと言ってるんじゃない。冷凍庫を圧迫するから」


「そうか」


冬吾は納得したような、していないような顔で言って、それ以上は何も足さなかった。

私はその横で、結局まだ迷っていた。



3


年末は、一緒にいたり、それぞれの部屋で過ごしたりしていた。

特別に何かする予定はなかった。


冬吾も私も、大みそかは実家に帰るつもりでいて、決まっていたのはそれだけだった。

いつ戻るかも、特に確認していない。


一日目の休みは、十二月二十七日。


織田冬吾

〈何してる〉


〈スーパーにいる〉

〈冬吾は掃除終わった?〉


織田冬吾

〈半分〉


〈遅くない?〉

〈あれ、捨てた?〉


織田冬吾

〈月曜日〉


あれ、で通じるのがなんだかおかしかった。

家電の取扱説明書がまとめて入った段ボールと、ポストに勝手に入れられていくDMの束。

玄関脇に置かれたままになっていて、私がいつ行っても、だいたいそこにあった。


月曜日が、今年最後の紙類の収集日なんだろう。

それまで手をつけないつもりらしい。

半分、という返事にも、そのへんの様子がそのまま出ている気がした。



二十八日、休みに入って二日目。

私は大蔵屋百貨店に買い物に来ていた。


ボーナスが出たら買おうと前から決めていた口紅を見たかったし、ついでに服も少し見たかった。

化粧品売り場と婦人服売り場、それから下着売り場にも行くつもりだったから、冬吾は誘わなかった。

買い物を急かされるのが嫌だったし、自分のペースで見て回りたかった。


売り場を移動しながら、私は冬吾にメッセージを送った。


〈今大蔵屋なんだけど〉


織田冬吾

〈誰と?〉


〈ひとりで〉


織田冬吾

〈なんで言わない〉


〈化粧品と服と下着買いに来たから〉


織田冬吾

〈ああ、そう〉

〈明日は?〉


〈そっち行く〉


織田冬吾

〈了解〉


それでやり取りは終わった。

言わなかった理由も、明日のことも、全部通じた気がした。



休みに入って三日目の二十九日。

昼過ぎに、私は冬吾の家がある大井町へ向かった。


玄関の中に入って、最初に目に入ったのは、いつも脇に置かれていた段ボールがなくなっていることだった。

家電の取扱説明書とDMが入った、あの箱だ。


「やっと捨てたね」


部屋に入りながら言うと、冬吾は肩をすくめた。


「うん。やっと」


私はコートを脱いで、すぐにまた聞く。


「今日、何食べる?」


「外で食べる?」


そう返されて、私は考えた。

せっかく昼のうちに来たし、このままどこかに出るより、何か作るのでもいい気がした。


「なんか作ろうかな」


冷蔵庫を開けてみる。

中には、これといって何もなかった。

牛乳と卵があるだけだ。


「買い物行かないと、何もないね」


後ろから冬吾が言う。


「卵はある」


「卵だけね」


私が言うと、冬吾は少し間を置いてから、


「鍋でもする?」


と提案した。


「いいね」


そう答えると、冬吾は嬉しそうに笑った。



大みそかに冬吾は実家に帰ると言っていたので、私は翌日の夕方に自宅へ戻った。

私も、大みそかは実家で過ごすつもりだったけれど、面倒になってやめた。


実家の母に、元旦の朝に帰ると連絡した。


元旦は、午前中に横浜の実家へ帰った。


兄が家族で帰ってきていて、甥の相手で疲れた。

テレビの音、食器の音、甥が走り回り転んで泣く声。


ひとり暮らしが長いせいか、騒がしく感じた。


久しぶりの家族との会話はそれなりに楽しんだ。

仕事の話をして、母にはちゃんと食べているのかと心配された。


明日まで、この騒がしい家にいると思うと、それだけで疲れた気分になった。

ここには冬吾はいない。


夕方になって、母に帰ると言った。


「なにか予定があるの?」


母に聞かれて、迷ったけれど冬吾のことは言わなかった。


「友達と出かけるの」


嘘のような嘘でもない返事をした。

そんなに遠くでもないので、その気になればいつでも帰れる。


元旦の夜には、自宅へ戻っていた。


冬吾にLINEでメッセージを送った。


〈帰ってきた〉


織田冬吾

〈早くない?〉


〈冬吾は?〉


織田冬吾

〈俺も帰ってきた〉


〈人のこと言えないじゃん〉


織田冬吾

〈楓がいないし〉


〈横浜にも冬吾はいなかった〉


織田冬吾

〈明日は?〉


〈会う〉


織田冬吾

〈わかってる〉

〈どこ行くか聞いてる〉


行先は決まっていなくても、明日を誰と過ごすのかは、もう決まっていた。




冬の楓 第16話 「わかってる」 おわり


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