第6話『王太子』
ネフィリムによって管理されたダンジョンの最奥部。岩壁をくり抜いて作られた広大な会議室には、重苦しい沈黙と、それを破る激しい議論の応酬が渦巻いていた。
「これ以上の猶予は破滅を招く! 今すぐ軍を再編し、帝国へ逆侵攻をかけるべきだ!」
「大言を吐くな! 帝国に拉致された同胞の安否も分からぬまま、無謀な特攻など選べるか! まずは救出が最優先だ!」
机を叩いて声を荒らげる軍幹部に対し、騎士団の幹部たちも一歩も引かずに睨み返す。
他国からの侵略や諜報活動に対抗し、国を「守る」ための組織である【軍】。
そして、王国内の秩序を維持し、犯罪の取り締まりを担ってきた、人々に寄り添う組織である【騎士団】。
祖国が滅び、散り散りになった戦力をこの地下へ集約させてなお、両者の思想的な溝は埋まっていなかった。
その対立の最上座で、一人の青年が静かに戦況を見つめていた。
ヴィルヘルム・レグリア・フォン・ネフィリム。
ネフィリム王国の第1王子であり王太子。
現在は亡き父王の代わりとして暫定的に国の最高権力を握っている。
しかし正式に戴冠をしていない為、肩書きは王太子のまま。
弱冠17歳にして容姿端麗、文武両道。学問においても武勇においても、右に出る者はいないと称される傑物だ。
彼はネフィリム王国軍の最高指揮官である「元帥」でありながら、同時にネフィリム騎士団の「副団長」という肩書も持っていた。それゆえ、軍の言い分も、騎士団の主張も痛いほど理解できる。どちらか一方に肩入れすることは許されず、今はただ、双方の議論を静観するしかなかった。
(……あの地獄の日から、もう2年が経つというのに)
ヴィルヘルムは、脳裏に焼き付いた燃え盛る王城の光景を思い出す。
2年前、侵略を始めた帝国軍に対し、自ら軍を率いて最前線で奮戦していたあの日。王都が急襲されたとの悲報を受け、必死の思いで撤退した。しかし、ヴィルヘルムが王都へ辿り着いた時には、すでに帝国の兵どもが城を占拠した後だった。
王族しか知らない秘密の抜け道からどうにか脱出してきた弟のアルムたちと合流し、そこで告げられた両親の訃報。絶望の中で帝国への復讐を誓い、敗走する軍をあえて分散させて領土に散らし、王国再建の機会を窺い続けて今日に至る。
今、この場所に集う者たちは皆、血を吐くような思いで生き延びてきた同胞だ。だからこそ、焦る気持ちは全員同じだった。
その時、会議室の頑丈な扉が音もなく開いた。
現れたのは、黒い装束を身にまとったネフィリム王家直轄の隠密組織――【暗部】の構成員だった。他国への諜報活動を主とする彼らは、帝都に潜入している第2王子アルムと、この地下拠点を繋ぐ唯一の生命線だ。
「王太子殿下。帝都のアルム殿下より、緊急の書状が届きました」
暗部は音もなくヴィルヘルムの前に跪き、一通の書状を差し出した。
軍幹部と騎士団幹部の視線が、一斉に王太子の手元へと集まる。ヴィルヘルムは無言で封を切り、書状に目を走らせた。そこに記されていたのは、凄惨な奴隷市場での「駆除」の成果と、それに伴う新たな報告だった。
内容をすべて検めると、ヴィルヘルムの手がピキリ、と微かに止まった。
その美しい顔から一切の感情が消え失せ、底冷えするような沈黙が室内の空気を凍らせる。ヴィルヘルムは書状を静かに机へと置くと、視線を軍幹部たちへと向けた。
「……軍部よ。私に何か言うことはないか」
「は……? 何のことでございましょうか、殿下」
軍の幹部が怪訝そうに首を傾げる。ヴィルヘルムは、感情の削ぎ落された声で書状の内容を読み上げた。
「アルムからの報告だ。帝都にて、また新たに複数の同胞を救出した。だが、アルムはこうも書き添えている。……『軍部より、戦闘系クラスを持つ者を最優先で軍へ補充しろとの強い依頼があった。そのため、救出した人員の中に戦闘向きのクラスを有する者が複数人確認できたため、彼女たちを即座に軍務へ配属する。性別は女性だが、現状は戦時下だ。女性を遠ざけるような古い規定は取り払え』……と」
そこまで言うと、ヴィルヘルムの纏う魔力が、威圧感となって会議室を激しく圧迫した。彼は軍幹部を冷徹に睨み据える。
「アルムは冷徹な合理主義者だ。使える手駒があると提示されれば、たとえそれが傷ついた女子供であろうと、切り札として盤面に並べる男だ。だが、お前たちは忘れたのか? ああなったのは、あの子が13歳という若さで帝国の悍ましい暴挙を目の当たりにし、その精神が壊れてしまった結果だぞ。この2年間、あの子がどんな思いで闇に潜み、手を汚し続けてきたか……! 兄として、王族として。現在15歳となった弟が、王国の第2王子が、血に塗れて自らの手を汚し続けている姿を見るのは、身が引き裂かれるほど苦しい。だが、王国再建に帝国の排除は絶対だ。ゆえに私は、あの子を止められず、今の状況に目を瞑っている。……それなのに、お前たちはアルムのその壊れた性質を利用し、自分たちの手を汚さずに戦力を毟り取ろうとした。元帥である私を、甘く見るなよ」
静かな、だが確かな怒りと、弟を想う痛切な悲しみの波動に、軍幹部たちは蛇に睨まれた蛙のように硬直した。言い訳の言葉すら喉に詰まらせ、冷や汗を流して平伏する。
その横では、騎士団の幹部たちも「なんと非道な……!」と軍部への激しい嫌悪の表情を浮かべていた。
ヴィルヘルムは深く息を吐き、怒りを胸の奥へ収めると、会議室の全員を見据えた。
「だが……アルムの言う通り、古い規定に縛られている余裕がないのもまた事実だ。人員が圧倒的に不足している我が国において、女子供であろうと、軍の後方支援くらいは担ってもらわねばならん」
今度は騎士団の幹部たちが息を呑む。ヴィルヘルムは目を細め、復讐の炎を宿した声で言葉を続けた。
「一刻も早く帝国の地下で苦しむ同胞を救出し、あの忌々しい帝国を根絶やしにする。そのためならば、私は泥をすすり、誇りを捨ててでも戦力を整える。軍部、お前たちの独断は不問にする。だが、引き入れた同胞をただの消耗品として扱うことは絶対に許さん。軍、騎士団、それぞれの垣根を捨てて、彼女たちを迎え入れる態勢を整えろ」
王太子の冷徹かつ慈悲深い決断に、否定派の幹部たちももはや言葉を返すことはできなかった。全員が深く頭を下げ、会議室には再び、帝国逆侵攻へ向けた歪な、しかし強固な連帯が生まれつつあった。
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会議室での緊迫した議論を終えたヴィルヘルムは、自室に戻るとすぐに二人の男を招き入れた。
一人は、この地下ダンジョンを領土内に所有し、帝国との国境一帯を治めるラスター侯爵家の当主、ドレイク・レゼ・フォン・ラスター。33歳。
アルムやヴィルヘルムの祖父の甥にあたる高位貴族であり、ミリアリアの実父だ。長男のハインは2年前、アルムたちを逃がすための囮となって帝国兵と戦い、今も生死が分かっていない。
もう一人は、ネフィリム王国軍の将軍を務めるグライド・タグル・マーカス。31歳。元々は平民の叩き上げだったが、戦功を認められて伯爵位を賜った英傑だ。しかし「戦う者に貴族も平民もない」という信念を持ち、公式の場以外では今も平民然とした態度を崩さない男だった。
「急に呼び出してすまない。他でもない、王宮事務次官のマリクから届いた、帝都での救出者名簿についてだ」
ヴィルヘルムの言葉に、二人の父親の身体が強張った。ヴィルヘルムは机の上の書状に目を落とし、重い口を開く。
「ここに、お前たちの家族の安否について記載がある。……ドレイク、そしてグライド。お前たちの娘、ミリアリアとラハンナは、アルムの手によって無事に救出された。生きている」
「ミリアリアが……!」
「ラハンナ……生きて、いたのか……!?」
ドレイクとグライドの顔に、言葉にならない喜びが走った。2年前の滅亡の日から、生死すら分からなかった愛娘たちの生存。だが、ヴィルヘルムの表情は晴れない。彼は痛ましげに目を伏せ、書状の続きを告げた。
「だが……。マリクの報告にはこうもある。『花は散らされた』……と。二人は帝国兵に捕らえられた後、人間によって辱められ、その純潔を奪われていた」
「なっ……!」
ドレイクの顔が怒りで火のように赤くなり、拳を強く握りしめすぎて爪が手のひらに食い込んだ。
グライドもまた、いつもの冷静な佇まいを失い、獣のような低い唸り声を上げる。
「害虫どもが……我が娘に、そんな非道を……!」
「人間の家畜風情が、ネフィリムの血を汚したというのか……!」
娘たちの受けた屈辱を想い、激しい憤怒を燃やす父親たち。ヴィルヘルムはその怒りを受け止めながら、静かに話を続けた。
「二人の今後の配属についても記載がある。ラハンナは《影》、ミリアリアは《固定》の能力をそれぞれ発現させており、すでに戦闘で安定して使用できる状態にあるそうだ。そのため……二人はいずれも、アルムが帝都で組織した直轄の『人間処理部隊』に配属される」
それを聞いたドレイクとグライドは、一瞬息を呑んだ。傷ついた娘たちが、すでに復讐のための戦いの中に身を投じている。その事実に、親としての複雑な感情が胸を締め付けた。
「……戦場に立つ、ですか。あの子たちが」
ドレイクが、どこか遠くを見るような目で呟く。長子ハインに続き、ミリアリアまで泥沼の戦いへ赴くことへの不安が隠せない。
しかし、グライドは深く息を吐き出すと、拳の力を抜いてヴィルヘルムを見据えた。
「戦う者に、もはや男も女もありませんな。何より、あの絶望から生きて戻ってくれた。それだけで……生きてさえいれば、またいつか会える。その希望さえあれば、俺たちも戦えます」
「グライドの言う通りですな。あの子たちが自ら戦う道を選んだのなら、親として、貴族として、その背を支えるのみだ。殿下、娘たちを闇から救い出してくださったこと、そしてアルム様のご無事に、心より感謝申し上げます」
ドレイクもまた、不安を振り払うように力強く頷き、グライドと共にヴィルヘルムへ深く一礼した。
「ああ。二人とも、必ずや生きて再会を果たそう。そのために、まずはこの地で力を蓄えるぞ」
ヴィルヘルムはそう言って二人を労うと、手元にあった救出者名簿の写しをマーカス将軍へと手渡した。
「グライド、この名簿をお前に託す。現在、軍に所属している者の中に、ここに記載された救出者の家族がいた場合、彼らの生存を速やかに伝えてやってくれ。生きているという事実こそが、今の彼らにとって何よりの糧になるはずだ」
「ハッ、直ちに」
グライドは名簿を恭しく受け取ると、ドレイクと共にヴィルヘルムの自室を後にした。
二人が退室し、完全に一人になった室内。
ヴィルヘルムは張り詰めていた緊張の糸を緩めるように、背もたれの高い椅子へと深く身体を沈めた。片手で顔を覆い、漏れ出たのは重く、暗い溜息だった。
目を閉じれば、離れ離れになった大切な家族の姿が否応なしに脳裏をよぎる。
(アリシア姉上……。あなたはいったい、どこでどうされているのですか……)
帝国軍に神殿ごと捕らえられ、それきり行方が知れない第1王女、アリシア。生死すら分からない姉の身を案じるたび、心臓が凍りつくような恐怖がヴィルヘルムを襲う。
そして、もう一人。
(アルム……)
帝都の闇で、ただ人間を屠るためだけに動いている弟。13歳で母の受けた屈辱を目撃し、心が壊れ、人間を駆除すべき害虫としか見なさなくなった、悲しき「人間殺戮人形」。
本当なら、あの子から刃を取り上げ、かつてのように優しく抱きしめてやりたい。だが、王国を再建し、帝国をこの世から排除するためには、アルムのあの冷徹な狂気が必要不可欠なのだ。
弟が血の海を泳ぎ、手を汚し続けている現実を、自分はただ黙って利用している。
「私は……無力だな」
ポツリと溢れた自嘲の言葉は、誰に届くこともなく薄暗い部屋の闇へと消えていった。王太子としての重責、そして姉弟への痛切な想いを胸に秘め、ヴィルヘルムはただ静かに、復讐の牙を研ぎ続けるしかなかった。




