第5話『奴隷市場』
帝都グランダリアの地下に広がる奴隷市場。その裏手にあるバックヤードは、表のきらびやかさとは裏腹に、悪臭と絶望が澱む監獄そのものだった。
錆びついた鉄格子の檻がいくつも並び、中には出荷を待つ"商品"たちが力なくうずくまっている。
「……ここですね。警備の巡回はそれほど厳しくないみたいです。」
人間の姿へと〈変化〉したミリアリアが、物陰から声を潜めて告げた。
アルム、ミリアリア、マリクの三人は、表のオークションが始まる前の騒がしさに紛れ、裏手の搬入口から容易に潜入を果たしていた。
人間の貴族に扮したマリクとミリアリアは警備に多少の金を握らせて普段は関係者以外立ち入れないバックヤードに堂々と入り込んだのだ。
アルムは冷徹な青い瞳で、檻の中を一つずつ見定めていく。そして、最奥にある一際頑丈な檻の前で足を止めた。
そこにいたのは、全身を痣と生傷で汚され、ボロ布を纏わされた一人のネフィリムの女性だった。汚れに塗れてなお隠せない圧倒的な美貌。そして、暗部ロクシュから報告のあった孤児「クルシュ」の面影が、彼女の顔立ちに確かに残っていた。
「報告通りだ。」
アルムは小さく呟く。
奴隷市場に潜入する前に暗部の1人に奴隷市場のバックヤードを調べさせていたのだ。
その結果1人のネフィリム女性が商品として拘束されていると報告を受けていた。
アルムは檻の鉄格子に近づき、低く、だが確かな威厳を込めた声で語りかけた。
『お前がクルシュの母親か?』
ネフィリム王国で使われていた言語で語る。
ピクリ、と女性の肩が跳ねた。彼女は怯えたように視線を彷徨わせたが、目の前の「エルフ」から発せられたネフィリム語と、"クルシュ"と言う名を聞き大きく目を見開いた。
『あなた……方は……? なぜ、その子の名を……』
「帝国語で構わん。安心しろ。私はネフィリム王国第2王子、アルム・スヴェント・フォン・ネフィリムだ。この姿は私のクラスの能力で変装している姿だ。後ろの2人も同胞だ。先に伝えておくがお前の子供、クルシュはすでに我が国の暗部が保護している。小さな怪我はあるが、五体満足で無事だ」
子供の生存を耳にした瞬間、女性の目から大粒の涙が溢れ落ちた。彼女は這いつくばるようにして鉄格子にすがりつく。
「ああ……殿下……! ありがとうございます、ありがとうございます……! ああ、クルシュ、無事だったのね……!」
「お前の名を聞こう。それと、なぜ国を出ていた」
アルムの淡々とした問いに、女性は涙を拭いながら必死に声を絞り出した。
「エルマと申します……。私は夫と共に王都で商店を営んでおりましたが数年前、仕入れに出た際に人間たちに襲われ、夫はその際に……。残された私は身を潜めてクルシュを育てておりました。しかしネフィリムということがバレてしまい追われる身になってしまって……あの子だけでも逃がそうと孤児院へ預けたのです。私は捕まり、ここで売りに出されることに……」
エルマの話を聞いたマリクが、眼鏡の奥の目を光らせて頷いた。
「なるほど。旦那様の事は残念ですが事情は分かりました。アルム様、彼女の身柄、今すぐここで確保しますか?」
アルムは一瞬、劇薬を調合するかのような冷徹な思考を巡らせた。
「いや、ここで檻を壊せばすぐに発覚し、市場全体が警戒態勢に入る。他の同胞の手がかりを確認する前に逃げられる可能性がある。……エルマ、これよりオークションが始まる。お前は一度、ステージへと上がれ」
「えっ……」
エルマの顔に恐怖が走る。しかし、アルムの瞳に宿る絶対的な意志に、彼女は息を呑んだ。
「見捨てるのではない。ステージに上がった瞬間、会場を混乱に陥れお前を力ずくで奪う。それまで耐えろ」
「……はい。殿下の御心のままに」
エルマは力強く頷いた。その目には、先ほどまでの絶望ではなく、確かな希望の光が灯っていた。
「行くぞ。表へ回る」
アルムが翻ると同時に、遠くからオークションの開始を告げる鐘の音が響き渡った。人間たちの醜い欲望が渦巻くステージへ向かって、長耳の暗殺者は静かに歩みを進めた。
■□■□
オークションが始まりいくつかの商品に買い手がついて行くのをアルムたちは無言で眺めていた。
アルムはエルフ、マリクとミリアリアは人間の親子としてオークション会場に入っていた。
『今の所エルマ以外のネフィリムはなし、か。』
『幸い…と思いたいですね。』
あえてネフィリム語で会話する。
会話の内容が分からないようにする為だ。
事前にバックヤードにエルマ以外のネフィリムがいないか確認した為に他の奴隷については本当にどうでもよかったのだ。
「さあさあ! 続いての出品は、本日の極上の掘り出し物だ!」
競売人の耳障りな声が響き、ステージの床から頑丈な鉄籠がせり上がってくる。中にいたのは、先ほどバックヤードで言葉を交わしたネフィリムの女性、エルマだった。
ボロ布を纏わされ、鎖に繋がれたその姿を見た観客席の人間たちは、一斉に醜い欲望の声を上げて札を上げる。
「滅びた古代種、ネフィリムの生き残りだ! 開始価格は金貨五十枚から!」
「金貨五十五!」
「六十五!」
「八十!!」
「百!!金貨百枚だ! 我が邸宅の庭で、猟犬と競わせたら面白そうだ!」
「百二十!!私のコレクションに加えてやろう!!」
下卑た笑い声と、命を金で品定めする害虫どもの咆哮が会場を埋め尽くす。
観客席の後方、エルフの姿へと〈変化〉したアルムは、フードの奥から冷徹な青い瞳でその光景を見つめていた。その胸にあるのは怒りではない。ただ、目の前に群がる不快な羽虫をすり潰す時のような、純粋な「駆除」の意志だった。
『マリク、コレクションがどうのと言った人間を捕まえておけ。』
『かしこまりました。』
同胞を集めている人間がいるようだ。
『アルム様、いつでもいけます』
隣に立つミリアリアが、腰の短剣に手をかけながら低く鋭い声を出す。
『……始めろ』
アルムが静かに命じた瞬間、彼が潜ませていた数十匹のネズミが一斉に部屋に設置された魔導回路を噛み切った。
バチバチッ!
と激しい音を立てて、会場を照らしていた魔導灯がすべて弾け飛び、奴隷市場は完全な暗黒へと包まれる。
「な、なんだ!?」
「電気が消えたぞ!」
「警備兵、何をしている!」
パニックに陥る人間たちが、我先にと出口へ殺到しようとした、その時だった。
『《固定》――『足元』』
ミリアリアの冷徹な声が響く。
瞬間、会場にいたすべての人間たちの両足が、まるで床と一体化したかのように、その場に完全に固定された。
「ひっ、あ、足が……!? 動かない!?」
「おい、嘘だろ! 離れないぞ! 床にくっついて……!」
「なにが!どうなっている!?」
「警備は!警備は何をしている!!」
上半身は自由に動く。意識も完全に明晰だ。しかし、どれほど力を込めても、叫んでも、地面に縫い付けられた足は一ミリたりとも動かない。暗闇の中、逃げ道を失った害虫どもがその場で身悶えし、完全なパニックに陥る。
そこへ、復旧の明かりではなく、肉が惨たらしく引き裂かれる音と、凄惨な悲鳴が響き渡った。
「ひがっ、あああああッ!?」
暗闇の中、アルムは音もなく跳躍し、客席の最前列にいた男の脳天に、容赦なく短剣へと《変化》させた右手を突き立てた。頭蓋が割れる鈍い音が響き、脳漿と鮮血が隣の男の顔へと飛び散る。
「う、うわあああ! ひ、人が!!だ、誰か、誰か助けてくれ!」
目の前で人が屠られるのを見ながらも、足が固定されているために一歩も後ろへ下がれない。上半身を必死にのけぞらせ、涙と鼻水を流して命乞いをする男の胸元を、アルムの隣から音もなく現れたマリクのナイフが、容赦なく、そして事務的に抉り取った。
「カハッ、あ……」
ドクドクと溢れ出る血を両手で押さえながら、男はその場に直立したまま白目を剥いて息絶えた。足が固定されているため、死体すら倒れることを許されず、奇妙な案山子のように直立し続ける。
「逃げたいか、害虫ども」
アルムの声が、氷のように冷たく響く。
アルムとマリクは、身動きの取れない人間たちの間を、無表情のまま、淡々と歩を進めていく。上半身を必死にバタつかせて拒絶する女の髪を掴み、その細い首筋を真横に深く切り裂く。噴水のように吹き出す鮮血が、周囲で怯える別の人間たちの衣服を汚していく。
「嫌だ、来ないでくれ! 頼む、金なら払う! 何でもする!」
「うるさい羽音だ」
アルムは眉一つ動かさず、命乞いをする貴族の男の両目を容赦なく突き刺し、そのまま刃を脳へと突き入れた。
あちこちで直立したまま絶命していく死体と、それらに囲まれながら、次は自分が殺される番だと理解して絶望に狂う人間たち。意識があるからこそ、死への恐怖がリアルタイムで彼らの精神を破壊していく。それこそが、アルムの求める「害虫駆除」の光景だった。
「ひ、ひいいいっ! バケモノだ、バケモノが出たあ!」
ステージ上で腰を抜かしていた競売人が、血の海と化した客席を見て狂ったように叫ぶ。アルムはステージへと跳躍すると、競売人の髪を掴んで床に叩きつけた。
そして、躊躇なくその顔面を何度も何度も踏みつぶす。
グシャリ、ベキリ、と骨の砕ける不快な音が響き渡り、競売人の頭部だったものは、瞬く間に原形を留めない肉塊へと変果てた。
会場は、直立した死体の林と、その間で泣き叫ぶ生者の地獄絵図と化していた。
アルムは返り血を浴びた腕を無造作に振って血を払うと、ミリアリアに目配せをした。ミリアリアが《固定》を解除すると、それまで直立していた数十体の死体が、糸の切れた人形のように一斉にドサドサと床へ崩れ落ち、血の海に浸かった。
アルムは鉄籠の中で震えていたエルマの前へと歩み寄り、籠の形を《変化》させてその白い手を取った。
「……終わった。行くぞ」
「あ、ああ……我が、王子……」
エルマは周囲の惨状に息を呑みながらも、人間という害虫を文字通り徹底的に蹂躙したアルムの圧倒的な威風に、畏怖と、それ以上の深い救いを感じて涙を流した。
「マリク、さっきの人間は?」
「ここに。」
マリクは先程エルマをコレクションに加えると言って金貨百二十枚を提示した人間を見やる。
「あ、あ、あんたらは…」
「黙れ人間。貴様は私に許可なく言葉を発する事は許されない。」
「ひぃっ!?」
会場で唯一生きている人間にマリクは血のついたナイフの刃を向ける。
マリクの殺気に当てられた人間は白目を向いて気絶してしまった。
「引き上げるぞ。この惨劇を帝国の連中への挨拶代わりにしてやる。マリク、お前の能力でエルマの枷を"分解"しろ。」
アルムの冷たい声に、マリクは眼鏡の奥の目を細めて深く頷いた。
「かしこまりました。エルマ嬢、少し動かないでくださいね。」
エルマに傍にしゃがみこみ、枷に触れながらマリクは言う。
そしてエルマを封じていた枷は音もなく、サラサラと砂に変わっていった。
「さ、外れました。」
「あ、ありがとうございます。」
「流石にそのボロ布では出歩けませんな、こちらをお召しになってください。」
マリクは返り血まみれの外套の下に着ていたジャケットを脱いでエルマに手渡す。
「ありがとうございます。」
「いえいえ」
「立てますかな?本当は手でも差し出して紳士の振る舞いでもと思いますがこのなりなのでご容赦ください。」
「いえ、大丈夫ですから。」
マリクはエルマに努めて明るく話しかけた。凄惨な現場を目の当たりにしたら恐怖で竦んでも無理はない。
それでもエルマは気丈に振る舞い自らの足で立ってみせた。
「行くぞ、この人間からも問いただすことか多い。」
「そうですね、しっかりお話しましょう。」
暗部が気絶した人間をズルズルと引きずるように回収するのを見届けたアルムは会場の出口へと向かっていく。
返り血を纏った暗殺者たちは、凄惨な死臭が立ち込める会場を後にし、闇の中へと消えていった。
帝国の心臓部、帝都へ打ち込まれた容赦なき楔。人間たちの平穏な日々が崩壊するカウントダウンは、確実に進んでいた。




