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8

 首都高を照らす朝日が目に染みる。わたしはサングラスをかけた。


 今日、父は助手席にいない。


 《少し出てくる》

 そんな書置きだけを残して、朝早くに出かけてしまっていた。


 全く勝手なんだから。


 家でこれまでのメモをまとめようかと思ったけれど、心がK市に飛んでいた。


 前回は、乙音の表面的な事実しか知ることができなかった。殺された状況と、家族の印象だけが、わたしたちの掴んだ事実だ。


 もう一度あの街を訪れ、乙音の素顔に迫ってみたかった。従業員や常連客から話を聞くことができれば、何か分かるかもしれない。


 わたしは淡い期待を抱いて、再びK市に向かうことにした。



 昼前には、スナック《おとね》のある裏路地に着いた。店をしばらく眺める。


 ふと、視線を感じて後ろを振り向く。一昨日は開いていなかった喫茶店の店内から、こちらを見ている女性と視線が合った。彼女はすぐに顔をひっこめた。


 何かを感じて、わたしは《ハノーヴァー》というその喫茶店に入った。


 店内は昭和のテイストが色濃く残っていた。《おとね》と一緒だ。木製家具もコーヒー会社のポスターも色あせている。

 チェット・ベイカーのトランペットがBGMとして流れるおかげか、古臭くもあり、上品ともいえる店だった。


 「いらっしゃいませ」


 黒シャツに茶色のエプロン姿でスキニーを履いた四十代くらいの女性が向ける、こちらを探ってくるような眼は、窓越しにわたしを見てきた眼だった。少し派手な化粧は、店の雰囲気に若干のノイズを生じさせていた。


 わたしはあえて彼女に目もくれず、《おとね》が見える窓際のテーブル席に腰掛ける。テーブルの上の小さな灰皿に、救われる思いがした。


 接客用の笑みを浮かべた待ち人がメニューを持ってきた。


 「お決まりになりましたら、お呼びください」


 「アメリカンのホットをお願いします。砂糖とミルクはいりません」


 「かしこまりました」


 彼女がカウンターに戻り、そこに陣取っているマスターに注文を告げる。その様子を見て、わたしは煙草に火をつけた。二本目も半分まで行った頃、コーヒーが運ばれてきた。


 「アメリカンコーヒーのホットでございます」


 そう言って、また戻ろうとする彼女をすかさず呼び止めた。


 「さっき外にいるわたしを見ていらっしゃいましたよね?

 ひょっとしてあの店のことご存じなのですか?」


 振り返った彼女の笑みは引きつっているように見えた。

 「いいえ」


 「・・・本当に?」


 「あなた、刑事なの?」


 もはや彼女の笑顔は消えている。その目を細め、唇は固く引き締めていた。


 「記者です。一昨年、あの店で起こった事件を取材しています」


 「記者・・・。なんだ、びっくりしたぁ。私、てっきりまた刑事かと思ったのよ。警察官ってどうも性に合わなくて」


 「警察に話を聞かれたんですか?

 でも事件が起こったのは夜中ですよね。このお店、そんなに遅くまで開いているんですか?」


 「あぁ、違うの! わたし、あの事件が起こった時は《おとね》で働いてたのよ」


 こうも早く目的を達してしまうとは。


 近くの店で働いているので、顔見知りかもしれないと思ってこの喫茶店に来たが、思った以上に乙音に近しい人間に出会ってしまった。


 善は急げだ。さっさと仕事にとりかかろう。


 名前を聞くと、彼女は内田眞衣と答えた。


 「内田さん、この二人のどちらかに見覚えはありませんか?」


 わたしはリュックから光平と光恒親子の写真を取り出す。昨夜、ネットで検索してプリントアウトしていたものだ。

 

 眞衣は穴が開くほど写真を眺め、二人とも知らないと答えた。


 仕方がない。乙音のプライベートを聞くことにする。しかし、これも空振りだった。


 「プライベートって言われてもねぇ。ママって自分の話はしない主義だったから。いつもお客さんの話を聞いてるばかり。励まして、慰めて、時々叱ってて感じにね」


 「子どもがいた、なんて話を聞いたことは?」


 「ないわよ。ママに子ども・・・。ハハハ、想像もできないわね」


 「それはまたどうして」


 「だってママはあの店が命だったもの。他には目もくれなかったわ。

 だから、お店の雰囲気とかルールというか、なんていうか分からないけど、あの店に迷惑をかけるような客には容赦なかったわ。

 あの店とそこで過ごす自分が人生で何より大切だったんじゃないかなぁ。結局ママにとっては良い終わりだったのかもね」


 「・・・良い、終わりですか?」


 乙音の死に様を知っている人間としては、とても『良い終わり』とは言えない。


 「変な言い方だった?」

 

 「ええ。とても」

 

 「ハハハ、ごめんなさい。死に場所がね、あの店だったことがママにとって良かったんじゃないかと思って」


 「それほどまでにあの店を大切にされていた、ということですか?」


 「そう。それに店の経営も危なかったのよ。ほら、この辺りほとんどシャッターが下りてるでしょ?

 どの店もお客さんが少なくなって閉店したの。御多分に漏れずで《おとね》もパッとしなかったし。この喫茶店もいつまで続くか・・・」


 カウンターの奥で、緩慢にカップを拭いていたマスターの咳払いが聞こえる。眞衣はしまったとばかりに舌を出して、わたしの前から消えていった。

 

 その後、《ハノーヴァー》を出たわたしは尚も周辺をぶらつき、スナック《おとね》の常連客の何人かと話すことができた。

 皆、口をそろえてママの個人情報を聞いたことがなかった。

 そして、誰も龍ヶ淵親子を見ていなかった。


 乙音と光恒は親子ではないのだろうか?


 せっかくのK市遠征も成果は上がらず、意気消沈して東京へ戻りながら、わたしは自分の推測に自信を無くしていた。


 しかし、ここで暗くなっても仕方がない。


 そもそも、答えを見つけるのはわたしの仕事ではない。父の役目だ。


 気分を上げるためにも、本来の仕事に戻ろう。取材だ。家に帰る前に戸塚署に寄ることにする。


 カーナビの時計は十七時を知らせている。毎夕の捜査会議は十九時のはずだから、署の玄関前に張っていれば、出先から戻ってくる捜査関係者を捕まえられるかもしれない。

 

 戸塚署に着いたのは十八時四十分頃だった。捜査会議まではまだ余裕がある。

 顔見知りの刑事たちが何人か行きあったので、話を聞こうとしたが、みな一様に暗い顔で、取り付く島もなかった。刑事たちの態度で状況は察せられる。

 

 進展はないのだ。


 お互いに無駄足だったということね。


 署から離れようとすると、黒塗りのセダンが玄関前に車を寄せた。降りてきたのは、捜査一課長だった。


 「あれ、明美ちゃん。どうしたの、こんなところで」


 「どうしたって・・・取材ですよ。まぁ、あんまり進展はないみたいですけど」


 「ご想像にお任せするよ。で、親父さんは本庁に来たけど、明美ちゃんはどこに行ってたの?」


 「わたしはK市に・・・。え、父が警視庁に?」


 「聞いてなかったのか。うん、手が空いている刑事を何人か貸してくれと言われてね。彼らと会議室に籠っていたよ。俺は、例の白骨遺体の件で多摩署に行ったから、何をしていたかまでは詳しく知らないんだけどね」


 そこへ、一課長専用車の運転手を務める若い刑事が、窓を開けて一課長に声をかけた。


 「一課長、そろそろ捜査会議が始まりますが」


 「ん、おぉもうこんな時間か。じゃあ明美ちゃん、引き続きよろしく頼むよ」


 一課長はそう言うと、足早に署内に入っていた。


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 品川のマンションに帰ると、部屋は暗かった。


 父はまだ戻ってきていなかった。


 電話をかけても通じない。何度かかけて、ようやくつながったのは、深夜十二時を超えた頃だった。


 わたしは父に何をしているのか問いただした。だが、父ははぐらかすばかりで何も答えようとしない。反対に、わたしの行動を聞いてきた。


 わたしは渋々、今日一日の行動を父に報告した。話を聞き終えた父は、しばしの沈黙の後、何かに納得したように言った。


 『店が大事、か』


 ひとりきりの暗い食卓で父の冷めた声色を聞きながら、わたしは高校時代、最も嫌いだった男を思い出していた。


 夫、父である前に "一人の刑事" だった男を。


 わたしは確信した。


 江津麟之助はこの事件の真実に辿り着いたのだ、と。

これにて、連続私刑殺人事件を引き起こしたシリアルキラーに関する調査は終了となります。

次回より、解決編スタートです。


お読みいただきありがとうございました!

少しでも面白いと思っていただけたら、リアクション・ブックマークをよろしくお願いいたします!

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