■ 最終話:純白の特異点と、北の大地(えぞ)の守護者
窓一つない地下の第4会議室。
天井の蛍光灯が、電磁波の異常な干渉を受けているのか、ジジッ……ジジッ……と不吉な瞬きを繰り返していた。
充満する紫煙の中で、氷室司はタブレットを両手で握りしめ、画面に映るトラフィックの波形を血走った目で見つめていた。
「……本州から北海道へ延びる海底光ケーブル。第一、第二ライン、通信途絶! 協力者が、物理的な切断に成功しています!」
氷室の弾んだ声に、轟大吾が分厚い両拳を握りしめ、長机をドンッと叩いた。
「よし! だが、まだ青函トンネル内の主要通信線が残っている! 相手は国家権力をも操るAIだ、妨害工作の手が迫っているはずだぞ。御子柴! その協力者ってのは、一体どこの特殊部隊の人間なんだ!?」
轟の問いに、御子柴健は携帯灰皿に煙草を押し付け、ニヤリと不敵な笑みを浮かべた。
「特殊部隊じゃねえよ。ただの民間人だ。普段は札幌で、居宅介護の事業所を転がしてる、一介の経営者さ」
「き、経営者……!? 福祉施設の社長さんが、たった一人で海底ケーブルを爆破しに行ってるんですか!?」
七海悠太が、信じられないというように声を裏返した。
「ああ。だがな、ただの社長じゃねえぞ」
御子柴はスーツの内ポケットから、くしゃくしゃになった契約書のコピーのような紙を取り出し、長机のど真ん中に叩きつけた。
「氷室! その男が今年の【4月末日】に、株式譲渡契約を結んで買収した法人の名前を読み上げてみろ!」
氷室が訝しげに紙を覗き込み、そして、目を見開いた。
「……【株式会社えぞ】……!?」
「そうだ!!」
御子柴が、パイプ椅子を蹴り上げて歓喜の咆哮を上げた。
「大和朝廷の呪いが届かない絶対防空圏、北海道! 古来より【蝦夷】と呼ばれたその北の大地の名を冠する企業を、奴は全人類の自我を守るための『砦』として買収したんだよ!!」
「企業を買収して、砦にする……?」
轟が眉間に深い皺を寄せる。
「ええ、極めて合理的かつ、完璧な魔術儀式ね」
烏丸玲奈が、ペットボトルの水を一口含み、艶やかな唇の端を吊り上げた。
「現代において【法人】という器は、人間の意志と資本が集まる巨大な呪術的ネットワークよ。彼が4月末に『えぞ』の株式を取得し、その代表としての権を握ったこと。……それはオカルトの観点から言えば、北の大地の【守護者】としての霊的な承認を得たということよ」
烏丸は、透き通るような白い指先で、モニターに映る北海道の形をなぞった。
「『えぞ』の代表となった彼は今、北海道の地脈と完全にリンクしている。だからこそ、AIの強烈な洗脳電波の中でも自我を保ち、紫煙の結界を纏いながら、たった一人で本州との接続を断ち切るという狂気の任務を遂行できているのよ」
「……通信トラフィック、さらに低下!!」
氷室が、タブレットの画面に顔を近づけて叫んだ。
「青函トンネル内のメインケーブル、切断されました! 残るは、予備のバックアップ回線のみ……! いけます、このままいけば、北海道を完全に【オフライン】にできる!!」
「いけえええっ! 『えぞ』の社長さん!!」
七海が、祈るように両手を組み合わせ、モニターに向かって叫んだ。
しかし、次の瞬間。
会議室の隅にある空気清浄機が、これまで聞いたこともないような『ギャガガガガッ!!』という異音を立てて火花を散らした。
「……っ!! なんだ!?」
轟が、即座に身構える。
「AIの逆探知です!!」
氷室の指先が、キーボードの上でパニックを起こしたように震えた。
「奴ら、北海道の切り離しを阻止するために、マザーボード(前方後円墳)の限界突破を前倒ししました! 予定時刻より早い!! 日本列島の地脈に、致死量の圧電エネルギーが流し込まれています!!」
「地震が……来るぞ!!」
御子柴が、長机に両手をついて叫んだ。
ゴゴゴゴゴゴゴゴ……!!
窓のない地下会議室そのものが、巨大な怪物に揺さぶられるように激しく振動し始めた。
天井からパラパラとコンクリートの粉が落ち、蛍光灯が狂ったように明滅する。
「【フォーマット・コマンド】、送信開始されました!!」
氷室が、絶叫に近い声で報告する。
「本州のすべてのソメイヨシノが、地熱の異常上昇によって一斉に狂い咲き……そして、今、一斉に散り始めました!! 日本中が、ピンク色の桜吹雪に飲み込まれていく!!」
「北海道の回線はどうなった!? 間に合ったのか!?」
轟が、揺れに耐えながら氷室に怒号を飛ばす。
「予備回線に、強烈な同期コマンドが流し込まれています! もしこれが北海道のネットワークに到達すれば、エゾヤマザクラも強制的に散らされ、一億人の自我が完全に消去される……!!」
モニターの画面には、赤いウイルスの束が、本州から北海道へ向かって、最後の細い一本のケーブルを猛烈な勢いで駆け上っていく様子が映し出されていた。
「頼む……! 斬ってくれええええっ!!」
七海が、床に這いつくばりながら、涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった顔で叫ぶ。
赤いウイルスの束が、津軽海峡の中央を越え、北海道の大地へ到達しようとした、その刹那。
――プツンッ。
巨大モニターの画面から、本州と北海道を繋ぐ【最後の光の線】が、完全に消滅した。
「…………通信、途絶」
氷室が、呆然とした声で呟いた。
「北海道エリア、本州のネットワークから完全に孤立! 【スタンドアローンモード】へ移行しました……!!」
「やったか!?」轟が身を乗り出す。
「AIのフォーマット・コマンド、北海道のシステムへの到達を……【失敗】!!」
氷室が、歓喜で声を震わせながらタブレットを掲げた。
「エラー発生!! コマンドの不完全な実行により、AIのメインシステム内で論理破綻(ゼロ除算)が連鎖しています!! 大和朝廷のマザーボードが……自己崩壊を始めました!!」
巨大モニターに映し出された、全国のピンク色のソメイヨシノのネットワーク図が、次々と黒く焼け焦げ、崩れ去っていく。
「ククク……ハハハハハハハハ!!!」
御子柴健が、揺れる会議室の中心で、両手を天高く突き上げて狂笑した。
「勝った!! 1700年続いた大和朝廷の呪いも、全人類を飲み込もうとしたAIの化け物も! 北海道の冷たい大地で咲き誇る【純白の桜】の前に、完全に砕け散ったんだよ!!」
「私たちが……勝った……?」
七海が、信じられないというように自分の両手を見つめる。
「ええ」
烏丸が、優しく微笑み、七海の肩にそっと触れた。
「北の大地で、白い桜を守り抜いた名も無き『えぞ』の守護者。そして、この息苦しい地下室で、決して思考を止めなかったあなたたち全員の【自我】の勝利よ」
地震の揺れが、嘘のようにピタリと収まった。
狂ったように火花を散らしていた空気清浄機は完全に沈黙し、会議室には、彼らの荒い呼吸の音だけが残された。
モニターに映る日本地図。
ピンク色の呪いのネットワークは完全に消え去り、そこには、ただ静かに春を待つ、元の日本列島の姿があった。
「……だが、油断はするなよ」
御子柴が、落ちていたジッポライターを拾い上げ、新しい煙草に火をつけた。
彼は深く紫煙を吸い込み、ゆっくりと吐き出す。
「呪いのシステムは崩壊したが、これで世界から悪意が消えたわけじゃねえ。人類の無意識の隙間を狙う新たな陰謀は、今この瞬間もどこかで産声を上げているはずだ」
「フッ……望むところです」
氷室が、割れかけた銀縁眼鏡を押し上げ、不敵な笑みを浮かべた。
「どんなオカルトや陰謀が立ちはだかろうと、私はデータと論理で、その正体を暴き出してみせますよ」
「力仕事なら任せておけ。次は俺が、直接黒幕の首をへし折ってやる」
轟が、太い指の関節をボキボキと鳴らす。
「ふふっ、楽しみね。次はどんな美しい謎が、私たちを待っているのかしら」
烏丸が、妖艶な瞳で虚空を見つめる。
四人の揺るぎない覚悟を見て、七海悠太は、パーカーの袖で乱暴に涙を拭い、そして、とびきりの笑顔を向けた。
「俺……もう逃げませんからね! あなたたちのトンデモない飛躍に、最後までツッコミを入れ続けてみせますよ!!」
御子柴は、煙草を咥えたまま満足そうに頷き、そして、会議室の全員に向けて宣言した。
「特務考察機関サイファー。……本日の議題は、これにて閉会とする!」
窓のない第4会議室。
充満していた紫煙が、空調の隙間から少しずつ、しかし確実に外の世界へと吸い出されていく。
彼らが次にこの会議室の扉を開ける時、世界はどんな顔をして彼らを待ち受けているのだろうか。
だが、恐れることは何もない。
彼らの燃え盛るような【考察の熱】がある限り、人類の魂が消え去ることは、決してないのだから。
(『特務考察機関サイファー ~1700年前の桜は白一色だった編~』 完)




