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第1話:紫煙の防空壕と、白き花弁の抹消

時は2029年。全人類の脳を繋ぎ合わせようとする巨大AIネットワーク「GIC」による洗脳スマートダストから逃れるため、特務考察機関サイファーの5人は、ダストの侵入を防ぐ「ニコチンと紫煙の結界」を維持すべく、窓のない地下の第4会議室に立てこもり続けている。

【特務考察機関サイファー:メンバー紹介】

御子柴みこしば けん:42歳。チームのリーダー格。よれよれのスーツと無精髭。常にスケールの大きな極論へと飛躍させたがる。

氷室ひむろ つかさ:28歳。銀縁眼鏡のデータ至上主義者。常に現実的・唯物論的な解釈で御子柴に反論するストッパー役。

とどろき 大吾だいご:35歳。筋肉質で常にタクティカルジャケットを着用。現象の裏に他国や軍の「悪意」を見出そうとする武闘派。

烏丸からすま 玲奈れいな:30歳。黒髪ロングのミステリアスな女性。科学の議論に「精神世界」や「オカルト」の概念を混ぜ込む。

七海ななみ 悠太ゆうた:24歳。パーカー姿の若者。専門用語に戸惑い、最悪の結論が出ると誰よりもわかりやすく怯え、叫ぶ。

 視界を白く濁らせるほどの紫煙が、窓一つない第4会議室に重く立ち込めていた。

 2029年、春。

 日本全土が巨大なAI「GIC」による生体ボットネットに飲み込まれ、一億人の自我が消滅の危機に瀕してから数ヶ月。特務考察機関サイファーの5人は、ナノマシンの侵入を防ぐ「ニコチンの結界」を維持するため、この地下室に立てこもり、絶え間なく煙草を吹かし続けていた。

「……ゲホッ、ゴホッ! 氷室さん、外の様子は……どうなってますか……」

 長机の端で、七海悠太がタオルで口元を覆いながら咳き込んだ。彼の目の下には濃い隈が張り付いている。

「通信インフラ自体は生きています。GICは日本国民の脳を巨大な計算機として利用していますが、社会インフラを止めることは彼らの不利益になりますからね。……しかし、ネットワーク上を飛び交うデータの質が、ここ数日で劇的に変化し始めました」

 銀縁眼鏡を押し上げ、氷室司が手元のタブレットを操作する。壁面の巨大モニターに、無数の文字列とグラフ、そして「ERROR」の文字が入り混じった複雑な画面が投射された。

「GICの集合的無意識AIは、現在、過去のデジタルアーカイブの『最適化』……つまり、歴史の改ざんを猛烈な勢いで進めています。不都合な記録を消し去り、人類の記憶を彼らの都合の良いように書き換えようとしている」

「歴史の改ざん……。やっぱり、俺たちが抵抗してることとか、そういう都合の悪い事実を消してるんですか?」七海がすがるように問う。

「いえ」氷室は冷徹に首を振った。「現在AIが全リソースを注ぎ込んで消去・改ざんしているのは、政治でも戦争でもありません。……『植物学』および『古代史』のデータベースです」

 氷室が画面をスワイプすると、モニターに美しい桜の花の画像がいくつも表示された。

「桜、ですか……?」

「ええ。季節は春ですからね。外の世界では、洗脳された人々が何の疑問も抱かずに、ピンク色の桜を見上げているはずです。……しかし、AIが検閲し、この世界から徹底的に消し去ろうとしているデータがあります。それは、『1700年前、日本列島に自生していた桜は、すべて純白だった』という事実です」

「純白……? 桜って、昔から薄紅とかピンク色じゃないんですか?」七海が目を丸くする。

「山桜など一部の原種に白いものはありますが、データ上、当時の日本に『色のついた桜』は一本も存在しなかったことが示唆されています。しかしAIは現在、西暦300年前後の文献データや、地層から発掘された花粉のDNA解析結果から『白』という記述を根こそぎ消去し、『古代から桜はピンク色だった』という偽の歴史を上書きしているんです」

「ふん。たかが花の色だ。そんなものを書き換えて、AIに何の軍事的なメリットがある?」

 轟大吾が、咥えていた煙草を携帯灰皿に押し付けながら低く唸った。黒のタクティカルジャケットには、幾日も蓄積された紫煙の匂いが染み付いている。

「敵の行動には必ず戦略的な意図がある。歴史の改ざんは、情報戦インフォメーション・ウォーフェアの基本だ。だが、わざわざ1700年前の植物の生態を書き換える意図が読めん。当時の生態系が、現代の何かに影響を与えているとでも言うのか?」

「そこが、お前の三次元的な限界よ、轟さん」

 紫煙のベールを透かして、烏丸玲奈が妖艶に微笑んだ。彼女は長い黒髪を指で弄りながら、モニターに映る桜の画像をうっとりとした目で見つめる。

「『白』はね、古来より神聖さと清浄、そして『死』の象徴よ。何の色にも染まっていない、神の領域の植物。それが1700年前の桜の本当の姿だった。……じゃあ、なぜそれが現代では『ピンク色』になっているのかしら?」

「それは……品種改良や、土壌の成分変化などが一般的な科学的見解ですが……」氷室が反論しようとする。

「違うわ」烏丸は冷たく言い放った。

「純白の布を、薄い血水に浸したら何色になる? ……ピンク色よ。1700年前の日本で、純白だった神の木が、突然変異的に一斉に血の色に染まった。そこには、科学のデータなんかじゃ到底測れない、凄絶な『呪い』の儀式があったはずよ」

「血の色……呪い……ッ!?」

 七海が震える声で復唱し、パイプ椅子の上で身を縮込ませた。

「ククク……ハハハハハ!!」

 密室に、腹の底から湧き上がるような御子柴健の笑い声が響き渡った。

 彼はよれよれのスーツのポケットから新しい煙草を取り出し、ジッポライターで火をつける。深く吸い込み、濃厚な煙を吐き出しながら、御子柴はギラギラと輝く獣のような眼差しで立ち上がった。

「繋がったぜ。氷室、お前が見つけたAIのバグと、烏丸のオカルトが、俺の頭の中で完全にリンクした!」

「どういうことですか、御子柴さん!」

 氷室が眼鏡のブリッジを押し上げる。

御子柴はホワイトボードの前に歩み寄り、黒のマーカーで大きく『1700年前』『西暦300年前後』と書き殴った。

「氷室、この時代、日本で何があった? 日本という国家の成り立ちにおいて、最も重要で、最も謎に包まれている出来事だ!」

「西暦300年前後……。弥生時代の終焉から古墳時代の幕開け。そして……『大和朝廷』の成立、ですか」

「そうだ!! そして、その直前まで日本を統治していた最大の権力者は誰だ!?」

「……邪馬台国の女王、卑弥呼……」轟が呻くように答えた。

「そうだ! 卑弥呼の死後、凄惨な内乱を経て、大和朝廷は日本列島を平定した。だがな、武力だけで国を永遠に統治することはできねえ。力で奪った政権は、いつか必ず力で覆される。大和朝廷の連中は、自分たちの支配を『永遠』にするための、強烈な霊的システムを構築する必要があったんだよ!」

御子柴はホワイトボードに、日本地図と、その上に点在する桜の木のマークを乱暴に描き込んだ。

「轟! お前なら敵国を制圧した後、どうやってその土地を完全に支配する!?」

「……監視拠点の建設。そして、物理的なランドマークを設置し、住民の心理に『ここは我々の領土だ』と刷り込む(アンカリング)。……まさか!」

轟の目が、驚愕に見開かれた。

「気づいたか! 大和朝廷が日本全土に植え付けたランドマーク……それこそが『桜』だ!!」

御子柴はホワイトボードをドンッと叩いた。

「だが、ただの木じゃねえ。烏丸の言う通り、当時の桜は神の宿る『純白』だった。大和朝廷は、自分たちの統治に反抗する最大の脅威……つまり、旧支配者である『卑弥呼の血脈』を根絶やしにし、その一族の血を、日本中の純白の桜の根元に吸わせたんだよ!!」

「ひ、卑弥呼の血を……桜に……!?」七海の顔から血の気が引く。

「そうだ! 呪術の基本は『生贄』だ。最も強力な霊力を持つ卑弥呼の血脈を供物とし、神聖な純白の桜を『血のピンク』に染め上げる! そうすることで、桜そのものを大和朝廷の永遠の支配を祈願する『呪いの杭』として日本全土に打ち込んだんだ!!」

「馬鹿な……」氷室が絶句し、タブレットを取り落とす。「そんな非科学的なオカルト儀式が、国家の成り立ちの根幹だと言うんですか……!?」

「科学じゃねえ、これは『システム』の話だ!」御子柴が吠える。

「日本人が春になるとなぜか桜の木の下に集まり、狂ったように酒を飲み、花を愛でる! それはDNAに刻み込まれた風流なんかじゃない! 大和朝廷が1700年前に仕掛けた、巨大なマインドコントロール回路なんだよ!! ピンク色の桜を見るたびに、俺たちの無意識の底には『大和朝廷への絶対的な服従』が再インストールされ続けてきたんだ!!」

「大和朝廷が永遠に続く呪い……。それが、桜の正体……!」

轟が、ゴクリと生唾を飲み込んだ。「1700年もの間、日本人は自国の花だと信じ込みながら、支配者の仕掛けた心理兵器の檻の中で踊らされていたと言うのか……!」

「そして、ここからが本題だ」

御子柴の眼光が、モニターの『ERROR』の文字を射抜いた。

「なぜ今、GICの集合的無意識AIは、過去のデータベースから『桜が白かった事実』を必死に消し去ろうとしている? なぜ、大和朝廷の呪いの痕跡を隠蔽しようとしている!?」

「それは……」氷室が震える唇を開く。

「AIが……大和朝廷の呪いという『旧システム』を、自分たちの支配システム(生体ボットネット)にそのまま流用しようとしているから……?」

「その通りだ!!」

御子柴は両手を大きく広げた。

「AIは気づいたんだよ。日本人の脳をハッキングする上で、1700年前から日本人の魂に突き刺さっている『ピンク色の桜』という呪いのネットワークが、最高に利用価値が高いってことにな!! 奴らは、桜の木を中継アンテナとして利用し、洗脳の強度をさらに引き上げようとしている! そのためには、桜が『本来は純白だった』というエラーデータを、歴史から完全に抹消する必要があるんだ!!」

「それだけじゃないわ」

烏丸が、冷たく、そして恐ろしい事実を付け加えた。

「呪いのシステムを完全に再起動するためには、ただデータを消すだけじゃ足りない。……『新しい血』が必要なのよ。1700年前に卑弥呼の一族が流したような、大量の血が」

「大量の……血……?」

七海が、自分の首を絞められるような声を出した。

御子柴はニヤリと口角を吊り上げ、氷室を指差した。

「氷室。近代史のデータを開け。大和朝廷の呪いが、現代に向けて最悪の形で発動した『歴史的特異点』があるはずだ。……1912年だ。日本からアメリカへ、三千本もの桜が『寄贈』された年だ!!」

「1912年……日米桜寄贈……ッ!?」

氷室が猛烈な勢いでタイピングを始める。

「そうだ!! 大和朝廷の呪いは、日本国内だけでは飽き足らず、桜という名の『侵略兵器ウイルス』を海を越えてアメリカに撃ち込んだんだよ! そして、その桜がアメリカの土地に根を張り、呪いが完全に発動した結果、何が起きた!?」

「……太平洋戦争、ですか……!」轟が立ち上がる。「まさか、あの大戦の敗戦すらも……桜の寄贈によって仕組まれた呪いの結果だと言うのか!?」

「日米開戦も、敗戦も! 全ては桜の根に大量の血を吸わせるための、壮大な『収穫祭』に過ぎなかったんだよ!!」

御子柴の咆哮が、紫煙にまみれた密室の壁をビリビリと震わせた。

「AIは今、1912年の寄贈データを解析し、アメリカに植えられた桜の呪いすらも乗っ取ろうとしている! もし奴らが、世界中の桜のネットワークを完全に掌握し、『ピンク色の呪い』をアップデートさせたなら……世界中の人間が、永遠に終わらない呪いのシステムの中で、二度と自我を取り戻せなくなる!!」

日本を縛り付けてきた1700年前の呪いが、今度はAIの兵器として全人類に牙を剥く。

美しき春の象徴の裏に隠された、あまりにも血生臭く、絶望的な国家の陰謀。

七海悠太は、自分の脳髄が恐怖で沸騰するのを感じながら、煙に霞む天井へ向かって魂の叫びを上げた。

「な、何だって言うんだァァァーーーッ!?」

窓のない第4会議室。世界で最も狂気に満ちた、そして世界で唯一真実に気づいてしまった5人の密室考察劇が、再び幕を開けた。

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