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名と役割のはざまで~覇道総裁中華財閥ロマンス~  作者: Furi0804
第四章 名の呪い

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第4章(7)シスターフッド

平日の昼間。


ギャラリーで、学生時代の友人が支援している海外ボランティア活動の写真展が開かれていた。


異国の子どもたちの笑顔。

乾いた大地。

鮮やかな布。

いのち。


会場には、上流の奥様たちが多い。

静かな笑い声。

柔らかな香水。


——こういうことに打ち込むのも、悪くないのかもしれない。


家でも、血でもなく、

名前とも関係のない場所で、

誰かの役に立つ。


絵はがきをひとつ買い求めようと選んでいると、声をかけられた。


振り向くと、昊明の妻、水蘭だった。


「子どもたちは?」

「今日は学校と幼稚園。たまには一人で外に出ないとね。息が詰まる」


あっさりした口調。


「お茶、付き合って」


断れない言い方だった。


ホテルのラウンジ。


天井が高く、静かすぎる空間。


水蘭はメニューを閉じながら言う。


「ああいうチャリティー、嫌いじゃないわ。

子どもたちの笑顔って、無条件で正しい感じがするでしょう?」


少し笑う。


「家の話、いらないし」


その一言で、空気が変わる。


水蘭は紅茶をひと口飲み、


「あのね」


と続けた。


「うち、3人いるでしょ?」

「ええ」

「その前に、一人いるの」


さらっと言う。


だが、視線はカップの縁に落ちている。


「4カ月目だった。

つわりも終わりかけて、そろそろ公表しようかって、昊明とも話してた」


「……」


「安定期って言うけど、あれ、全然よね」


乾いた笑い。


「ダメになったとき、昊明のほうが落ち込んでた。

あの人、意外と打たれ弱いのよ」


軽く肩をすくめる。


「あの子がいなくなった時、私はね、もういいって思った。

あの子だけで十分だったって」


一拍。


「でもさ」


目を上げる。


「家の話になると、そうも言ってられないでしょ?」


そこに湿り気はない。

事実だけがある。


少し沈黙。


「個人の感情なんて、いつも後回し」


責めない。

怒鳴らない。


ただの、事実。


「あなたも、いろいろ言われてるでしょ?」


探るでもなく、決めつけるでもない。


ただ、知っている人の声。


「3人産んだって言うと、

順風満帆に見えるでしょう?」


紅茶のカップに視線を落とす。


「でも、外からは、見えないもののほうが多いわよ」


ラウンジの窓の外は、澄んだ光。


「それぞれの地獄ってやつね」


水蘭は笑う。


その笑いは強く、胸の奥が少し緩むのを感じる。


自分だけではない。


ここにも、

笑いながら耐えた人がいる。


戦友のようでもあり、

姉のようでもある。


声高な連帯ではない。


ただ、


——分かるわよ。


その確認だけ。


二人はしばらく黙って座っていた。


慰めではない。

理解だった。


---


ラウンジを出たあとも、水蘭の言葉が残っていた。


——安定期って言うけど、あれ、全然よね。


エレベーターの鏡に映る自分の顔は、いつもと変わらない。

だが、胸の奥だけがざらついている。


4カ月。


その数字が、重い。


命が形を持ち始める頃。

外からはまだ見えないが、

確かに存在している時期。


失われたとき、

何もなかったことのように扱われる。


家系図に載らない。

人々の記憶にも残らない。


それでも、確かにいた。


“見えない子”。


水蘭は笑っていた。


強く、軽く。


だが、その奥にあったものを、

彼女は見てしまった。


——あの子だけで十分だった。


その言葉が、胸に残る。


十分。


その基準は、誰が決めるのだろう。


子どもが一人いれば十分なのか。

三人いれば合格なのか。

いなければ欠落なのか。


名家の女としての評価は、

いつも外側から下される。


産めば称賛。

産めなければ沈黙。


そこに、個人の悲しみや恐怖は含まれない。


ふと思う。


もし、自分が妊娠したとして。


それは祝福なのか。

それとも、役割の達成なのか。


もし、失ったら。


誰がその痛みを共有してくれるのか。


昊天は、どうだろう。


彼は、崩れないことを求められた人。


あの人の隣に立つと決めた。

でも、そんな人の隣で、

自分は何になればいいのか。


母か。

器か。

跡継ぎを生む機能か。


それとも——


ただの、妻か。


秋の光が、街路樹を透かしている。

葉はまだ落ちきらない。


だが、空気は変わり始めている。


変化は、静かに進む。


水蘭は言った。


——個人の感情なんて、後回し。


本当に、そうだろうか。


後回しにしたまま、

消えていくものもあるのではないか。


歩きながら、自分の腹部にそっと触れる。


まだ、何もいない。


だが、そこには

期待と恐れの両方がある。


彼女は初めてはっきり思う。


自分は「家」のために産むのか。

彼のために産むのか。

それとも、自分のために産むのか。


答えは、まだ出ない。


だが、水蘭と向かい合った時間は、

確実に何かを動かしていた。


——そのとき、私は、私のままでいられるのだろうか。


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