第4章(6)器
秋の空は高い。
夏のような力はない。ただ、澄み切っている。
四十年前、龍騰が初めて手がけた大規模インフラの初期開通区間。
高速道路と橋梁が、川をまたぐ。
当時は誇りだった構造物は、いま、静かに老いている。
足元のアスファルトに細いひびが走る。
その下に、空洞。
検査ハンマーの打音が鈍く返る。コン、コン——軽く響く箇所。内部が浮いている。
落下音がひとつ過ぎ、地中を撫でるカートが静かに路面を曳かれていく。
橋脚の基部には、わずかなひずみ。
計測値は許容範囲内。だが、歪みは歪みだ。
現場ではセンサーの取り付け作業が進んでいる。
貼り付けられたセンサーのLEDが、赤い点をひとつ灯す。
新設されるITS制御室の基礎も立ち上がり始めていた。
管路に通された光の線。制御卓の架台が据え付けを待っている。
粉塵が光の中を漂う。
ネクサスの都市OSを実装し、この区間をアップグレードする計画。
数字も、法も、整っている。
——だが。
昊天は橋の中央で立ち止まる。
そこだ。四十年前、父が立っていた位置。
写真で見た。竣工式。スーツ姿の父が、空を背にしている。
その隣で、幼い自分が抱き上げられていた。
あの日の光は、夏だった。
強い光。すべてを肯定する光。
「昊天」
父の声。
——崩れるな。
——見下ろすな。
——空のように在れ。
名を与えられたとき、意味も知らなかった。
だが、その音だけは、骨の奥に残っている。
昊天は橋脚に触れる。冷たい。
鋼材のわずかな振動が、掌に伝わる。
道路は崩れる。
放置すれば、空洞は広がり、ひびは連結し、やがて落ちる。
家も同じか。
跡継ぎ。養子。血の継承。
崩れかけているのは、構造か、関係か。
粉塵が舞う。秋の空は高い。
夏のような力はない。万物が収束へ向かう季節。
旻天——澄み切った天。だが、衰退の始まりでもある空。
昊天は空を見上げる。
父は、この空の下で、自分に名を与えた。
天。父。家。社会。
そのすべてを受け止める器。
器は、個人ではない。割れなければいい。中身がどうであれ。
——その理屈の温度で、名は自分の上に置かれていたのだと気づく。
祝福に見える形で、長いあいだ、命令だったのだ。
「昊天」という名は、空であれと命じる。崩れるなと命じる。
だが、空は孤独だ。誰にも寄りかからない。
昊天は視線を下ろす。
ひび割れ。空洞。ひずみ。
構造は正直だ。負荷がかかれば、形に出る。
人間だけが、無傷の顔をする。
風が吹く。粉塵が流れる。
センサーが取り付けられていく。都市はアップグレードされる。
だが、名はアップグレードできない。
昊天はゆっくりと歩き出す。
測定値を確認し、次の工程を指示する。声は冷静だ。いつも通り。空のように。
だが、胸の奥で、初めて言葉になる。
——俺は、器なのか。
秋の空は、何も答えない。ただ、高い。
橋の下で水が光り、取り付け終えたセンサーの赤い点が、ひとつだけ呼吸している。




