第4章(2)長老会(Elders’ Circle)
李家の屋敷は、上海の喧騒を拒絶するように高い塀に囲まれている。
車を降りると、そこにはネクサスが制御するデジタルな秩序など微塵もない、
血と、しがらみと、停滞した時間の匂いが満ちていた。
広間に集まっていたのは、李家の血脈を司る老人たち——通称、「長老会」だ。
祖父の代の勢いを知る親族や、姻戚の長老たち。彼らに表向きの権限はない。
だが、ここでの合議は、家の掟を重く縛る。
「昊天、遅かったな」
正面に座る従叔父が、目を細めて笑う。
その目は慈愛に満ちているようでいて、品定めをする商人のように鋭い。
「仕事が立て込んでおりまして」
親戚に囲まれ、小さく座っていた妻の隣に滑り込む。
「先日のことは聞いているよ」
「一族の資産を私し、どこの馬の骨とも知らぬ外国人に渡そうとするなど言語道断だ」
「『ガバナンスの魔術師』。さすがは承天の息子だ」
褒め言葉は、常に「父」という枕詞とともに差し出される。
昊天が何を成そうと、それは李家の資産を一時的に管理しているに過ぎない。
彼らが求めているのは、昊天の才覚と「家の存続」だった。
「……ところで、昊天。お前も、もう四十だろう」
その一言で、広間の空気がわずかに震えた。
先ほどまで「若様」扱いされていた身が、今度は「不惑の年齢」を突きつけられる。
昊天は無表情のまま、茶碗の縁を見つめた。
「このままでは、次の春節にも李家の次代を披露できそうにない」
昊天は眉を上げた。
隣の妻は、わずかにうつむいている。
「昊明のところは、3人も子がいるというのに」
末席にいた昊明が、迷惑だといわんばかりに眉をひそめる。
「昊明、一番下はもう4歳か。たいそう利発な子だと、おまえの母がしきりに自慢していた」
「李家の直系にまだ報せがないのは、先祖に対して申し訳が立たぬ」
一人が口火を切ると、あちこちから「そうだ、そうだ」と囁きが漏れる。
「幸い、昊明の子は女系とはいえ、李家と血は繋がっている。
次男を養子に迎えれば、お前の肩の荷も軽くなるのではないか」
「提案」という形をした、逃げ場のない包囲。
誰も「養子にしろ」とは断定しない。
ただ、「それが皆の安心に繋がる」「家のための最善だ」と、善意の薄膜で昊天を窒息させようとする。
昊天の脳裏に、ネクサスの管制画面が浮かぶ。
優先順位。
可用性。
ロジック。
しかし、目の前の老人たちが語るのは、数字では測れない「情念」と「先例」だった。
彼らにとって昊天は、李家という永劫に続くシステムを繋ぐための、
一時的な「継ぎ手」に過ぎないのだ。
(……俺は)
自分の人生、自分の意志、そして隣で静かに控えている妻の存在。
それらすべてを「不在」のものとして扱い、次の代への接続だけを語る長老たち。
「……検討させていただきます」
絞り出すような昊天の言葉に、老人たちは満足げに頷き、茶を啜った。
その啜る音が、まるで昊天の時間を少しずつ削り取っていく音のように聞こえた。




