第3章(4)買えないものの価値
###知夏視点
編集部のパントリーは、いつもたばこ臭い。
「——で?
君は“スマートシティー構想が街を変える”って書きたいわけ?」
灰皿を指ではじきながら、デスクが言った。
口調は穏やかだが、目の奥が笑っている。
「はい。
龍騰のネクサス事業って、株価とか支配権の話だけじゃなくて——」
「ストップ」
隣で原稿を読んでいた先輩記者が、笑いながら手を挙げる。
「知夏ちゃん、それ“物語”だよ。
市場は物語じゃ動かない」
別の方向から声が飛ぶ。
「問題は殻か殻じゃないか。
RPTは適切かどうか。
それ以外、誰が読む?」
知夏は、言葉を探す。
「でも……
もし都市の運用そのものが変わるなら、
それって生活の話じゃないですか」
一瞬、沈黙。
そして、誰かが小さく笑った。
「かわいいね」
悪意はない。
だから余計に、刺さる。
「生活はね、
CFに分解できてからうちの記事になるんだよ」
デスクが煙を吐く。
「彼――龍騰の李総裁がやってるのは、
“買えないものを、買えない場所に置いた”って話だ。
だから敵対的買収は死んだ。
それだけ」
知夏は、ノートを握りしめる。
(それ“だけ”なの?)
「……でも」
声が、少し震えた。
「それって、
古いルールで殴れない場所に、
未来を置いたってことじゃないですか」
今度は、はっきり笑いが起きた。
「ほら出た、“未来”」
「若いなあ」
「その未来が、
利益配分で揉めた瞬間に全部ひっくり返るんだよ」
「ガバナンスの魔術師?SNSじゃそんな風に持ち上げられているが、
RPTの構造次第では、金融当局が出てきて一気に盤面がひっくり返るかもしれないんだぜ」
知夏は、何も言い返せなかった。
理屈では、わかる。
彼らの言っていることは、正しい。
でも。
会見で見た昊天の目は、
そんな次元の話をしていなかったように感じた。
(……この人たちは、“今”しか見てない)
パントリーを出ると、
廊下の窓から、上海の街が見えた。
渋滞。
高架。
再開発中の空き地。
数字になる前の現実。
(もし、あの人が見ているのが、
この街の“次の姿”だとしたら)
それを、
株価とキャッシュフローだけで切り捨てるのは——
「……もったいない」
知夏は、小さくつぶやいた。
誰にも聞かれなくていい。
でも、誰かには、伝えたい。
知ったふりをする人たちが集まる場所に、
あえて、素朴な言葉を投げかけてみたい。
彼女は、パソコンに向き直った。
見出しは、まだない。
まずは、
わかろうとするところからだ。




