サンヂュウロク、もしくは、ワタクシの決断を乗せたディーゼル機関車とこの先にいる穢れた聖者の街
もう三十分もこのディーゼル機関車に乗っていれば私たちはカウレスの街へとたどり着けた。
私は一晩を考え抜いた、“ラヴ・フラッシュ・フィーバー”を生成するための光教の聖水の横流しという危険な橋を渡るべきか否かを考え抜いた、確かにスティーブンスの言う通りだった、他に私が伝承者として立て直す方法があるだろうか、スティーブンスだけなら心配は無いのだろう、彼の才覚は本物だ、今試作中の“セイレン”なる混頓だって素晴らしいものの筈である、更にスティーブンスのカリスマとその手腕があればカウレスの街の混頓の流行を塗り替えることも夢ではないのかもしれない、そういった点でも彼は凡才な私にチャンスをくれたと考えることだってできるのだ。
また、“ラヴ・フラッシュ・フィーバー”は根本的に生成の難易度が高い混頓だが、そのレシピやちょっとしたコツを明確に掴んでいれば生成に問題は無い、私にとってそれは既にサヴァロにいた頃にキーンから伝授されたものである、つまり光教の聖水さえあれば今の私なら容易く生成する事ができるのだ、だからこそ余計にこうして悩んでしまう私がいた、イベロのスラムにおける私の伝承者としてのビジネスは常に潔癖であった、それを容易く汚すことに強い抵抗があったのだ、しかし、逃亡者にまでなった今、私の伝承者としてのビジネスは汚れてしまったようにも思えた。
シンプルにも考えた、堕ちるところまで堕ちたのなら後は這い上がるだけであると、何より今の私には次の目標が必要なのだ、ディーゼル機関車は決断した私を乗せてカウレスの街へとたどり着いた、私はスティーブンスと共にカウレスの混頓の流行を変えてみせると心に誓った。
ダイン・ロバートソンはカウレスの街のイルダメイダ地区のカメリナ通りにある教会の地元でもちょっとは名の知れた光教の僧侶だった、それは彼自身が本当に純朴な人柄の持ち主だったからに他にならない、たった一人で教会を運営し、彼は朝早くから教会の掃除をして信者たちが訪れるのを待っていたし、近所の人々の悩みや相談にも親身になった、白髪交じりの短い頭髪と長い髭から彼を年齢より幾分かは上に見ていたが年齢だけならまだ三十代後半を過ぎたばかりだった。
一見すると混頓とは無縁のような人生とその日々を過ごしているような人間だった、しかし、彼がまだ三十代になったばかりの頃にカウレスの街を通りかかった若き日のスティーブンスと“出会ってしまう”、スティーブンスは教会の前で近所の子供や老人たちを相手に説法を説くダインの姿を見かけて、その時に邪悪に考えた、最も中毒者らしからぬ人間を中毒者にするにはどうすれば良いのかと、答えは単純だった、孤独な人間が混頓中毒者となってしまうのだから、この説法を説いている男、つまりはダインの中に孤独を産み落としてやればいいと考えたのだ。
スティーブンスはダインに近づきその説法を興味深いかのように聞くふりをした、ダインの説法が終わり周りの老人らが世間話の延長線上にあるような相談話をし出した、そこでスティーブンスはダインに懺悔や相談事があると言って教会の中へと誘い込んだ、そこでスティーブンスはダインに自分が過去に天法典録団の施設で受けていた性的虐待の全てを話した、ダインにしてみれば一目で不良青年と分かるような風貌のスティーブンスの意外な告白に衝撃が隠せなかったのだろう、動揺を隠せず手で口を押さえながら涙までした、確かに過去にあったことはスティーブンスにとって心の傷にはなったが、人を操り、利用する上で無防備なまでに心の傷を晒すことで他者の心に入り込む術をスティーブンスは十代の頃から身につけていた、彼にとってダインのような性善説を信奉しているようなタイプの人間の心に入り込むことは容易い事だった。
「なぁ、僧侶様、いや、ダイン、君の悩みや懺悔は誰が聞いてくれるんだ?」
「そ、それは光教神様が…」
「ダイン、よく聞くんだ、光教神なんて存在しないんだ、人を救うのは人さ、だから俺が君を救ってやるよ…」
スティーブンスはダインに発神会の混頓である“テレフォン・ノイローゼ”を施した、それはダインにとってはあまりにも官能的で背徳的な、それまでの人生経験全てが一瞬で色褪せてしまうような体験だったに違いない、誰しもが内に抱える小さな闇や孤独を解放するのに必要なのはちょっとした言葉とスプーン一匙の混頓があればいい。
それからの半年をスティーブンスはダインの教会で過ごすことにした、表向きは異教徒の悩める青年と僧侶、しかし、その本性は伝承者と混頓中毒者としてだ。




