第93話「目覚めた場所は、いつもの現場だった」
「……ん、あれ……?」
神原匠が目を覚ましたのは、仮眠室のソファだった。
聞き覚えのある機械音と、ほんの少しコーヒーとコピー紙の混ざった空気の匂い。
——現場事務所の匂いだ。
目の前にはホワイトボード。手書きの工程表が並び、カレンダーには「今月中間検査!」と赤文字ででかでかと書かれている。
夢、だったのか?
手の中には何もない。だが、その感触はしっかりと手のひらに残っていた。
エルの声も、グラッツたちの顔も、あの現場の空気も。
「……戻ってきたのか。ほんとに」
その瞬間、ドアが開いて、あの声が響く。
「神原〜! 寝てないで昼礼の段取りやっとけって言っただろ!」
丸山課長の、相変わらずの軽やかな声だった。
「すみません、今行きます!」
神原は慌てて立ち上がった。自分でも驚くほど、身体が軽い。
不思議と、全てがスムーズに見えた。
段取りも、優先順位も、工程の流れも……まるで、異世界の混沌を仕切ってきた経験が、自分を一段階引き上げたような感覚。
現場に出ると、鉄骨の隙間から光が差し込み、足場を風が通り抜ける。
「お疲れさまでーす!」
すれ違った若手の職人が、元気に声をかけてきた。
神原はヘルメットをかぶりながら、自然と笑みをこぼす。
「よし、今日も“整理・整頓・安全第一”だ」
ポケットの中に、スマホがあった。
電源をつけてみる。なにも変わらない、ただの画面だ。
……でも、ふと画面の隅に、小さな紫のウサギのスタンプがひょこっと跳ねたように見えた気がした。
(エル……見てるか?)
風が吹いた。
——また、ここでやり直せる。
現場監督として。仲間たちと一緒に。魔法のような段取り力で。
神原匠は、笑って現場の中に溶け込んでいった。




