第52話「“存在しない部屋”と、構造補強の魔法」
「神原、3階の北側。昨日の寸法と図面がズレてるらしいぞ」
朝、いつも通りの丸山課長の一言で始まった。
その手には、昨日の構造図と現場報告書が握られている。
「昨日、GL貼った場所ですか?」
「そう。それでな……部屋が一つ、多いって言うんだよ」
「……は?」
匠は手を止めた。そんなはずはない。建築確認済証の通り、3階には会議室、EVホール、書庫の3部屋しかない。
「誰が言ってたんです?」
「所長が今朝見に行ってな。階段上がった先に“通路が曲がってる”って。図面上はまっすぐなはずなのに」
匠と高槻はすぐに3階へ向かった。
天井裏を覗き、メジャーで壁芯から芯を測る。
「……確かに。45ミリほど曲がってますね」
「昨日、俺が試験的に“魔力伝導体”を入れた場所……ちょうどそこだ」
匠は内心で緊張を覚えながら、スマホをそっと取り出した。
「エル、聞こえるか。空間が少し歪んでる。あれの影響か?」
《可能性は高いです。魔力の流れが集中すると、“内部構造の再配置”が起こる場合があります》
「再配置って……構造の一部が勝手に“組み直された”ってことか?」
《正確には、魔力の流れが“より安定する構造”に近づこうとする現象です。結果的に、既存の壁が押し出された可能性も》
※建物の内部構造(間仕切り)は、軽量鉄骨下地などで組まれており、多少の“調整誤差”は実際に起こり得る。
だが今回のように“壁が勝手に移動したような状態”は、ありえない。
「……これ、構造に影響は?」
高槻の言葉に、匠はスマホ越しのエルを見る。
《幸い、構造躯体には触れていません。ただし、間仕切りのバランスが崩れ、振動や応力集中が起こる危険性があります》
「つまり、補強が必要ってことだな」
匠は周囲を見回した。すでに仕上げが進んでいるエリア。
壊さずに補強するには、狭い隙間に的確に力を与える必要がある。
「……エル。“構造補強”に使える魔法、あるか?」
《ございます。“圧力流動強化”。対象物の内側に均等な力を流し、構造的な一体化を図る魔法です》
「やってみる」
匠は、間仕切りの柱に手を当て、魔力を流し込んだ。
小さく波紋のような振動が伝わり、きしんでいたフレームがスッと安定する。
「……すげぇ。緊結し直したみたいだ」
「神原さん、さっきまで壁、指で押したら揺れてたのに……今、びくともしませんよ」
その日の午後。匠は記録写真を撮りながら、補強した範囲を慎重に確認していた。
「魔法で補強した構造材が、物理的にもちゃんと耐力持ってるなら……現場でも応用できるかもしれないな」
《ただし注意が必要です。施工記録に残せない作業は、あくまで“応急的な補助”に留めてください》
「もちろん。現場は記録がすべてだ」
匠は、微かに温もりを帯びた壁にそっと手を置いた。
その夜。
匠は施工図を見ながら、ふと気づく。
「……この部屋。図面上は“空白”だったのに、今では完全な個室になってる。照明も、スイッチも……最初からあったみたいに」
エルが、静かに囁く。
《異界との境界が、少しずつ変化してきています》
「……それでも、俺は現場を守る。使えるもんは全部使ってな」
匠の魔法は、また一歩、現場の“道具”として進化したのだった。




