第18話「“ふつう”でいて、少しだけ不思議な現場」
小田切ひかりがこの現場に来て、もうすぐ2ヶ月になる。
「現場事務」としては3現場目だが、こんなに落ち着いた空気の職場は初めてだった。
特に、神原匠という現場監督――
最初は「ちょっと怖そう」と思っていたけど、今では安心して“現場の兄ちゃん”と呼びたくなる存在だ。
現場の朝は早い。
まだ7時前だというのに、神原さんはもう事務所にいた。
「おはようございます、神原さん」
「おっ、小田切。おはよ。書類、昨日分は全部まとまってるから」
「助かります。あと、工程会議の議事録、まとめときました」
「おお、マジで? 早ぇな……ありがとな」
笑うとちょっと目がしわくちゃになるところ、実はけっこう好きだったりする。
現場事務の仕事は、現場の補佐全般だ。
職人さんの出面を管理したり、協力会社の請求書を取りまとめたり、工程会議の資料を準備したり。
パソコン作業だけじゃなく、たまにホワイトボードを拭いたり、お茶を出したり――そういう「誰かの小さな仕事」を拾っていくのが役目。
ひかりはそんな仕事が、ちょっとだけ誇らしかった。
昼前、外から風が吹き込んできた。
「……あれ?」
窓を閉めたはずなのに、まるで“誰かが通りすぎた”みたいな風だった。
現場を覗くと、3階の南面で資材の搬出をしているらしい。
神原さんと高槻くんが何か話していて、ふたりとも、少し笑っていた。
ああ、いい雰囲気。
現場って、怖い人ばっかりだと思ってたけど、ここはちょっと違う。
午後、書類整理の最中――ふとスマホの通知が鳴った。
「資材搬入 17時予定」と、神原さんからの共有ファイル。
なんでこの人、いつもギリギリで共有してくるんだろうと思いつつ、
それでも嫌な感じがしないのは、たぶん「現場がちゃんと回ってる」からなんだろう。
17時すぎ。事務所に戻ってきた神原さんが、少しだけ疲れた顔をしていた。
「おつかれさまです。今日も搬入、無事に終わりましたか?」
「ああ、なんとか。風が味方してくれたからな」
「……また風ですか?」
「はは、なんかこの現場、最近風が読めるんだよな。不思議と」
神原さんは笑って、缶コーヒーを片手に外を眺めた。
その背中はちょっとだけ頼もしくて、ちょっとだけ、さびしそうだった。
夜、誰もいなくなった事務所。
ひかりはノートパソコンを閉じ、そっと窓のカーテンを引いた。
その瞬間、カーテンがふわっと揺れる。
「……ねぇ、風さん。あなた、神原さんと仲良しなんですか?」
誰もいない室内。
でも、どこかで誰かが、優しく頷いたような気がした。




