第17話「夜の詰所で、ふたりの会話」
工事現場の夜は静かだ。
昼間あれだけ喧噪に包まれていた場所も、夜になればただの鉄とコンクリートの塊。
光を失った足場が、月明かりに無骨な影を落としていた。
匠は詰所の椅子に深く腰かけ、缶コーヒーを一口すする。
「……やっと、今週も終わりだな」
ポケットからスマホを取り出す。
誰もいない詰所。周囲に人の気配がないのを確認してから、静かに話しかけた。
「エル、起きてるか?」
《もちろんです。魔力の巡りが落ち着いたので、今はとても快適です》
相変わらず、スマホから響くのは上品でやや眠たげな声。
現実世界のスマホに宿る異世界の賢者。その存在に、匠はもうすっかり慣れていた。
「……そういや、ずっと気になってたんだけどよ。エルはさ、なんでこの世界に来ちまったんだ?」
しばらく沈黙が流れる。
その後、エルの声が、少しだけ低い調子で返ってきた。
《本来、私は異世界の大陸にて“賢者”として、魔王と戦っておりました。
けれど、最終決戦の末に魔力の大半を使い果たし、肉体を保てなくなり……魂だけの存在になったのです》
「魂だけに?」
《はい。そして消滅寸前、最後の魔力を使って自らを封じ込め、どこか“安定した場所”に転送しようとしました。
ですが――なぜか、世界を越えて“こちら側”へと流れてしまったのです》
「世界を……越えて?」
《本来の意図ではありませんでした。
けれど、この世界には“わずかに魔力が通じる隙間”があったのです。
それが、なぜなのかは……私にもまだ分かっておりません》
匠は缶コーヒーを置き、少し眉をひそめた。
「この世界に魔法なんか、あるはずないよな?」
《ないはずでした。ですが、神原様が“最初の発動”をしたあの日、私は確信しました。
この世界に“揺らぎ”が起きている――と》
「揺らぎ?」
《はい。こちらの世界に、本来あるはずのない“魔力の道筋”が、少しずつ形成されつつあるのです》
「それって……他にも、魔法が使えるやつが出るってことか?」
《まだ確証はありません。ただ、数日前から“私以外の魔力反応”をわずかに感じます》
匠は目を細めて、静かな現場を見渡した。
誰もいない、はずのこの場所で、何かが動き始めている――
そんな気配が、確かに空気に混じっていた。
「……だったら、俺が守るしかねぇな。この現場も、職人も、魔法も。
せっかく手に入った力だ。使い方、間違えたくねぇ」
《神原様……》
「ま、まずは目の前の現場片づけてからな。週明けの打設、またバタバタしそうだし」
ふっと笑った匠の横顔を、スマホの画面が淡く照らしていた。




