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「候、何をさなったのですか」
スルギは呆れと非難を含んだ視線をイグリスに投げかける。
手配書で見たよりもずっと華奢な青年が、苦悶の表情を受かべ浅い呼吸を繰り返している。その、まだ幼いと言える相貌にはびっしりと汗が浮かび、口元からは赤い筋が伝っていた。
「内臓を損傷しているのでは?早急に治療を!」
「捨て置け。内臓には達していないはずだ。まだ殺すつもりはない」
命に危険の及ばない範囲で、苦痛を与える方法をとったということだろう。
慣れた様子のイグリスに、スルギは盛大に顔を歪める。
「外見で人を判断しないことだ、スルギ。こいつは殿下弑逆を目論んだ大罪人だ。情を移すのは禁物だぞ」
スルギの様子を見咎め、イグリスは怒りを含んだ厳しい顔つきで釘を刺す。
だが、そんなイグリスにスルギは冷静に応じた。
「あくまでも容疑者です、イグリス様」
イグリスは苛烈な一瞥を向ける。
「私がこの目で見たのだ……っ傷つき倒れ伏す殿下のもとから走り去るこいつを、な」
憎悪に燃える目に、今は何を言っても無駄だと、スルギは嘆息を押し殺した。
イチカは牢に運び込まれた。
地面は土。すえた匂が漂い、ネズミがはいずりまわる。空中には汚物を求めて黒い羽虫が飛んでいる。
「う……」
どさっと乱暴に落され、意識のないまま呻きが漏れる。
イチカを引きずってきた男の一人が、彼女の顔を見下ろした。
ごくり、と唾を飲み込む。
眉間を寄せ、苦悶に喘ぐさまを舐めるように見る。
「……こいつ、結構可愛い顔してねぇーか?」
「よせよ、そんな貧相な男」
「いいじゃねぇか。どうせ俺らは当分女にありつけないんだしよ。閣下も言ってただろ。死なない程度に扱えって。要するに死ななきゃいいんだろ」
「は、違いねぇ」
「おい、手抑えとけよ。足は折れてるから大丈夫だろ」
「ああ。早く回してくれよ」
男の一人が彼女の頭上から両腕を抑え、もう一人は足の間に膝を割りいれた。
覆いかぶさるように近づいた男の手が、イチカの服の裾から侵入する。
腹を這う不快な感触に、悪夢の中でもがくようにイチカの顔が歪む。
「おいおい、そんなとこ触って楽しいか?早くやっちまおうぜ」
頭上の男が焦れたように相手を急かす。
「まあ、そう焦るなよ。時間はたっぷりあるんだ。こいつの肌、意外に柔らかくて女みたいだぜ」
下卑た笑いが響く。
だが男が彼女の下穿きに手を差し入れようとしたその瞬間、目にもとまらぬ速さで何かが横切った。
男は、それが何かを確認することはできなかった。
「ぎゃぁああああ!!」
なぜなら、男はすでに首を失い、事切れていたからだ。
同僚の男の胴体から血しぶきが上がる様を眼前にして、もう一人の男が絶叫する。
だがそれも、長くは続かなかった。
続く一振りで、その男もまた躯と化した。
「うわぁ――、容赦ないねぇ」
瞬時に出来上がった2つの死体を前に、どこか暢気な声が響く。
「下衆が……っ!」
心底嫌そうに剣を白い布で拭ったのはイグリスだった。
「ちょっとちょっと、味方の兵士をそんなあっさり切り捨てるのはまずいんじゃないのぉ?」
「品性の下劣な奴は我が軍に不要だ。もちろん警備隊にもな」
「拷問も強姦もあんまり変わらない気もするけどねー」
「貴様はその煩い口を閉ざしてほしいのか?」
「まっさかぁ。そんな権利があるのは僕の雇い主であるキース様だけだよー。ま、その前に逃げちゃうけどね」
ふざけた態度を崩さない白髪の男を、イグリスは忌々し気に睨んだ。
そのまま横たわる件の青年へと移った視線だったが、そこでふとした違和感を覚えた。
肌蹴られた服の裾から除く脇腹は、滑らかに白かった。
その腰は、男として細すぎるように感じた。
首をかしげるイグリスに、もう一人の男がどこかからかうように声を掛ける。
「気づいたー?その子、女の子だよ」
「な……に?」
「幻術っていうのかな。それが掛かってるだけ」
バチン、と指を鳴らす。
「ほらぁ、ね?」
得意げに指された先に、これまでとは僅かに雰囲気の変わった青年が横たわっていた。
いや、それは少女か女性か。男装をしているが、明らかに男とは異なる骨格、僅かに丸くなった肢体。なぜ気付かなかったのかと思えるほどに、華奢で頼りない存在だった。
イグリスは瞠目する。
そして自身の失態を悟った。
「くそっ、貴様なぜそれを先に言わなかった!?」
「え?性別ってそんなに重要?」
「当たり前だっ!!あのような重症、女の力で殿下に負わすことなどできるはずないだろう!」
「いや、だってさ、魔法使いかも知れないしぃ。女だからって犯人じゃないってかぎらないでしょー」
たとえ犯人だろうと女に手を上げた自分に、彼は苛立っていた。
「ま、あんたフェミニストだもんねぇ。でも罪人かもしれないんだからいいんじゃないのぉ?」
慰めなのか、魔術師はイグリスの行為を正当化する。
あの時目撃したのは確かにこの姿形だ。間違いではない。では、皇子を傷つけたのは別の誰かで、彼女は通りすがっただけだったのか。
イグリスはイチカに近寄り、その傍らに片膝をつく。
その頬に触れようとした時に、薄く開いた彼女の目を見て、イグリスは息を呑む。
美しい目だった。
無性に惹きこまれる何かを有していた。
闇に手を染めた者の目ではない。
状況的に確信はない。だが、本能が明らかに暗殺者が彼女ではないことを告げている。 憎しみに曇った己の目では見分けられなかった。
「う……」
彼女の顔が苦しげに歪む。
舌打ちをし、立ち上がる。
その様子に狼狽が滲んでいた。
「ブラン。お前は治癒が使えるか?」
「ざーんねん。知ってるでしょー。この世界で治癒魔法なんて使える魔術師は5本の指程度もいないってこと。僕にその能力はないよ」
馬鹿にしたもの言いはいつものことだが、さすがに青筋が浮かぶ。
「でも、苦痛を和らげることぐらいはできるかな」
「とっととやれ」
「あはは、短気だねー。りょうかーいいたしましたー」
ブランは楽しそうに魔法を練り始めた。
イグリスは落ち着かない様子で、再びイチカの傍に屈み込む。
乱暴に引き倒され、傷ついた頬や、剥き出しになった痛々しい白い腕。
そして自分が折った、歪な方向に曲がった両足が嫌でも目に入り、イグリスは苦く眉を寄せる。
ああ、そういえば主キースは、『女神』と、うわ言のように繰り返してはいなかったか。
その事実を思い出し、愕然とする。
まさか目の前のこの頼りなげな少女がそうだというのだろうか。
「どーしたのぉ?イグリス、真っ青だよ?」
「いや、何でもない」
イチカを客室に移すように命じ、ざわつく胸を抑えた。




