6
「イグリスは?」
キースハルトが目覚めたとき、発した最初の言葉は彼の従者の名だった。
常に傍に控えている彼の姿が見えないのも不審であったし、何より自分が意識を失う前に見た少年のことが気にかかる。
もしあの場面で追いついたイグリスが少年の姿を目にしていれば、あの状況で少年が濡れ衣を着せられているのではないかという危惧が、真っ先に思い浮かんだ。
目覚めた途端に明晰な頭脳で状況を分析する主を案ずるように、僅かばかり眉をしかめたのはまだ年若い従者だった。
「暗殺者が見つかったとの報を受け、自ら兵を率いて向かわれました」
「なんだとっ?」
起き上がり掛けたキースハルトは、激しい痛みに襲われる。
「殿下!まだ安静が必要です」
キースハルトの傷は命に別状がないくらいまでに回復していた。だが、王都まで運ぶのは無理と考えたのか、近隣の領主の館で厳重に治療されていた。
従者は皇子の身体をゆっくりと寝台に戻す。
「貴方は2日間意識なく眠りこまれていたのです。まだお身体の傷も癒えていません」
「だが、命に別条はない」
「ですが」
キースハルトは知っている。あの少年の後に現れた女神と思しき存在が、自分を癒したのを。
「気がかりなのはイグリスが暴走しないかということだ。報告は来ているのか?」
「はい、イグリス様はこまめに早馬を飛ばして、こちらに報告を上げるようになさっています」
「それで?」
「暗殺者として茶色の髪、緑の目の青年を捕えたと。今は牢に監禁し、事情聴取中ということです」
キースハルトは顔を顰める。
「事情聴取も何も……その青年?少年は犯人ではない。私が傷を負わされた後に現れた存在だ。即刻イグリスに伝えろ!暗殺者とその黒幕は別にいるとな」
「暗殺者の特徴をお聞きしてもよろしいですか」
「後方から襲われたかな。はっきりとは見えなかった。だが、大柄な影だけは瞳の端に捉えた。こちらもやられたがかなりの深手を負わせたと思う。尻尾はおそらく掴めないだろうが、やはり兄上の一派によるものだとは思う」
やはり、という顔で従者は頷く。
「その少年が犯人と関わりがないと言い切れる根拠は?」
「その少年が現れ、私に治療を施した、と思う。私は致命傷を受け、死を覚悟していた。それがこの程度で済んでいるのだ」
従者は瞠目する。
「そんな……」
必死に看病し、一命を取り留めていたと思っていた存在が、その少年がいなければすでに失われていたかもしれなかったという事実に驚愕する。
「では、少年は世にもまれな治癒の能力を有するのですね」
「もしくはその関係者がな」
治癒の能力を持っていたのは、自分が最後に目にした黒髪黒目の存在だと確信を持っていながら、キースはそのことについては告げなかった。黒髪黒目のその存在自体が、あり得ないほど重大なことで、朦朧とした意識のままそれを目にした自分が軽々しく口にできることではなかったからだ。
「わかっただろう、エレン。一刻も早くその少年を解放しろ。アートルエンを連れていけ。丁重に扱い、私に会わせてくれ」
女神と思しき女性がいた。その直前に自分の傍らに跪いた少年も、何らかの事実を知っていると思われる。
冷籠な声で指示を出そうとも、キースハルトの身体は未だ自由に動かない。それをもどかしく感じながら、彼は年若い従者を急がせる。
従者は、出された名前に驚きを禁じ得ないように瞠目し、跪く。
「アートルエン様を……。御意に」
皇子の治癒を続けていた者を向かわせる。皇子の真剣さと焦燥を見取り、エレンと呼ばれた従者は代わりの従者を室内に呼び寄せると同時に、慌ただしく出て行った。




