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「ハチーご飯できたよー」
イチカの暢気な声がハチを呼ぶ。
小さな小屋で、イチカは相変わらず世捨て人の生活を続けていた。
でもひとつ、変わったことがある。
今ではハチが同居人(鳥?)となった。
なぜハチが室内にいるのかというと、例の事件の時に何故か家に居ついてしまったからだ。
イチカとしてはよく生態のわからないハチが、気まぐれにではなく、いつも一緒にいてくれるようになったのは、なんだか心が暖かくなるくらい嬉しいことだ。
「ピィー!ピィー!」
「ハチ?」
普段はおとなしいハチが、落ち着きなく窓に体当たりを繰り返す。
出来上がったご飯に見向きもしないその忙しなさに胸騒ぎを覚え、イチカはハチに近づく。
でも、外は何の変哲もない。
相変わらず、よく晴れていて、薄く紫掛かった淡い青い空が広がっている。
「どうしたの?」
「ピピピ!ピィー!!」
嘴でイチカの服を引っ張り、外に連れ出そうとする。
「え、でもご飯できたし、食べよ?」
困惑するイチカの周りを、ハチは苛立ったように飛び回る。
その必死さに、イチカは一度出来上がったご飯を名残惜しそうに見やりながらも、外出の支度を始める。
靴を履き替え、マントをはおった。
途中で野草を摘むかもしれないと、布袋を手に持ち、水筒を手に取ったところで再びハチが忙しなく囀る。
「わかった、わかったからハチ」
念のため、男の姿に変える幻影の魔法を掛け、イチカは家を後にした。
師匠の手ほどきを受け、イチカは簡単な魔法が使える。
この世界に来てから、右も左もわからなかったイチカを助けたのは、レイと名乗る世捨て人だった。
人にはそれぞれ魔力があり、それを活かせる人もいれば、感知できないほど微量なゆえに存在に気づかないまま一生を終える人もいるのだと、師は教えてくれた。
師いわく、イチカには微量ながらも使える魔力があったらしい。
驚きだ。
イチカに本来備わっていたある魔法の使用は禁じられたものの、それ以外の簡単な魔法、イチカの魔力でもそれを最大限に活用して使える魔法を、師は教えてくれた。
その一つに幻術があった。
女であることは危険も多い。
人里離れたところで生活しているとはいえ、年に数回は町にも降りていく。
山中で人と出くわすかもしれない。
世界で一番怖いのは人間だと、師もイチカも思っていた。
せめて危険を軽減しようとして使うのが、自分の姿を男に見せるというこの魔術だった。
欠点は、一度使うとイチカの魔力の量では半日回復を待たなければ他の魔術が使えないことくらいだ。幻術は、驚いたことにそれなりに高等な魔術らしい。通常ならイチカのような魔力量では扱えない代物なのだそうだ。イチカにこれをマスターさせた師の才に感服する。
他にも火を起こす術や、植物育成の魔術など細々としたものをいろいろと教えてもらったが、イチカの普段の生活では活用することがない。
宝の持ち腐れともいう。
家を出た後、イチカはハチに先導され森の中へと進む。
早く、早くと急かすようにイチカを振り返りながら前を飛ぶハチを怪訝に思いながらも、イチカは歩を速めた。
思えばその時、警戒心など全くなかった自分を殴ってやりたい。
なりふり構わず駆け続け、隣国へでもどこでも安全な場所に逃げ込まなかった自分を呪ってやりたい。
のどかな昼下がりの森を歩き続けていた時、イチカは背後に自分と重なるようにして動く複数の音に気付いた。
思わず立ち止まる。
背後の音も止まる。
咎めるようにピッと鳴いたハチを見遣るまでもなく、イチカの背中をざざっと悪寒が駆けあがる。
ハチの羽がイチカの頬に触れた。
脳裏に掠めたのは、イチカの愛する家に土足で踏み込む男達。
誰かを探しているようで、その対象者には決して好意的ではない態度。
捕まれば危険だと、彼らの猛々しさが告げている。
「そんな――」
そのような光景をハチが伝えているという事実よりも、イチカは脳に直接伝えられた映像に驚愕する。
思わず声を漏らしかけたイチカを追い詰めるように、指揮官だろう男の大声が映像の中で響く。
「食事がまだ温かい!この付近にいるはずだ、追え!!」
こちらに、というようにハチがイチカの前を高速で飛び始める。
必死に追うイチカの後ろから、最早、隠す意図のない足音が追ってくる。
こちらの姿が見えているのならばもう、手遅れだった。
――神様――!
いつか前にも同じ言葉で祈った気がする。
いつもいつも都合のいい祈り。
神様なんて信じていないくせに。
そして一度だって助けてなんかくれないくせに。
もう思い出せないほど忘却の彼方に追いやった記憶の底で、不穏な火がくすぶる。
苦しくなる肺を片手で抑えながら、イチカはひたすらハチの後を走る。
ハチが低空飛行をするように道の下に消えたのを目にして、イチカは思い出した。
咄嗟に見知った川辺の土手のくぼみに、身を滑り込ませる。
すぐ後に男達の足音が頭上を通り過ぎていった。
ほうっと一息つく。
男達の気配が遠ざかる。
「ハチ、ありがと……」
なぜか身じろぎしないハチ。
ハチの頭を撫でようと伸ばしかけた指が止まる。
なぜ気付かなかったのだろう。
その凍てつくような冷気に。
刺すような、憎しみの眼差しに。
振り返ったイチカに、氷色の瞳の男は言った。
「誤魔化せたと思っていたのか」
いつの間にか包囲されていた。
くぼみから引きずり出され、大勢の兵士達に身体を抑え込まれ、うつ伏せにされる。
抵抗しようもない非力なイチカの上に、黒い影が差した。
「貴様が……」
容赦のない力で髪を引っ張られ、無理やり顔を上げさせられる。
「な……に……?」
朦朧とする意識の中でイチカは、自分を射抜く憎しみの目を捕えた。
乱暴に髪から手を離した男は、イチカの左足のひざ裏に足を乗せた。
ゆっくりと重みを掛けていく。
容赦のない暴力だった。
みしみしと骨がきしみ、イチカから苦痛の呻きが漏れる。
やがてボキリ、という嫌な音と同時に灼熱の苦痛がはじけた。
「うぁぁぁああっ!!」
絶叫するイチカに冷たい視線を投げ、今度はそれを右足に行う。
最早叫ぶ気力もなく、イチカは声にならない呻きを漏らす。
両足を折ったところで男に表情の変化はない。
ただ淡々と行為を続行し、イチカを虫けらのように見下ろしている。
そしてその足を、次はうつ伏せにされたイチカの背に掛ける。
何度目かの骨がきしむ感触とボキボキと折れていく不気味な音。
それを認識する間もなく、激痛に声ならぬ絶叫を上げ、イチカは意識を手放した。
「連れて行け」
イチカを冷たく見下ろす男は、兵士たちに顎をしゃくった。




