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神様……  作者: はるひ
第一章 出会い

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2

「塩がない」


 イチカは呆然とつぶやいた。

 ぼーっと、日々を過ごしていたら、いつの間にか塩が切れていた。

 

 塩のない料理は美味しくない。もはや料理とは言えない。

「買い出しにいくか……」


 外を見る。

 

 霧のような雨が、イチカの庭を煙らせていた。

 木々の葉がつやつやと光り、大地は柔らかな恵みの訪れに安堵しているようだった。


 少し肌寒い家の空気。

 ため息をこぼし、空を仰ぐ。

 

 すごく憂鬱だが仕方ない。

 まだ朝も早いし、今から行けば暗くなる前に帰って来られるだろう。

 

 イチカはさっそく、収穫済みの薬草を丁寧に包んで籠に詰めた。やがて訪れたハチを懐にいれて家を出る。


 雨と言ってもごく細い小雨だ。

 籠だけ濡れないようにすれば傘もいらないだろう。


 誰も見つけられないように偽装された小径を歩く。イチカの恩人が、だから安心していいんですよ、と言っていた魔法。でもあれから数年たっている。効果が薄れてしまっていないか、少し心配ではある。


 あとからあとから途切れることなく落ちてくる細い細い千切れた絹糸のような雨は、イチカの頬を打つことなく、イチカの肩に跳ねることなく、イチカの体を大地と同じようにしっとりと湿らせる。


 懐から顔を覗かせたハチが「ピィ」と鳴く。

 鮮やかなブルーの羽。

 毛先だけ少し薄い黄色。

 黄色いくちばし。

 つぶらな瞳はすごく可愛くて、ぎゅうっとしたくなるくらい愛しい。

 潰れてしまうからやらないけど。

 

 ひさびさの散歩を楽しむのも悪くない。

 サクサクと足元の草を踏み締めて、やがて境界線に辿り着く。

 そこには澄んだ小川が流れている。

 この先からは阻害の魔法はかけられていない。

 

 ごくり。


 少し肩に力がはいる。

 恐る恐る川に足を踏み入れた。川床に敷かれた岩を上手に伝って対岸へとたどり着く。

 小雨のせいか、水かさは普段と比べて大して増してもいず、川の流れはそこまで速くない。


 その時、何が物音か聞こえた気がして、イチカは足元に集中していた視線を少し上げる。


 渡りきった対岸のその奥、木々に覆われた地面。

 いつもは静かな森が落ち着きのない気配を漂わせている。

 イチカは何となく不安な気持ちになりながら、先を急いだ。 

 地面を踏みしめるたび、獣の皮をなめして作った革靴が、水を含んでズクズク音をたてる。


 やがて一刻ほど歩いたところで、遠目に人が倒れているのが見えた。

 大柄な男性のようだった。


 イチカは周囲に視線を巡らせながら近づく。

 この森の中で、他人を見たのは初めてだ。好奇心が優った。

 

 そのつま先が、目的の人物の近くで止まった。



 濃い栗色の髪をした男性が、うつぶせに倒れていた。

 イチカは眉をひそめる。

 男性の背中に赤黒い血が広がり、彼の脇を伝って、濡れた地面に黒い染みが広がっている。


 イチカの気配をそばに感じたのだろう。

 男性が身じろぎした。


「うぅ……」


 死んでいると思った彼が動きを見せたことに、イチカはびくりと身を震わす。

 けれど男は、顔を上げる力もないようだった。


 イチカはおそるおそる彼のそばに膝をつく。

 焦点を結ばない朦朧とした目が、イチカの姿を捕らえようと彷徨う。



「殺せ……」


 その言葉に、イチカの目は戸惑いを映した。

 おそらくイチカのことを敵だと思っているのだろう。

 そして、彼にはもう、反撃を試みる力さえ残っていないのだ。



「大丈夫。俺はあなたの敵じゃない」


 イチカの中性的な低い声が、彼の耳朶に優しく届く。

 男は、苦痛に歪んだ怜悧な相貌を僅かに和らげた。


「お前……は……?」


「しっ。黙って。俺はただの通りすがり」

 相手の体力の消耗を止めようと、見えてはいないだろうが、イチカは指を自らの唇にあてる。


「少し我慢してください」

 ズボンから取り出したナイフで、男の背中の服を少し取り除く。


「……!」

 負傷の具合を確認しようとしたイチカは、抉れて骨まで見えた背中に息をのむ。 

 手遅れだった。



「私…に構う…な……」


 息も絶え絶えに男は言う。


 人に命じ慣れた声。

 軽装をまとっていても拭えない高貴さ。

 イチカの手はそれらに拒否反応を示し彷徨う。


 けれど、彼からは傲慢さや卑劣さといったイチカが憎む要素が感じられない。



 見捨てろ

 誰にも助けられない

 それほどの深手

 だから見捨てても私は悪くない


 人の死に慣れない脆弱な心を抑えつけるように、何度も言い聞かせる。



 その時、最期の力を振り絞るように、男が重い瞼を僅かに上げ、濁り始めた瞳でイチカを見た。


 イチカは驚きに息をのむ。

 深い、紫電の瞳。

 心に宿るあの人の影が、胸を抉る。


 ――違う。同じなんかじゃない。



 微かに微笑みを作る。


 「わた…し…に…かま……な…」

 

 こんな時でさえ、他者を気遣う様が、あの人を思い出させる。

 痛みを増す胸に、ラベンダーの空を想い、一瞬、硬く瞳を閉じた。



 イチカは意を決するようにゆっくりと息を吐いた。



 ――師よ、お許しください。



 閉じた瞼の裏で、ただ一人の人を想う。

 イチカの身を案じ、その力の発動を諫めた人を。



 ほっそりとしたその掌を広げ、男の体にかざす。

 ほんわりと、男の体を淡い光が包み始めた。


 零れた血が逆流し、破損した細胞がみるみる元通りになっていく。

 虫の息だった心臓が規則正しく脈打ち始め、土気色だった彼の相貌が色味を増していった。


 男も自分の体の異変に気付く。

 白く濁って光を失いかけていた彼の目が、澄んだ光を取り戻し始めた。




「女神……?」


 いまだ光を放ち続けるイチカの手と、彼女自身を見つめ、紫電の瞳の男はつぶやいた。




 まばゆい光の中、男が見たのは、この世界には珍しい漆黒の瞳と艶やかな黒髪。




 輝き浮かべるその目に魅了されたように、彼はイチカから視線をそらさない。



「キース様ぁ――!!!」


 イチカははっと身をこわばらせる。

 比較的近くから聞こえた、青年を呼んでいるのであろう声にイチカは慌ただしく腰を上げる。


「すみません。後はゆっくり養生して自然治癒で治してください!」


 イチカはそう言いざま身をひるがえす。


「待っ……」


 青年の呼びとめようとする声を背に、イチカは川を目指し、森の奥深くにひた走る。


「キース様!!おのれ!!」


 近づく憤りの叫びがイチカの耳を突いた。

 思わず振り返ってしまったイチカと、はるか後方に立ち尽くす氷色の瞳の男との視線が、絡み合ったような気がした。


 イチカは土地勘のある者にしかできない動きで森の中を駆け抜け、安全圏と思われる場所まで全力疾走で辿りつき、肩で息を繰り返した。 


 イチカの姿を目にしたであろう従者が、血まみれの主を前に、容易にイチカを敵とみなしたことが分かった。もし相手の視力が良ければ、顔が割れてしまったかもしれない。



 イチカが癒した青年は命に別条なく治癒したものの、体力の消耗が激しく、朦朧(もうろう)としていた。しばらくは自力で立ち上がることはできないだろう。



 自分に誤解が振りかかろうと、その場で有無を言わさず殺されていた可能性も否めない中、イチカは自分が取った行動が正しかったと胸をなで下ろす。

 ただ、目があってしまったのはまずかった。普通の人間ならば相手の顔の判別がつかないくらいの距離だろう。しかしこの世界の普通はよくわからない。


 人間に会うのは好きじゃない。

 偉そうな人間はもっと嫌いだ。


 イチカは胸元で眠るハチのふくらみをそっとなで、不安な気持ちを抱えたまま帰路を急いだ。

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