第十五話 僕たちの別れ
※ネイト視点です
その日、僕たちは目覚めるとお互いの顔を見合わせた。
ジェイドもセレナも今日という日の意味を理解している。
今日、僕たちは12歳になる。
クライブから両親の話を聞かされたあの日、僕たちは一つの約束を取り付けた。
それは12歳になった時、クライブやリンネさんが認めるだけの力を身に着けたなら、僕たちが外の世界に出ることを許可するというものだ。
僕もジェイドもセレナもそれを目指して修行した。
剣に魔法に格闘術といった戦い方はもちろん、外の世界の知識の勉強も。
クライブとリンネさんは最初のうちは僕たちより強かったけど、10歳になる頃には僕たちの方が強くなってしまった。
だけどそれからも僕たちは修行の手を緩めなかった。
クライブとリンネさんからは戦いのことで教えられる物はもうない、と言われてしまったが、お母さんがこの島を出る前の3ヶ月間に僕たちに叩き込んでくれたあの光景をなぞるようにして僕とクライブは剣の技を磨き上げた。
体も大きくなり力もついた分、修行の強度も上がる。
僕とジェイドの実践稽古はどんどん激しさを増していき、何度も死にかけた。
セレナは剣の稽古はあまりやる気がなかったけど、魔法についてはお父さんからたくさんのことを学んでいて僕たちよりもはるかに先に行っていた。
互いに互いの足りないものを教え合うようにして僕たちはどんどん強くなった。
体も大きくなった。
僕が一番大きくて、ジェイドとセレナは同じくらいで僕より一回り小さい。
お父さんとお母さんが僕たちを守るために置いていったこの島の中で、僕たちは強く大きくなった。
あの二人の後を追うことができるくらいに。
島の海岸には二艘の船が岸に繋がれている。
一艘はクライブとリンネさんが乗ってきた船を改修したもの。
もう一艘はここ一年くらいかけて修行の合間に僕たちが作ったものだ。
リンネさんはあたらしく作られた船の船体に手を当てて、
「本当は……こんなものが不用になることを望んでいたのですけどね」
と、さみしげに呟いた。
もし、僕たちの修行中にお父さんとお母さんが帰ってきたのならば。
修行は全部無駄になってしまうけど、僕たちの家族で暮らしたいという願いは叶う。
きっと誰もがそのことを望んでいたけれど、叶わなかった。
僕はリンネさんのすぐ後ろに立ち、船に触れている彼女の手の横に自分の手を押し付けた。
「お父さん、こういうの好きなんだ。
これで迎えに行ったらすぐに飛び出してくると思う」
そう言って、リンネさんに笑いかけるが、すぐそばに顔があって体を引いた。
僕の背はいつの間にかリンネさんに追いついて、追い越し始めていた。
お母さんのように大きなリンネさんに僕は小さな頃から甘えていたけれど、目線の高さがあまり変わらなくなった頃から、なんだか気恥ずかしくてできなくなってしまった。
「ネイト……そうですね。
あなたのいうとおりですよ」
リンネさんは小さく微笑んだ。
「食糧は積み込んである。
いつでも出発できますぞ」
「さすがクライブ。
抜かりはないな。
向こう着いてからもよろしく頼むぜ」
ジェイドは上機嫌でクライブと話している。
一年くらい前から僕たちは島の外に出てからの計画をみんなで話し合っていた。
僕とセレナとリンネさん、それからクライネ、ナハト、ムジークは人間の住むマリアーヌ大陸に向かう。
お父さんとお母さんがいる可能性が高いのはこっちの大陸だ。
到るところで人間同士が争っているそうだが、僕たちはその戦いに介入し、できる限り自分たちの存在を知らしめる。
大陸で誰もその名を知らないものがいない程に有名になれば、お父さんやお母さんはいずれ僕たちを見つけ出す。
そう狙ってのことだ。
一方、ジェイドとクライブは魔族の住む魔大陸コキュートスを目指す。
お父さんはそこの生まれであると聞いているし、魔族にはすごい魔法を使える者もいるらしい。
たとえば、世界のどこかにいる人を探し当てる魔法なんかも。
それに、魔族のクライブや魔族の姿をしているジェイドは人間から迫害されてしまう恐れがある。
それらを考えた上で、僕たちは二手に分かれて行動することにした。
「三年です。三年経ったら、一度はこの島に戻ってこよう。
この世界は広い。
バラバラになっては二度と会えないかもしれない。
あなたたちは家族だ。
その繋がりを断ってはなりません」
クライブは僕たち3人にそう告げた。
「ネイト。俺がいねえからって泣いてんじゃねえぞ」
「ジェイドの方こそ。
調子に乗って死んだりしたら許さないからな」
僕はジェイドを小突く。
普段ならジェイドはやり返してくるところだが、そうはしなかった。
代わりに僕の首に抱きついてきて、
「妹を守ってくれよ。弟」
と耳元で呟いてきた。
珍しく殊勝なジェイドの態度に、僕は今日という日が僕たちの人生において最も特別な日となることを予感した。
「分かってるよ、兄さん」
そう言って、僕もジェイドを抱きしめた。
海岸を離れた僕たちの船は、沖合に出たところで二手に分かれた。
僕とセレナは小さくなっていくジェイドとクライブの乗った船を水平線の彼方に消えるまでずっと見送っていた。
「セレナ……ジェイドは大丈夫だよね。
アイツは僕たちの中でも一番強いんだし」
「うん。ジェイドは強い。
これからもっと強くなる。
きっと、死ぬことはない」
セレナの白金の髪が潮風を受けてたなびく。
最近、セレナの姿がお母さんに似てきたように思う。
このことをジェイドに言ったらバカにされたけど。
背中に生えた大きな翼は天使の血を引いている証だという。
同じ血を引いている僕にもジェイドにも翼はない。
だから、綺麗で不思議な感じがするセレナのことを僕とジェイドは特別に大切にしていた。
「僕も強くなるよ。
だから、セレナは僕の後ろにいればいい。
何があっても守ってやるから」
「うれしい……でも、ネイトはなんだかダメになりそう」
笑いながらこけ下ろすセレナに僕は食って掛かる。
「なんだよそれ!?」
「なんとなく、そんな気がする」
「なんとなくじゃわからないよ!
僕が一番真面目に修行頑張ってたのに」
「……そうなんだけど」
「ああああああ! やめろっ!
お前が言うと本当にそうなりそうで怖い!」
セレナから逃げるように甲板の下の船室に潜り込もうとした僕の背中に、
「でも……ダメになってもネイトはネイトだよ。
だから、大丈夫」
そう言って、セレナは空を見上げた。
高い鼻や長いまつげが太陽の光を弾いて、セレナの横顔の美しさを際立たせていた。
その美麗さは揶揄されてひん曲がりそうになっていた心を落ち着かせるには十分だった。
船室ではクライネたちが小さく体を畳んで、眠るようにおとなしくしていた。
リンネさんは彼らの毛並みを撫でながら本を読んでいる。
「リンネさん。何を読んでいるの?」
リンネさんは僕の声に気づいて、ゆっくりと顔を上げる。
「この船の中にずっと隠してあった私の日記です。
ジークリンデ様と一緒に旅をしていた頃からつけていたものです」
「へえ。じゃあお母さんのことも書いてあるの?」
「もちろん。ジークリンデ様だけでなく『緑の聖女』ルミナスや『獅子王』ゼーゼマンのことも。
思いついたことを書き殴った乱文ですので人様に読ませられるようなものではありませんが」
「読みたい!」
『聖剣の勇者』として戦っていた頃のお母さん。
僕たちが生まれるよりも、お父さんに出会うよりもずっと昔のお母さんの姿が書かれているなんて、読まない訳にはいかないじゃないか。
「……恥ずかしくて本当は嫌なんですが」
と言いながらリンネは一冊の本を僕に手渡す。
「あなたたちには教えられることは全部教えると言いましたからね。
どうぞ、好きなように読んでください」
そう言って、リンネは自分の読んでいた本で顔を隠す。
僕はワクワクしながら本の表紙を開いた。
「それに……あの戦いに関わった英雄たちのことは知っておくべきです。
マリアーヌであなたが生きていく以上、運命は彼らとあなたを引き合わせることでしょうから。
……その時、私があなたのそばに居られるとも限りませんしね」
リンネの不吉な呟きを僕は聞こえないふりをして、目の前の文字を読み進めた。
島を出て一ヶ月ほどたった夜、僕は空から降るようにのしかかってきたセレナの衝撃で驚いて目を覚ました。
「セレナ! なんて寝相なんだ……」
「う……ん?」
寝ぼけているセレナの頭を叩いてやろうかと思ったその時、僕たちの身体は大きく揺さぶられ、壁に叩きつけられた。
「な、なんだこれ!?」
「船、揺れてる」
「見りゃわかるよ! セレナ! 灯り!」
セレナは右手に光の玉を作り出し、真っ暗な船室内を照らした。
光に浮かび上がったクライネとナハトとムジークが傾いた床で転ばないよう必死で足を踏ん張っていた。
「リンネ?」
セレナの声でこの場にリンネがいないことに気づいた。
慌てて、船室の天井にある扉を開けて、外に出る。
外の世界は耳をつんざくような風雨の音と、荒れ狂う波の音で埋め尽くされていた。
遅れて出てきたセレナの灯りが加わるが、見えるのは土砂降りの雨と殴るように打ち寄せる大波だけだった。
「リンネさん! リンネさん!」
僕は叫びながら、辺りを見渡す。
すると、帆と繋がったロープを懸命に引いているリンネの姿が見えた。
「リンネさん!?」
「ネイト! 帆をたたんで!
早くしないと船が壊れてしまいます!」
焦りながらリンネさんは僕に指示を出す。
言われたとおり、帆をおろそうとロープに手をかけた次の瞬間だった。
船は垂直の壁に乗り上げたように大波に打ち上げられ、すぐに海面に打ち付けられる。
その衝撃で僕は船の端まで転がっていった。
だが、帆をおろすことに集中しきっていたリンネさんはバランスを崩し、荒れ狂う海に放り込まれた。
「リンネさんっ!!」
僕は咄嗟に船から飛び降りて、リンネさんを助けに行こうとした。
だが、僕の肩をセレナが掴んで離さない。
「セレナっ! 邪魔するなぁっ!!」
「ネイトじゃ、無理。私が行く」
そう言って、セレナは翼を広げて海原に翻弄されるリンネの方に向かった。
凄まじい風を受けてセレナはバランスを崩しながらもリンネのもとにたどり着いた。
「がんばれええええ! セレナ!!」
僕は声を張り上げて叫んだが、嵐の音に邪魔をされてセレナには届かない。
だけど、セレナはしっかりとリンネの腕を両腕で掴み取った。
後は、引き上げて船に戻ってくるだけだった。
しかし、そうはならなかった。
それはまるで、何かとてつもなく大きな者の悪意のようだった。
空を割った稲妻が辺りを白く染め、狙いすましたかのようにセレナとリンネさんに直撃した。
その閃光が失われ、海面が闇を取り戻した。
「え……あ……」
何が起こったのか分からない。
今、稲妻が落ちて――
「セレナあああああああ!! リンネさああああああん!!」
正気を取り戻した僕は、またすぐに理性を失った。
何も見えない真っ暗な海原に向かって二人の名を呼ぶ。
「セレナああああ!! リンネさあああああん!!
セレナあああああ!! リンネええええええ!!」
何度も何度も繰り返し、僕は壊れたように叫び続けた。
だが、ふたりは姿を表さない。
海の底に引きずり込まれたか?
それとも稲妻にあたって、跡形もなく……
「い、いやだああああああああああ!!」
喉から内蔵が飛び出んばかりに僕は叫んだ。
だが、僕の叫び声には誰も答えず、代わりに大きな波が押し寄せてきて船もろとも僕を飲み込んでいった。




