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Gravity - 006 - 青年たちが交差する話

母との再会で和真の発作は落ち着いたらしく、ときどき出ても軽いものに変わっていった。それに、自分でも対処できるようになったらしい。

小室がそのことに安堵した矢先に、和真はまた別のことに悩みはじめたようだ。発作のような深刻なものではなさそうだが、食事をとるときも帰り道でも腕を組み、「うーん」だなんてずっと考えごとをしている。


「最近どしたん?」

「非常に、難しい問題に直面しています」

「難しい問題? 講義?」

「いえ、僕個人の……君にも関係があることなのですが」

「俺に?」

「はい。この謎が解けたら、ぜひその答えを君にも聞いてほしい」


そう言って小室を見た和真は、また腕を組んで難しそうな顔をした。何だかよくわからないが、しんどい様子はないのでとりあえず見守ることにした。


約1ヶ月後、小室は和真に呼び出された。

春の気配がときどき顔を覗かせる。学生は長い長い春休みに入って、浮き足だった心をまるで隠さずにいる。そんな時期だった。

互いの下宿先の中間ほどにある、小さなカフェ。初老の夫婦が2人で切り盛りしていて、いつも小さくクラシック音楽が流れている。和真が学生になってからできた、お気に入りの場所のひとつらしい。

春休みに入ると毎日顔を合わせるわけではないから、和真とは4日ぶりに会う。本題に入る前に、たわいもない話に花が咲いた。

和真はホットブレンドをひと口飲んで、「そうだ」と思い出したように言った。


「先日話した難問に、ようやく答えが出ました」

「ほう?」


小室は気持ち身を乗り出した。

和真にとっての難問は、実は少し興味がある。


「僕は『特定個人への強い関心』を寄せ、『身体的接触を「快」に分類』し、ときに『非合理的・非効率的な選択』を行ってきました――特定個人とは君のことです」

「…………へ?」

「世界はこれを『愛』と呼ぶそうです」

「は、え?」


――強い関心? 分類? 非効率的な選択が何だって?

聞き返そうにも、どこから何を聞けばいいのかわからず、しばらくフリーズしてしまう。

一旦、もう一度ゆっくりはじめから聞き直そうと思って口を開きかけた小室に、和真がセリフをかぶせた。


「君はこれからバイトでしたね」

「そう、だけど、」

「では今日はこれで」

「あ、おお」


そうして頭にハテナを浮かべたまま、小室はいつの間にかバイト先に到着していた。その日だけでグラスを3つも割った。


***


その後、和真はあの日の発言がなかったかのように、小室を茶だの映画だと誘ってきた。それが余計に小室を混乱させた――あれは何だったんだろうか。

和真が冗談やからかいであんなことを言うような男でないことは、小室自身がよくわかっている。物事が理屈で説明できると思っている男だ。あれはつまり和真の「本気の発見」で、「嘘偽りのないことば」であることは間違いない。だからこそ意味がわからない。なぜ、その対象である小室本人に、そんなことを言ったのか。


――本人に聞くしか、ない。

1週間は粘って、とうとう小室は白旗をあげた。


久々に和真を呼び出す。場所はどこがいいと聞くと、和真はいつもの喫茶店を希望した。

先に店に着いた小室は、どうにも落ち着くことができないでいた。腹がそわそわする。約束の時間ぴったりに和真は店に入ってきた。こんなときまできっちりした野郎だ。


小室がなかなか話を切り出さないからか、和真は3回生に上がってからどんな講義を取ろうかなんて雑談をはじめた。和真にしては口数が多く、次の話題に移ろうとしたので、これはいけないと、ようやく小室は「あのさ」と口を開いた。


「話遮って悪いけど」

「問題ありません」

「……あれどういう意味だったんだ」

「あれ?」


どれのことだかわからないと言う顔だ。

小室が「その、世界がどうだとか……」と言うと、先日の話かと合点がいったらしい。


「結論の共有です」

「……なんで俺に言った?」

「小室くんに知ってほしいと思いました」

「俺に言って、どうしたかったんだよ」

「知ってもらうことが目的でした、ただ君に共有したいと思いました」


小室は困り果ててしまった。質問の意図がうまく伝わっていない。


「俺はどうしたらいい」

「と言うと?」

「……あんな、こ、告白みたいな、こと言われて……俺はどうしたらいいんだよ」


ああだせえ。と小室は恥ずかしくなった。ことばがうまく出てこない。声が震えて仕方がない。

対照的に、はて、と和真が首を傾げた。


「すみません、君の感情に影響が出ることまで考えられていませんでした」

「……そっか」

「忘れてください」

「は?」

「君がそれで不快感を抱いたりするようであれば、あの話は忘れてください」

「不快とか言ってない」

「不快でないのであれば……?」

「……嬉しかったんだよ、喜んだんだ」


恥ずかしい。なんて奴だ。

なんてことを言わせるんだろう。


「俺のことが…………その、好き、ってことだろ」

「……」

「好きだって言われて、嬉しかったんだよ…………」

「小室くん」


いつも通りの平坦な声で、和真は、好きだと言ったつもりはありませんでした、などとほざいた。

は?と思わず声が出た。指を組んでそこに額を当てていた小室は、ぱっと顔を上げて和真を見た。感動も動揺も、その顔にはない。


「……あー、悪い、お前はそういうやつだよな」

「はい? ……はい」

「悪い、この話終わり」

「結論が出たなら、よかったです」

「もういいわ」

「……はい」


思わずテーブルに小銭を叩きつけて、小室は席を立つ。

そのまま何も言わず、振り返ることもなく帰っていった。


***


4月になり、ふたりは3回生に上がったが、あの日以来一緒に行動することもなくなっていた。顔を合わせもしなければ、メッセージのやり取りもない。あっけないものだ。


春休みが終わってすぐ、たびたび講義が被っていた女の子に、小室は飲みに誘われた。あまり気乗りはしなかったが、断る理由もなければ、いつも隣にいた男の空白を埋めたくて、小室はその誘いに乗った。


薄暗い半個室の居酒屋で、案の定その子に告白された。丸くてきらきらとした瞳で、「小室くんのこと好きなんだ」と告げられる。他人事みたいな気持ちで、小室はそれを聞いた。

胸を打たれたような、あの日の衝撃が、なかった。


「…………ごめん」

「なんで? わたしじゃだめ?」

「好きなやつ、いた」


――和真に、まっすぐ同じ言葉を、言って欲しかった。

ようやくわかった。いやわかっていた。そうやって素直に伝えればよかったのだろうか。しかし「好きだと言ったつもりはない」とまで言われてしまっているのだ。

この話はおしまいだ。

とても馬鹿馬鹿しくて、滑稽な幕引きだった。


「もう放っておいて」と泣く女の子に、多めのお金を残し、小室は店を出た。悪いことをしてしまったと思う。ポケットに手を突っ込み、古びたコインをなでる。するとスマホが振動した。


和真から、数週間ぶりの連絡だった。

「明日の5限に、講義室3に来てほしい」とメッセージが来ていた。


***


夕暮れの空き教室に向かう。

西陽が直線で差し込んできてまぶしい。

太陽を直接見てはいけませんと、昔教師に注意されたことを思い出した。

和真は、横顔に夕焼けを受けて、まっすぐ前を見て座っていた。しばらく声をかける気になれず、その横顔をながめた。


「なんか用」


声をかけると、気づいた和真がまっすぐ小室を見つめる。


「はい、用件があります。直接伝えるべきだと思いました」


続きをうながすこともせず、小室は斜め向かいの席に腰かける。それを了承だと理解したのだろう、和真は話しはじめた。


「君が女性に告白された、と聞いて…………僕は不快感を覚えました」

「ん」

「…………君がもし、僕が君に抱いているのと同様に、誰かに強い関心を抱いたならば、非常に不愉快であると思います」

「あっそ、んで?」

「書籍でこのような感情の正体を調べてみました」


そこを文献に頼ろうとするのが、和真らしいといえば和真らしい。


「僕のことなのに、君が先に答えにたどり着いていたんですね」

「……つまり、何が言いたい?」

「僕は君を特別な人間だと認識している。これが好き、ということですね」


小室はやっとわかった。

和真は、馬鹿野郎なんだ。

勉強ばかりしてきた大馬鹿野郎だ。

自分の気持ちに自分で気づくことさえ、できないでいた。


「…………うん」

「そしてもし可能であれば、僕と特別な関係を……いや、僕を君の特別にしてください」

「……あーーー、もうお前、意味わかんねえ……」

「もう一度説明しますか?」

「ちげえよ」


机の上にお行儀よく置かれていた右手をつかみ、まっすぐに和真を見つめる。

動揺と、決意の色が見えた。


「お前、ぜってえ逃げんなよ」

「…………わかり、ました」


――小室はそうして、和真を捕まえた。そして同時に、どうしようもなく捕まえられた。

どうか、離してくれるなよと、願う。

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