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Gravity - 011 - 青年たちが選び合う話

糸子の結婚式から約1年。

小室と和真は、新居で引越しの荷物を片付けていた。

山のように積み重なっていく段ボールにげんなりするが、それすらなんだか嬉しいような気持ちになる。


「……あー、でも流石に疲れたな」

「そうですね、片付けは徐々にでいいでしょう」

「そうだよなあ、そろそろ飯食う?」

「そうしましょうか」


新居を構えた九重駅の周辺は、飲食店が豊富だ――いや、むしろ、それが大きな決め手になったといってもいい。


陽の沈みはじめた街にふたりはくり出した。

新しい生活が、はじまる。


***


福岡に住もうと言いはじめたのは、小室の方だった。

糸子の結婚式で訪れた福岡は、記憶よりもずっといい場所だった。

ずっと、心が痛むことを恐れ、振り返ることを避けて、帰省もあまりしないようにしていた。だが、ふたを開けてみれば、地元にあるのはあたたかい思い出ばかりになっていた。


駅で待ち合わせて、ふたりで夕食を摂っているときだった。

どんな反応をするか少し気になりながらも、小室は移住案を和真に打ち明けた。九重駅か井加田駅のあたりが住みやすそうだということも。

少し考えた和真の返答は「では、物件と仕事を探す必要がありますね」だった。

前向きな回答に嬉しくなって、小室はその日少し飲み過ぎてしまった。アパートまでの道を、ほとんど和真にもたれるようにして歩きながら「一緒に住もう」と何度もくり返した。和真にはいい意味でも悪い意味でも冗談――あながち冗談でもなかったのだが――が通じないときがある。「では2LDKくらいがよさそうですね」などと普段通りの表情で言っていた。


転職活動は、小室の「転勤なし」の条件が少し足を引っ張ったが、3ヶ月の後、中規模のメーカーに内定をもらうことができた。和真も開始から2ヶ月ほどで、なかなかの企業に内定をもらっていた。

東京を離れることを考えれば、ふたりとも十分な給料が出る。

営業を選んでおいてよかったと思う――小室はどこでだって、生きていくことができる。生きたい場所で、共に生きたい人と、暮らすことができる。


新居は、職場へのアクセス、生活のしやすさ、治安のよさ、駅までの距離、そして何より、飲食店の豊富さを重視して選んだ。

7年の社会人生活を経て仕事にも慣れた。そうしてふたりのもっぱらの楽しみは、飲食店めぐりになっていた。特に町中華や赤提灯の立ち飲み屋なんかが好きだ。ビールが麒麟なら言うことはない。


腹が減っては戦はできぬとはよく言ったものだ――多忙な社会人生活の中で、必ず摂らなければならない食事と娯楽を結びつけることは、和真いわく「非常に合理的」だった。


そして、福岡はうまいものが多い。子どもの頃には気づかなかったが、とにかく福岡は飯がうまい。

食から得られる幸福感をよく知るふたりは、すぐ近くに飲み屋街があるというアパートに空きが出たのを聞きつけた。その他諸々の条件も考慮しつつほとんど即決で、そのアパートの契約を決めた。


引越し当日、朝からバタバタと動き回って、朝も昼もゆっくり食事をとる余裕はなかったから、とにかく空腹だった。

福岡といえば、小室はやはりラーメンだと思う(和真に言わせると「水炊きにはかないません」とのことだ)。

近所に、安くて早くてうまいと評判のラーメン屋兼中華料理屋がある。

とりあえずはそこに行ってみようということになった。


その店までは、歩いてたった5分ほどで行ける。

厨房から店の外まで、いい匂いがただよっていた。店はそれなりに混んではいたが、カウンター席にすぐに通してもらうことができた。


「瓶ビール、グラスふたつと……あと豚骨ラーメンとチャーハン2つずつお願いします」

「あと餃子2皿と青菜炒めと、ピリ辛きゅうりをお願いします」

「よー食うなあ」

「そうでしょうか」


実は、和真は見た目の3倍は食べる。

「これで十分です」とか言ってゼリーで済ませてそうな見た目だが、いわゆる痩せの大食漢だ。

カウンターいっぱいになった料理を、するすると平らげていくのが気持ちいいくらいだ。

細い体のどこにその量が入っていくのかは、長年の疑問だが。


「うめえな、ここ」

「はい、満足度が高いです」


ずるずるとラーメンをすすりながら、他愛もない会話をする、幸せな時間だ。

幸せな時間だが――小室には、このままこの幸せを享受していいのだろうかという気持ちは、少なからずあった。


***


和真は、少なくとも学生時代には、機会飲酒しかしなかった。家でだらだら飲む、ということはあまりしなかった記憶がある。

それが今はどうだ――焼き芋焼酎にハマっているのだと、やれ狐火だ、やれ天界への誘いだ、キッチンの一角には焼酎ボトルのコーナーができあがっている。

特に休前日には、水割りや炭酸割り、酔ってくるとロックと、あの手この手で焼酎を楽しんでいる。


その日も、最近和真が気に入っているらしい焼酎と適当なつまみを楽しみながら、ふたりは雑談に花を咲かせていた。

話題は仕事についてであることが多い。愚痴だって、新卒の頃に比べたら聞かせてくれるようになった。


「人間は不思議です」

「そーなん?」

「はい。憎しみあったり、かと思えば徒党を組んだり、そう思ったら裏切ったり、僕にはあまり理解できません」

「そういうもんだろ」

「そういうものですか? ……でも、」


すっかり氷の溶けたロックグラスをローテーブルに置いて、和真は小室に向き合った。


「不思議なのは、とりわけ君だ」


酔ってはいるのだろうが、和真の酔い方はわかりづらい。

表情も声色も変わらない。

ただ少し、小室に対して、言葉がやわらかくなる。


「出会ってからこれまで、もう15年ほどでしょうか。僕は君という人を理解できた気がしない」

「俺は単純な人間だよ」

「そうでしょうか、僕は……私、は……」


ごく稀に、和真は自分を「私」と呼んだ。


「私は、君という人生最大の謎を、生涯をかけて解き明かしていきたいと、思っているのです」

「…………おー、」

「心から、そう思います」

「……それってさ、プロポーズ?」


突然の告白に、少なからずからかってやろうという気持ちがあった。

しかしそれは、大真面目な酔っ払いにはどうやら通じなかったようだ。

ううん、と和真はうなり、さらに続ける。


「…………そうですね……はい、そうです」

「……まじ?」

「真面目です。憂くん、生涯ずっと僕の隣にいてください」

「……あーもう、お前、今日は寝ろよ」

「回答を、待っています」

「へーへー」


ベッドに和真を押し込んで電気を消した。

すぐにすうすうと寝息が聞こえてくる。

からかってやろうと思ったはずが、逆に自分の顔から火が吹き出しそうだった。


翌日、あんなに酔っ払っていたのに、和真は記憶がしっかりしていた。

照れ隠しに改めてからかってやろうと、小室が昨日の話をしても、「本心です」といつも通りの顔で言った。


――腹を括るときが、ついに来たんだと思う。


次の週末、小室は少し悩んで、時間休をもらい市役所に出かけた。


***


「これは?」


小室が差し出したA3サイズの書類を手に取り、和真は尋ねた。ああなんだか緊張してきた。心臓が口から飛び出そうと言うのは、こういうことを言うらしい。


「……見りゃわかるだろ」

「婚姻届ですね、僕の質問の意図は――」

「わかってるよ」


わかっている。

和真のことだから、次に何を言おうとしているか――長年隣にいたのだから、わかる。


「『同性同士の婚姻は、日本の法律では認められていません』だろ」

「わかっていて、なぜ」

「あー……そりゃあ、プロポーズされたもんでね」


――俺も覚悟を見せるよ。例えこれが形ばかりの紙切れだとしても。


小室の気持ちを汲んだのか、和真はそれ以上何も言わなかった。

何も言わずに自室からボールペンを持ってきて、几帳面な字で――少し考えながら、空欄を埋めていく。

ふたりの文字で埋まった婚姻届に、法的な意味はない。誰もふたりの関係性を証明することはできない。

それでもいいと、思えた。


「これが、俺なりの答え」

「……そうですね、憂くんらしいと感じます」

「そりゃどーも」


ふたりは顔を見合わせ、ふと吹き出した。

意味のない紙切れに、意味のないサインを入れる。

この世の中で、たったふたりにとってだけ、大きな意味のある一歩だ。


それが、ふたりの導き出した答えだった。

もう、誰にも与えられたものじゃない。自分たちで選んだ、答えだった。

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