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Gravity - 010 - 青年たちが振り返る話

小室と和真が29歳になった冬。

糸子――和真が今でも交流を持つ数少ない親族だ――から和真に電話がかかってきた。なんとはなしに、小室は電話に出た和真をぼんやり眺めた。

ひと言ふた言交わすと、和真は小室の方を見た。


***


2回だけ、小室は糸子と会ったことがある。


1度目は、小室が大学2回生のとき。

いつも通り和真とああだこうだと議論をしていると、糸子から和真に連絡がきた。ちょっとした用事でふたりの大学近くに来ているから、お茶でもしないかということらしい。

小室は同行するつもりではなかったが、和真が一緒に会えばいいと言うので、結局着いて行った。


糸子は女の子ばかりいる、小洒落たカフェで和真を待っていた。男ふたりで入るには少し気後れがした。店内は紅茶と砂糖菓子の香りで満ちている。

糸子は和真に気づくと、ぶんぶんと手を振って居場所を伝える。そして和真の隣にいる小室を見て、目をまん丸にさせた。小室と和真が、あまりにもタイプが違うので、驚いたらしい。


「もっとこう、理系男子!って感じの子がくると思ってた」

「小室くんは心理学専攻なのでどちらかといえば文系ですね」

「そういうことじゃなくね?」

「和真くんは相変わらずだねえ、あたし嬉しくなっちゃった」

「はい、変わりありません」


はじめて会う糸子はハツラツとしたエネルギーにあふれた女性だった。和真とは正反対と言ってもよいほどだ。そう思いながら和真を見ると、なんだかまぶしそうな瞳で糸子を見ていた。

最近はどうだとか大学は楽しいかとか、差し障りのない会話をして、その日は別れた。大きく手を振って、糸子は銀杏並木のなかを駆けていった。




2回目は、就職も決まり、のんびり過ごしているときだった。特に用事のないらしい和真と連れ立って街をぶらついていると、ばったり糸子に会った。


「あ、和真くん!」


蕾が花開くような声だ。

呼ばれた方を向くと、糸子が手を振りながらぱたぱた近づいてきた。


「小室さんも、お久しぶりです!」

「久しぶりっす」

「こんなとこで会うなんて偶然! お買い物?」

「はい。あとは食事を摂ろうと」

「和真くんよく食べるもんねえ」


ふと、それまでニコニコとしていた糸子が真剣そうな顔をして黙り、小室と和真を交互に何度も見た。

そして和真だけをぐいぐい少し離れたところに連れていく。小室も和真も頭にハテナが浮かんだ。


小室に聞こえない距離まで遠ざかると、口の横に手を当て、糸子は和真に何か耳打ちした。なんと言ったかはわからないが、和真が目をまん丸にして驚いているのだけはわかった。

一体何を言われたのか気になったが、答えはついぞ知らないままだ。


***


その後、大学を卒業した糸子はUターンで福岡に戻り、和真とはたまにお茶をしたり、細々とメッセージのやりとりを続けたりしているらしい。


電話の要件は、結婚式への招待らしかった。

和真は電話口で了承し、電話が終わると小室に向き直った。


「糸子さんが、君もぜひ一緒にと」

「まじ?」

「はい……どうしますか?」

「あーじゃあ、お言葉に甘えて」


ついでに金曜と月曜に有給をくっつけて、観光がてら久しぶりにゆっくり福岡に帰ることになった。




糸子の結婚式は、有名な高級ホテルに併設された式場で行われた。

胸のあたりに花の模様が刺繍された真っ白なウェディングドレスは、かわいらしい糸子によく似合っていた。


披露宴がはじまり、いろいろな人が代わる代わる新郎新婦に話しかけ、写真を撮りあう。誰に対しても、糸子は明るい笑顔を向けた。みんなが、糸子のことを好きだ。

落ち着いてきた頃に、和真も自席を立ったので、小室は後ろを着いて行った。


「糸子さん」

「和真くん、それに小室さんも、今日は来てくれてありがとう」

「俺まで呼んでもらって、ありがとね」

「ううん、ふたりには一緒にお祝いして欲しかったの」


お色直しをした糸子は、淡い水色の、スパンコールが縫い込まれた華やかなドレスに身を包んでいる。


「かず兄ちゃん、本当にありがとう」

「……はい」


その瞬間だった。


「……っう、うぅ…………」


和真の両目から大粒の涙がぼろぼろとあふれ出した。

こんなふうに感情を露わにする和真は初めて見たので、小室も流石に驚いてしまった。


和真は何かを言おうとして、嗚咽に邪魔される。

らしくなく、いつものようにうまく言葉にできないようだった。


「お、おめで、とう、ございます」

「……うん、ありがとう」

「ほん、本当に…………おめでとう、ござい、ます」

「ありがとう、かず兄ちゃん」


そう言ってほほえむ糸子の目もうるんでいる。

その隣で糸子の夫が、心配そうに、でもどこか嬉しそうに、糸子と和真を見つめている。

小室には、和真の背中をさすることしかできなかった――それしか、思いつかなかった。




どうにも和真の涙が止まらなくなり、小室は和真を連れて、少し離れた屋外喫煙所に避難した。

びしょびしょになってしまったハンカチで何度も目元をぬぐっていると、徐々に嗚咽が止まり、ようやく落ち着くことができたようだった。


「見苦しいところを、すみません」

「見苦しくなんかねえよ」

「……ありがとうございます」


そう言って和真は少しほほえんだ。

ただ、かわいいなと思った。


***


翌日の和真の両まぶたは、それはひどい有様だった。今までに見たこともないほどパンパンに腫れている。

ホテルの同室に泊まっていた小室は、寝起きの和真を見て、それでもからかうことをしなかった。




その日は予定通り、ぶらぶらと、花枝駅のあたりを並んで歩いた。駅の近くに、行列ができる有名なラーメン屋があるらしい。そこに行ってみないかと誘ったのは和真だ。小室も気になってはいたので、行ってみようということになった。

1時間ほど並んだが、並んだ価値のある味だった。あまりのおいしさに3回ずつ替え玉をし、満腹になってしまった。とりあえず腹ごなしのために、あたりを歩くことにした。


冬も終わりを迎えつつある福岡は、肌寒さはあるもののやさしい気温だ。

空気は少し冷たいが、とにかく日差しがやわらかい。


住宅街の角を何気なく曲がったとき、懐かしい場所が目に入った。花枝緑地公園――あの日、和真が小室に『勇気のあかし』を授けた場所だ。

お互い幼い頃の話だ。ほんの少し気恥ずかしさはあったものの、せっかくなので行ってみようということになった。


子どもの頃はあんなにも広く感じたというのに、記憶よりも公園は随分と小さく見えた。

あんなに遊んだ遊具だって、今の自分たちからすればかわいらしい大きさだ。

その小さな遊具で、子どもたちがきゃあきゃあはしゃぎながら遊んでいる。


地元には思い入れはなかった。

でも、こうして和真と歩いていると――


「地元も、悪くねえな」


小室はそうつぶやいた。

ぱっとその横顔を見た和真は、驚いた顔をしていた。

同じことを考えていたらしい。


「僕もそう感じています」


地獄のようだと思っていた地元は、静かに小室を受け入れた。そこには、やさしさもあたたかさもあった。

何より、それはきっと隣に和真がいるからだと思う。

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