Gravity - 009 -青年たちが戦う話
それなりに安定した企業に、ふたりは就職した。
和真の方が後で内定を得たので、内定承諾書を提出してから、ふたりで小さなお祝いをすることになった。
最近気に入りの居酒屋で乾杯をする。
生ビールだって飲めるようになった。
煮物のうまさもわかってきた。
もう大人だ。
「君がどんな大人になるか、楽しみにしていましたが」
「うん?」
「まさか僕が1番近くで見られるとは思いませんでした」
「……おう、お互い様な」
***
4回生を目前にした3月。
小室は、どんな場所でも生きていけるよう、営業職を志望した。場所が変われど業界が変われど、営業という仕事はなくならない。人の感情まで引き受けるつもりはなかった。
はっきりとものを言う性格(和真以外には)から、内定を得るには時間はかからなかった。
和真の方は、しばらく職種に悩んだらしかったが、「人事をやる」と決めてからは早かった。人間というものを間近で観察したいという、和真らしい理由だ。
内定式も、内定者の懇親会も終わり、4月。
ふたりは晴れて社会人になった。
やや体育会系のノリもある会社で、有名大卒ということもあり、小室はしっかり営業職として扱かれた。
新しい生活は刺激があり楽しいが疲れる。自分の力で生活できるというのは嬉しいが、とにかく大変だ。
1年は研修や勉強という形で、先輩との同行がメインだったが、2年目となるともう一人前として扱われる。ルート営業を主とし、少しずつ担当エリアだって任されるようになった。
残業も増えてきた。
小室も和真も土日祝休みなので、金曜日はどちらかの家に泊まって、週末は一緒に過ごすようにしている。
和真は、あまり自分から仕事の話をしない。聞かれれば答える程度だ。もちろん愚痴をこぼすこともない。
小室には、和真が余裕に見えた――自分だけが、取り残されている。
その日は和真の家に泊まる予定だった。残業を片付けてアパートに着く頃には時間は22時をとっくに超えていた。
「……ただいま」
「おかえりなさい」
「……疲れた」
「夕食を用意しています。すぐに食べますか?」
最近は、小室は自炊する体力もない。
レトルト食品か、コンビニ弁当に頼ってばかりだ。
「…………お前はすごいね」
「特別なことはないと思いますが」
「いや、すごいよ…………」
ずっしりとソファに沈み込む。
なんだか、泣きそうな気持ちだ。
小室の落ち込みに気づいた和真が、ホットミルクを差し出した。小室が好む、はちみつ入りのものだ。
「憂くん」
小室がマグカップを受け取ったことを確認すると、和真は小室の隣に腰掛けた。ふたり分の体重で、座面がより深く沈み込む。
「僕が毎日、何を考えながら働いているか、聞いてくれますか」
「……何考えてんの」
「僕は人事なので、メンバーがいかに効率よく働けるか考えています」
「うん……」
「会社が理不尽な決定をするときもあります」
「……うん……」
「歯痒い気持ちや、不愉快な気持ちになるときもあります」
「……ん」
「投げ出したくなるときもあります……そんなとき考えるのは、君のことです」
落としていた視線を、小室は和真に向けた。
悟られないようにしていただけで、和真もやはり戦っているのだ。
余裕があると思っていた自分が、少し恥ずかしくなる。
「もし仮に同じ会社に君がいたとして、君がいかに気持ちよく営業に出られるか」
「……うん」
「どうしたら君が理不尽な目に遭わないか」
「…………うん」
「どうしたら君が笑顔でいられるか……いつもそんなことばかり考えています」
「そっか」
「だから、僕はなんとか、なっています」
歳をとったからだろうか、涙腺が弱くなった気がする。
鼻の奥がツンと痛んで、小室は軽く鼻をすすった。
「君のおかげです」
「そんなこと考えてんの」
「はい」
「……なんか腹減った、飯食おう」
「そうしましょう」
その日は和真が用意してくれた食事を食べて、早めに眠りについた。あんな話をしたからだろうか、同じ会社で一緒に働いている夢を見た。和真が上司に理不尽な叱責を受け、謝っている夢だった。小室は「あんなの気にすんな」と声をかけた。和真はただ頷いていた。
週明けはトラブルの対応に追われ、バタバタと日々が慌ただしく過ぎた。疲れ果ててベッドに倒れ込む日もあった。世界は急に、そして劇的に変わったりはしない。
思っていたよりも、社会はずっと厳しいなと思う。
ただ、隣に和真がいたら、なんとかなる気がする。小室にはそう思えた。それでいいと、思った。
そうやって、続いていくんだろう。




