第82話 ヒドラ
「……疲れた」
麗華の口元から白い息が漏れ出ている。
この凍える世界は、元凶である麗華本人にも悪影響のようで、遠くからでも分かるほど、彼女の身体は震えていた。
「時間が掛かり過ぎたみたい……久方ぶりに本気を出しちゃうよ。アメリカ遠征以来かな?」
麗華が本気を出すと言った瞬間、十階層の空気が変わった。
それは一段階冷えたわけでも、降り注ぐ雪に変化が起きたわけでもない。変わったのは麗華が纏う雰囲気であり、気怠そうにしていた彼女が、鋭く目を光らせてやる気に燃えていた。
「“冷装・氷雪の騎士”」
やる気は見た目にも現れている。
いつも麗華は普段着のような格好で、ダンジョンに潜って来ていた。しかし今の彼女が纏っているのは、半透明で輝く氷の軽鎧。そして右手には氷でできた細剣が握られている。
「”氷華突”」
麗華は氷の細剣で連続で刺突を行った。
俺の目では追い切れず、その刺突が何度行われたのか分からないが、最低でも五十回は超えているだろう。
「グラァ!!」
ヒドラに反撃を許さない連撃は、その巨体に数多の穴を開けていく。そして傷跡の再生を邪魔するため、傷つけた部分を氷漬けにすることで、ヒドラの再生速度は極めて低下している……と思われる。
これは俺の予測に過ぎず、規格外の麗華とヒドラの戦いを実況できるほど、目が良いわけではない。
「グラァ!」
しかしヒドラもやられっぱなしではない。
口を開き、毒を持っているであろう液体を麗華へと吐き捨てた。
「私の周りに液体は存在できない」
麗華は構わずヒドラへと接近した。
その自信は過信などではなく、事実液体が麗華へと降り掛かろうとした瞬間、凍り付き固体へと変わる。
その液体が水ではないことは明確で、麗華はその液体の凝固点を知るはずがないが、それでも凍り付かせる自身があった……つまりどんな液体であろうと凍り付かせられる自信があるということだ。
そして彼女は接近と共に、再び連続刺突を再開する。今度は胴体ではなく首を重点的に狙い、先端の細い剣で一本の首を落下させた。
「あと二本」
先刻の失敗を繰り返さないため、首を一本落とそうが攻撃の手を緩めることはない。
だが首を落とした断面。凍り付いて再生できるはずがない断面の肉が怪し気に動いている。氷を食い破り、頭を再生させるため、激しく肉が動き続けていた。
麗華がヒドラのヘイトを一手に引き受けている今、俺たちの攻撃は確実に当たるだろう。しかし当てたところでダメージを与えられず、最悪の場合、麗華の邪魔になりかねない。
そんな心配が俺たちの足を止め、ただの傍観者に至らしめていた。
「はぁはぁ」
最悪は的中した。
凍り付いていたはずの断面が割れ、そこから斬り落とされたはずの首が再生し、一瞬にして頭が舞い戻った。
「チッ、早い――ッ!?」
「――っ」
俺は息を呑んだ。
あの巨体に見合わぬ俊敏さで尾を振り払い、近くに居た麗華のことを薙ぎ払った。彼女は弾丸が如き速度で吹き飛ばされ、階層の壁に激突した。
「麗華!」
未だにまいちゃんが気絶している以上、唯一ヒドラに対抗できる麗華が戦場に復帰できないほどの怪我を負っていたら、俺たちの敗北は必至。
だから俺はゴン太のことを抱え、かなり距離のある麗華の下まで急いだ。
「はぁはぁ、ゴン太頼むぞ」
「コン!」
まいちゃんとパーティーを組んでから使ってもらうことがなくなったゴン太の力。あの力がどれほどの効力を持つのか、俺にはよく分かっていないが、多少の助けになれば十分……そんな思いでゴン太を抱えている。
「――ッ!? そう来るのかよ」
ヒドラの巨体が跳ねた。
着地地点は見なくても分かる。唯一己を殺せる可能性がある麗華の命を絶つため、彼女が居る場所が落下地点だ。
「ゴン太!」
「コン!!」
今から“狐火”を溜めたとしても、間に合わないかもしれない。だが少しでも希望があるのであれば、諦めはしない。
「今だ!」
「コーン」
ゴン太によって作り出された“狐火”が放たれた。
最大火力には到底届かないが、少しでも落下地点をずらすことができたら、俺たちの勝ちだ。
そして“狐火”はヒドラの身体に着弾し、少し遅れてあの巨体が地面に着地した。生まれた衝撃は、麗華の下へ駆ける俺たちを振り出しへと戻し、十階層中に広がる真っ白な絨毯を風圧で剥がす。
剥がれた白い絨毯――地面に降り積もっていた真っ白な雪は、ヒドラの着地によって生まれた突風によって、再び宙を舞う。まるで空から降りて来たヒドラを迎え入れるかのように、ヒドラを包み込むかのように雪が舞っている。
「私の氷は熱を孕み、そして爆ぜる」
遠く離れた麗華の声なんて聞こえるはずがないのに、そんな言葉が俺の耳に聞こえて来た。
刹那、ヒドラを包む全ての雪の温度が急激に上昇し、そして弾けた。水蒸気爆発に近い現象は、ヒドラの巨体を破壊していく。
俺が居る場所からは濃い煙によって視界を遮られ、ヒドラの生死を確認することができない。
「……麗華」
「はぁはぁ、れいちゃんなら大丈夫だよ。なんたって【日本最強の冒険者】、なんだから」
「まいちゃん」
肩に手を置かれたため、そちらに視線を向けると気絶していたはずのまいちゃんが居た。そんな彼女の表情に心配の感情などはなく、あるのは麗華の勝利を祝う笑みだけだ。
麗華が主人公みたいですが、主人公は悟です。誰が何て言おうと悟です。
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