第273話 帰還と変化
「はぁはぁ」
呼吸が乱れる。鼻を刺激する肉の香りが、肺の機能を極端に高めさせている。呼吸はどんどん速くなり、口の端から涎が絶えず流れ出ていた。
「……」
だが今食べているわけにはいかないので、足の裏から炎を噴出し、空に浮かぶ氷球の元へと向かう。辿り着くまでに、涎だけは何とかしておきたいが、まあ別に見られても構わないだろう。
「麗華、倒して来たぞ」
「ありがとう、それはどうするの?」
氷球の中から聞こえて来た麗華の声は、いつもと変わりない。氷球は完全に透明という訳ではないので、俺が涎を流している姿は見えていないのだろう。見られた際の反応は気になるが、後回しだ。
「これは……なんでだろうな」
手の上に乗った飛竜を、ポイっと投げ捨てた。
数秒経った後、地上から大きな音が聞こえてきたが、そちらに目線を向けることはしない。もし見てしまえば、惜しんでしまうからな。
「天井を開けてくれ」
「……分かった」
返事が遅かったことに疑問を持ったが、特に聞き返すような真似はしなかった。理由としては、涎が顎を伝ってできた跡を消す方を優先したからだ。
「俺が落ちた後は、大丈夫だったか?」
「うん。あの程度の炎で、私の氷は破れないよ」
「それなら良かった」
氷球内へと乗り込むと、たぬ吉たちが一斉に駆け寄ってくる。
たぬ吉のモフモフに顔を埋める。一気に空気を取り込む。安心感が全身を駆け巡り、腹の底からグツグツと湧き上がっていた怒りの器に、蓋をしてくれた。
頭を支配しようとして、飛竜を喰らわせようとしていた空腹感も、これまたきれいさっぱり消え去った。
最初はこの消え去った食欲が、たぬ吉たちに向いてしまったらどうしようかと思っていたが、やはりたぬ吉たちは魔物ではなく、家族だと身体も思ってくれていたようだ。心まで獣に変わったわけではなくて、心から安堵した。
「ポン?」
「首を傾げてどうしたんだ?」
一度たぬ吉の身体から顔を離して、顔を突き合わせると、不思議そうに首を傾げてた。飛竜の臭いが身体に付着したせいかと思い、自分の身体を匂ってみたが、特に獣臭くはないように思える。
まあ自分の臭いは分からないってことの方が多いから、実は臭い可能性も大いにあるだろうが、たぬ吉は不思議そうにしているだけで顔は顰めていないから、臭いわけではないのだろう。
「どうしたんだ?」
「ポン」
俺が俺じゃないみたい……ってどういうことだ?
飛竜を喰らったせいで、身体に変化が起きたのかと思った、麗華や広忠は目立った反応はしていなかったから、外見に変化が起きたわけではないはずだ。
「ポン!」
別にいいやと言わんばかり勢いで、腹部へと突進してきた。
軽々受け止め、たぬ吉の頭を撫でる。そして他の子たちの頭を撫でることも忘れない。
順番に撫で続け、三巡目に入ろうとしていた頃、足元が揺れた。
これは魔物の襲撃を受けた揺れではなく、氷球が動き出した揺れだ。どうして動き出してなかったのか、効こうと思って麗華の方を見ると、ジト目でこちらを見ていた……氷球が動いていなかったのは、俺たちが、主に俺が原因だったようだ。
「なんか済まない」
「別にいいよ。色々と聞きたいことがあったけど、悟の様子を見ていたら、聞きたいことがなくなったから」
「そ、そうか。なら良かった」
色々聞きたいことが、涎のことなのか、飛竜の肉を生で食したことなのか、知りたい気持ちで溢れたが、変に聞き返して、藪蛇を突くことになってしまえば、こちらが困るので、気になる気持ちを押し殺して、口を噤んだ。
それから魔物の襲撃を受けることはあまりなく、あったとしても簡単に対処できた魔物ばかりで、特に苦戦することなく、山梨県を超え、長野県へと入った。
「【富士山ダンジョン】の主戦力とぶつからなくて良かったな」
「広忠は【富士山ダンジョン】にどんな魔物が居るのか、知っているのか?」
「大まかにだがな。まず一階層にはゴブリン種全般が、それぞれ村を作っていたらしい。その村にはゴブリンキングが一体固定で生息していて、稀にゴブリンエンペラーが発生すると言われていたな」
「ゴブリンとだけ聞くと、弱く感じるが、弱くないんだろ?」
「ああ。ゴブリンと言っても、一体一体の能力が桁違いだ。他のダンジョンではボスクラスレベルの力を持つゴブリンが、数百単位で生息している……それが【富士山ダンジョン・一階層】だ」
「なるほどな……それで、主戦力というのは、主にどんな魔物なんだ?」
「龍だな。飛竜とは違って本物の龍だ」
「ゴブリンがそのレベルだと、龍も強いんだろうな」
「ああそうだ。龍も他のダンジョンとは、桁違いに強いぞ」
「……なんだかフラグが建った気がする」
フラグは回収されるのか!?
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