第260話 正義
「くっ――」
アインたちの撤退は、戦闘の終結を意味し、溢れ出ていたアドレナリンが切れ、これまで我慢できる範囲でしかなかった痛みが、一気に膨れ上がった。
特に、失った左腕が痛い。これが俗に言う幻肢痛なのか……。既に傷は塞がっていて、痛みの原因となるものはすべて排除しているというのに、痛みが続くというのは、かなり精神的に来るものがあるな。
「悟!」
「麗華、改めて言う。無事でよかった」
「それは私のセリフ」
抱きしめられた。
温かい。人の温もりは良い物だ。麗華が相手だからかもしれないが、とても安心できる温かさだ。
こちらも抱きしめ返したかったが、左腕を失ったせいで、強く抱きしめることはできなかった。だが片腕だけでも背中に回し、その温かみを胸の中で感じようとする。
「悟、今回の戦争の清算を行わなければならないから、休んではいられないぞ」
「……確かにそうだな」
ハグを止め、立ち上がる。
歩いてきた江梨子と向き合うが、彼女の顔色はとても悪いように見えた。壁を破壊するために、一人奮闘していたんだ。俺たち以上に疲労が溜まっていても可笑しくない……覚悟を決めるしかないよな。
「……江梨子、俺が王をやるよ」
「ふっ、それでいい。私は王様なんて柄じゃないからな」
ただのブラック企業の社畜戦士だった俺が、小さいとはいえ、国の王になるなんて、誰が想像できたんだろうな。
社畜おっさんが王様に……それなんてラノベってツッコミたいところだが、今の若い子たちには馴染みがないんだろう。ダンジョンの誕生と共に、ファンタジー系の漫画やラノベは衰退の一途を辿ったからな。
取り敢えず、王様になっても、キャンプができるように交渉しなければならない。まいちゃんを探しに京都へと行かないといけないが、先にキャンプだ。この近くには、あのキャンプ用のダンジョンがあるから、ダンジョンへと行くと誤魔化せるはずだ……多分。
「では王様としての初仕事と行こうか」
「初仕事? この荒廃し切った街の修繕か?」
「違うな。【皇居ダンジョン】でスキルを得ることだ」
「……それは王としての仕事なのか?」
「旧文明で十分に科学が発展してしまった以上、王権神授説は利用できない。そんな世界で王に成るためには、誰もが認める圧倒的な力が必要なのだよ、分かったかいワトソンくん」
「……確かにそうだな」
だが直ぐに【皇居ダンジョン】へと行けるわけではない。
身内の安否を確認するのが、一番の優先事項だ。麗華と江梨子が無事だということは分かっている。あとはウチの従魔たちと、守られている甲斐。
信綱はシュペンの首を刎ね飛ばした際に限界を迎えたようで、力なく地面に倒れている。だが生命が尽きているようには見えないため、ただ疲労が蓄積してしまったせいだろう。
ロジャースは麗華と同じで、レオンが放った“王の裁き”で一時的に行動不能になっていただけで、それが解けた今はピンピンしている。
「あとはペドロだが……」
俺をレオンの元へと送るため、“王の軍勢”の元に一人で殿として残ったペドロだけが、安否不明となっていた。ゆっくりと歩いて行く。
レオンから王の地位が剥奪された時点で、“王の軍勢”が無理矢理動かされるようなことはなくなっているはずだが、元からレオンのシンパが居た場合、戦闘は終結していない可能性もある。だから油断はできない。
「……悟、お前の正義を通せたようだ」
「ペドロ……」
ペドロは《《まだ》》生きていた。
市民に攻撃を加えまいと、ただ攻撃に耐え続けていたのだろう。全身から血を流し、立つことすらできないほど弱って、地面に転がる瓦礫に背中を預けるのが、やっとといった様子だ。
「ペドロ、お前のお陰でレオンを倒せた。お前が居なかったら、俺たちは負けていたはずだ」
「ふっ、そうか。なら身体を張った甲斐があるというものだ」
「ポーションを使えば、まだ助かるだろ」
「ダンジョンは偉大だよな。死という運命すらも、容易くひっくり返してしまう」
「なんだよ、急にポエマーみたいなことを言いやがって」
「つまり私は死ぬ運命だってことだよ……」
「お前が言ったように、死の運命はひっくり返せるものになったんだよ」
そんなことを口にするペドロの顔は、とても晴れやかな表情だ。
その表情は、抵抗しなければこれから訪れるであろう、死という運命に恐怖を抱いていない。それどころか受け入れてすらいるように見える。
「レオンに正義を見出したが、私に見る目はなく、奴に私の思う正義はなかった。そこで私の正義は揺れてしまった」
「ペドロ、お前の存在理由は正義だけなのか?」
「……私はこの世界規模のスタンピードで、家族も友も失った。私も死のうと思っていたんだ。だけどな……私の命を、命を賭けて救ってくれた、警察官の正義感に惚れ、それを私の生きる理由にしたんだ……」
「じゃあその命を賭してお前のことを救った警官のためにも、生きる必要があるんじゃないのか?」
「……己が正義が揺らいだ時点で、それはもう正義とは言えないだろう――かはっ」
吐血。もう時間は残っていない。
どうにかしてポーションの摂取を受け入れてもらわなければ……無理矢理生き延びさせるという選択肢は存在していない。自分の意思で生き延びようとしなければ、直ぐに自死を選んでしまうだけだ。
「俺にはお前が必要だ!」
これから王を始めるうえで、治安部隊は必要不可欠だ。
自分の中に真っ直ぐな正義感があるペドロであれば、信頼して治安部隊の隊長という地位を渡せる。もし死してしまえば、数万に及ぶ市民の中から探し出す……そんな苦行は負いたくない。
「わ、私が必要!?」
「そうだ。お前が生きてくれないと、俺は将来が不安なんだ!!」
「私が居ないと将来が不安!?」
理由は分からないが、ペドロは顔を真っ赤にしている。
だが顔に生気が戻って来た。あと少しで生きることを受け入れてくれるはずだ。
「そうだ、お前が生きていてくれないと、俺はキツいんだ!」
「――っ! わ、分かった。生きるから、もう止めてくれ」
「よかったぁ」
江梨子からポーションを受け取り、ペドロに渡す。
ポーションの入った瓶に口を付け、一気に傾ける。回復効能のある液体は、喉を通って胃へと落ちる。体内に入った時点で、その効能は身体に吸収される――らしい。詳しいことは知らないが、ポーションは普通の薬とは、一線を画すらしい。
「ふぅ」
「身体は大丈夫そうか?」
「ああ、今すぐ戦闘が起きても大丈夫な程度には、治っている」
「そうか、ならよかった」
「これから末永く頼むよ、旦那様」
ペドロが口にした言葉の意味。
俺には全く理解できなかったが、後ろに居る江梨子と麗華は理解していたらしい。
「悟は自分のことを全く理解していないらしい」
「……たらし」
そして江梨子たちが口にした言葉の意味も、よく分かっていない。
明日で連載に追い付くので、明日の二十二時の投稿で、複数投稿が終わります。
悟はダンジョンへの適応によって、おっさんと呼ぶには失礼なほど若々しくなっています。それでも悟の自認は、おっさんテイマーです。
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